赤い花

         作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季
解説 大黒摩季さんの7thマキシシングル「ASAHI〜SHINE&GROOVE〜」のC/W曲で、感想を一言で言い表すなら、「雅(みやび)」の一言である(←「『雅』の意味が分かって言ってんのか?」by道場主←「多分C/W曲の『ASAHI』に対向させたかったんでしょう。」by薩摩守)。
 この曲を聴いて連想された摩季ソングは「夢の続き」「砂の孤独」である(「Sunshine」も少々含まれる)。静かな環境を背景に愛する人の幸福と成功を雅語的表現で祈るような主人公の姿には実に妙なるものがある。
 「どうか孤に吹かれ 暗れ惑ひませむように」「どうか赫灼の陽に 囿ませむように」「どうか退き急ぐ潮の音に 惨みませむように」「信に君憶ふ優しさに 還られますよう」といった一見音読が厄介で、何かに頼った姿はおおよそ普段の快活で立ち塞がるものを己が手で叩き壊さんとするエネルギッシュさを迸らせる摩季さんらしくなく見えるかもしれない。
 しかし、歌詞全体を通じてみれば、主人公が愛する人に思い通りに行き、そして夢叶えた上で自らと供にあって欲しいと願う姿を見れば、束縛しないからこそ、祈りを捧げる姿になることが窺えて秀逸である。
 ダンエモン個人的に好きな歌詞の部位はやはり「赤い花は咲く 散りて尚うつくしく 涙は肥となり 悲は深き色となり」である。
 「散りて尚うつくしく」は誠にダンエモンの心の琴線に触れた。咲いている時だけが「花」でない事をこの歌詞は教えてくれた。そしてよくよく注目すべきは「散りて尚」−精一杯咲いたからこそ、その生を全うした姿をも「うつくしく」見れるのである。
 勿論これは人生にも例えられる。精一杯生き、己が人生を全うした人間は死に顔さえも穏やかで安らかで誇りに満ちている、というのはよく聞く話である。そしてそこまで精一杯やった生き様は例え結果を伴わなくとも何かを残す。それを例えているのが「涙は肥となり 悲は深き色となり」だろう。身は滅びても永遠に残るものがある事を示している。
 さて、いきなり話がガラッと変わるが、「赤い花」と聞いてこのサイトを見ている方々は何の花を連想するだろうか?「ポインセチア」「アイリス」を連想する摩季ファンも多いと思う(笑)が、歌謡曲に関心を示し出した頃にヒットした松田聖子さんの歌の思い出から「赤いスイトピー」を道場主は連想した(笑)。もっとも道場主は「花より団子」、「色気より食い気」の人間だから赤い食用菊の方が喜ぶだろうが(笑)。
 もう一つ注目したいのは「赤い花」が厳しい環境のなかに力強く咲く姿で、歌詞では「刺すほどの日差し怯みもせず 花咲く」に表れている。別の歌手を持って来て恐縮だが、ダンエモンが愛好する岡本真夜さんの「TOMMOROW」「アルファルトに咲く花のように」が連想された。
 結論。厳しい環境に逞しく、立派に生きる姿は人でも花でも美しいものである。それを最も称えるのが締めにも使われている「幾朝陽を浴び ふたたび君の花は咲く」という歌詞だろう。そういう美しい「花」は何度でも咲いて欲しいものである。
 

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