作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 Ohquesta de La Luz
解説 摩季ネェのアルバム『すっぴん』の9曲目に収録。「大黒摩季版リオのカーニバル」と称するのは言い過ぎだろうか?
またこの曲の編曲とコーラスにはオルケスタ・デ・ラ・ルス(1984年に結成されたサルサバンド)からNoraさんとJinさんが参加しており、敬愛するアーティスト以外には丸で芸能音痴なダンエモンはこの曲に遭遇するまで当然のようにこのバンド及びメンバーンことを全く知らなかった…。
曲よりも歌詞で惚れる男・ダンエモンにとって、正直辛いのはラテン語が全くと言って言い程分からないことで、タイトルの「¡Baila!」だけじゃなく、「ラティーナ」、「モノトゥーン」、「コンガ」と言った言葉の意味も良く分からないのが口惜しくもある。
まあアルバムリリースから時間を経て、ネット上で単語レベルなら簡単に翻訳できる機能もあって、「¡Baila!」は「ダンス」であることだけは分かるようになったのだが。
ともあれ、本来の目的である解説に移るが、歌詞から推測するに、ままならず、倦み疲れる日常の中で、日々の仕事が終わった後であろう夜の時間と恋の中で燃え滾る情熱を叫ぶ歌と見受けられる。
殊に興味深いのは、1番が日常との戦いに主眼を置いた歌詞となっているが、2番の歌詞はは明らかに恋を意識しており、同じ曲の歌詞でありながら大将が異なっている点にある。
話が大きくそれるが、『マーラーライセンス牙』(集英社ジャンプコミックス:平松伸二作)の第10巻で南米B国(モチーフになったのはブラジルしか考えられない)を舞台にしたストーリーが展開され、ラストのカーニバルシーンでB国にて孤児達を助けるボランティアをしていた日本人少女が主人公の木場優児に「このカーニバルは一年のつらい事を全て忘れ去るための祭りなんです!そしてまた明日から強く生きていくための!!」と語るシーンがあり、ダンエモンは初めてこの曲を聴いた時に「一瞬の幸せに燃え上がる ラテンの血よ」の歌詞に10年以上前に読んだそのシーンを思い出したのだった。
ダンエモンは決してブラジルを始めとする南米の国々の事に詳しい訳ではないが、この二つの共通項に少しはラテンが見えた気がした。
確かにラテンならずとも、日本ならずとも、日常とは楽しい事や嬉しい事よりも辛い事や苦しい事の方が多いものかも知れない。だから人は楽しむ時はすべてを忘れて楽しもうとするし、日常やレジャーに仕事を持ち込むお父さんなどは家族の非難を浴びることになる。
殊に「働けるだけ恵まれているけど 暗い職場 厳しいノルマ 不満はマグマのように」は日本のリーマンの多くが抱えている悩みではあるまいか?同時に摩季ファンとしては摩季ネェのエッセイ『ありがとうなんて絶対言わない』において摩季ネェが上京から「DA・KA・RA」のヒットに至るまでの日々を「マグマの日々」と評していたのを思い出した方も多いだろう。
ラテンに対してこれしきの理解しかないダンエモンがここまで思い入れられるのだから、ラテンに詳しい摩季ネェファンなら更に深く思い入れを持つことだろう。
そんな中で最後に注目したい歌詞は「浮ついても浮気じゃない 官能のペアDanceに 野生を呼び起こして」である。
南米の「Dance」と言えばアルゼンチン・タンゴしか知らない(正確には興味を持って見ていない)ダンエモンだからラテン風ダンスがどういう物かは知らないが、「官能のペアDance」と「野生を呼び起こして」の歌詞を見れば、人間の本能に根ざしたものである事は何となく分かる。
勿論、本能のままに理性なく動くのであればそれは獣でしかない。事前に「浮ついても浮気じゃない」とあるからこそ人間が人間として挑めるものであり、禁忌を犯さず、それでも自分の想いに正直にいられる尊さがある気がした。
尚、アルバム『すっぴん』初回限定盤付属Disc2に収録されている「セルフライナーノーツインタビュー」によると、日本で唯一のグラミー賞アーティストとなっているオルケスタ・デ・ラ・ルスの簡単な紹介もあり、同時にこの曲の誕生がデ・ラ・ルスの方から声が掛ったものであることも触れられていた(摩季ネェが畏怖する一方で、彼等の方が摩季ネェを買っていた!)。
摩季ネェはラテンに対し、「夏が来るとラテンが聴きたくなる」(祭り好きのお祖父さんの影響らしい)と語り、デ・ラ・ルスの方々との交流から「バリアを取ってくれる音楽」と思うようになった経緯も語っていた。
お気に入りは「浮ついても浮気じゃない」とのことで、「ドライフラワーのようになってしまう事が多い」からこそ、この歌詞の意味を「彼氏や旦那様に還元」することを勧めてもいた。
また「セルフライナーノーツインタビュー」の中で唯一この曲だけが「日本ラテン化計画」という追加項目があり、日常に縛られ、情報化された故に周囲を気にしながら生きざるを得ない日本社会に対し、解放感による元気をもたらすべくラテンになり切るというデ・ラ・ルスの計画に摩季ネェが賛同したものらしく、どんな疲れも吹っ飛ぶと語られている。
摩季の間へ戻る 平成二六(2014)年四月一一日 最終更新