GYPSY
解説 アルバム『永遠の夢に向かって』の8曲目に収録。他のアルバムでは見られず、ライブでも歌われてはいない。摩季ソングの中では影が薄い方に入る。
明らかに浮気しているであろう恋人への猜疑と嫉妬に揺れ動く心を描いた曲だが、その歌詞は切ないを通り越して可哀相ですらある。それも男女双方ともである。ふられてばかりいるダンエモンでも恋愛に対して常に本気だったという自負がある。それがこの歌の主人公はその本気を見せない彼氏と、本気が猜疑と嫉妬で揺らされている心情に苦しんでいる姿が痛々しい。もう少し噛み砕いて言うと、相手を信じ切ることができないために本気すら苦痛である彼女と、相手がどんなに苦しんでも必死になってもはぐらかすばかりで、本気で恋することの尊さを知り得ない彼氏の双方に憐れみを覚えるのである(勿論彼氏に対しては軽蔑を込めて論述している)。
そういう内容だから、この歌のストーリーは好きではないのだが、最後の比喩は見事だと思う。「最後ぐらい深紅の薔薇のように美しく冷酷に さようなら 夢幻をさまようGYPSY」だが、「美しく冷酷に」の意味が最初は良くわからなかった。美しさと冷酷さを併せ持つものの比喩にバラを使うのはすぐにピンと来たが、美しさと冷酷さの共存が最初はわからなかった。何度となく聴いて思い至ったのが、美しさは潔さであり、冷酷さは何も残さない別れということである。猜疑と嫉妬に揺れ動く様はまさに「無限をさまよう」状態であり、「さようなら」を告げたくなるのはある意味当たり前である。タイトルの「GYPSY」はまさしく心の中でさまようが如く揺れ動いている主人公自身のことだったといえる。
ファンとしてはケチを付けるようなで心苦しいが、一つだけ念の為に触れておきたい。それは「GYPSY」という単語のことで、これは蔑称である。彼等自身は「ロマ」と称している。本来ならこの曲のタイトルは「ロマ」とするのが打倒なのだが、無理に修正すると歌全体が崩壊するんだろうなぁ…。ロマに限らず一日も早く正式名称が正しく定着して欲しいものである。
「インディアン→ネイティブ・アメリカン」、「エスキモー→イヌイット」、「ユダヤ人→イスラエル人」
この頁を見た方はどうかこれだけでも正しく知ってい欲しいと思います。
摩季の間へ戻る