365日のLove song

作詞 岡本真夜 作曲 岡本真夜 編曲 岡本真夜&西垣哲二

解説 岡本真夜さんの11thアルバム『Tomorrow』の2曲目に収録。BSフジで放映されている「beポンキッキーズ」beポン・メロディに使用されている。

 恐らく東日本大震災という未曽有の大天災の後に生まれた曲でなければ極めて平凡で家庭的な曲として印象も薄かったことだろう。タイトルにあるように「Love song」だが、同様にタイトルにあるように舞台は「365日」という日常である。恐らく「Love」の対象は我が子か、異性だったとしても長年連れ添って自然な存在となった配偶者であろう。実際アップテンポなノリを除けば「かけがえない人よ」「美しき人」と同じ雰囲気を湛えている。

 実際、歌詞の内容は非常に日常的である(←変な日本語)。「笑ってるかい?」、「ふざけてるかい?いつものように」「青い空に 両手を広げましょう」と言った歌詞からはゲラゲラ笑うような爆笑ではなく、帰宅した子供を迎える親の笑顔を映し出しているようである。
 注目は「二人でいることが あたりまえだけれど どんな贅沢より きっと幸せ」の歌詞である。人間当たり前に満たされている事の有難味はなかなか分からない、正確には実感し辛いものである(例:米・水・空気・平和)。
 実際アラフォーで独り者をやっている道場主とて両親の親子愛、妹達の兄弟愛、親友達の友愛、学生時代・職場での師弟愛、人としての人類愛といった愛情=「Love」「365日」恵まれている筈だが、なかなか意識するものではない。だが、それらが喪われた時の喪失感が甚大であろうことはある程度想像がつく(有り難いことに30年近く直系親族の死と無縁でいている)。

 だが、視点を変えればやはりこの曲の歌詞にも死別の影が見え隠れしていて、この曲もまた東日本大震災があって生まれていることに複雑なものを感じる。「明日何が起こるなんて 誰にも分からない せいいっぱい 今日を生きよう 優しくなれたらいいね 二人でLove song」の歌詞が特に印象的なのだが、ここに注目すると「君」が生きているのか、死んでいるのかも少しばかり謎である。もし不慮の事故で明日命を落としたとしても笑顔で死ねるように、悔いのない人生だったと胸を張れるように一瞬一瞬を懸命に生きることの大切さは歌に、人生訓に、学問に、宗教にて説かれることだが、正直、ダンエモンは今死んだら悔いだらけである(結婚もしてないし、もっと酒飲みたいし、旅行も行きたいし、歴史に名を刻んでないし、美味い物食いたいし、他にも……(以下エンドレス))。
 実際、老若男女を問わず震災に死した人々、残された遺族の無念は計り知れない。それでも生き延びた人、残された人はいずれ笑顔と優しさを取り戻して生き続けなければならない。その大切さが集約され一節とダンエモンは見ている。

 あんまり縁起悪い想定はしたくないから、「君」は辛い境遇に在っても今も今も主人公と「二人」でいると信じたいから、「たとえ昨日が 悲しい昨日でも 大切なコトは 過去じゃなく 目の前の“未来”だと思う」の想いと、「今日も笑い 今日も歩き 今日の幸せを 紡いでいこう きっとそれが いちばんの近道だよ(二人なら)」との信念を重んじ、それが万人に伝わる日常を送って欲しいと願われてならない。

 尚、2012年1月のアコースティックライブ2012ではエンディングでこの曲が流された。そのライブでは歌う前に真夜さんによって歌詞が朗読されており、同アルバム収録曲の中でも真夜さんの思い入れの強いことが窺える。


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平成二四(2012)年一一月二〇日 最終更新