作詞 Howard Ashman 作曲 Alan Menken
訳詞(by道場主)
遠い昔、
本当の話
友達にさえなり得ない
何者かが思いがけず心を傾けた
ほんのちょっとした変化
控え目に言っても、小さな
双方が怯えて準備もない、
美女と野獣
いつも同じで、
いつも驚かされ、
いつもこれまで通りで、
いつも太陽が昇るのと同じぐらい確実で
いつも同じで、
いつも驚かされ、
いつもこれまで通りで、
いつも太陽が昇るのと同じぐらい確実で
遠い昔の話、
古い歌のように
ほろ苦く、奇妙で
あなたが変われることを知って
あなたが誤っていたことを学べるから
太陽が東から昇るが如く確実な、
遠い昔の話、
韻のように古い歌
美女と野獣
遠い昔の話
韻のように古い歌
美女と野獣
解説 大黒摩季さんの初のセルフカバー・アルバム『LUXURY 22-24pm』の初回限定版に付属されているDisc2の3曲目に収録。邦題は、ディズニー映画と同名で余りにも有名な「美女と野獣」であることは言を待たない(←それでも名前は一応出す)。
ついつい元々知っているストーリーに影響されがちだが、道場主の怪しい和訳(苦笑)に基づけば、正直、予備知識がないと何を言っているのか分らないのだが、それでも「美女」=「Beauty」と、「野獣」=「the Beast」という、普段接し得ない=心の準備が出来ていない状態で双方が恋愛対象として出逢い得ることがあるのが伺える。
要するに、恋が急に訪れ得るもの、ということだろうか?
かつて、道場主に愛された女性達の多くは道場主に告白される直前になって道場主が想いを寄せていることを知ったり、告白されるまで道場主にそう想われていることを全く気付いていなかったりした。
結果、道場主に告白された相手の多くは大いにうろたえたのだが(泣笑)、この例に基づくなら片方が明らかな恋愛感情を抱いていても、もう片方が気付いていないとかなり大騒ぎになる。
それが互いに恋愛対象とも思っていなかったのが出逢い得る訳だから、双方の驚きの大きさは想像を絶するとともに、かなり不思議なものを感じる。ストーリーと言ってしまえばそれまでだが、実際にある程度現実的な夢を与えるものでなければ歌が歌い継がれることはない訳だから、現実世界に「美女と野獣」的カップルが存在することとも相俟っているのだろう。
完全な余談だが、道場主は『CITY HUNNTER』という漫画で、海坊主(本名・伊集院隼人)と美樹のカップリングを見た主人公・冴羽獠が「美女と野獣の出来上がり。」と囁いていたのを読んで、「美女と野獣」という言葉を知った。
出会いの不思議さとともに注目すべきは、「Ever just same Ever a surprise Ever as before Ever just as sure As the sun will rise」に表されている、「普遍性」である。
一見不思議に見える突然の出逢いを、「Ever just as sure As the sun will rise」=「太陽が昇るのと同じぐらいいつも通り」と言ってのけているのである。
「the Beast」=「野獣」という言葉が持つ意味は広い。三大欲望の塊である道場主を基準にするなら、大量の食糧を貪り食う姿や、美女に鼻の下を伸ばす姿が想像されるのだが…………ぐえええええぇええええぇえぇぇぇぇぇぇええ(←道場主にサソリ固めを掛けられている)。
イテテテテテテ……まあ、勿論、現実に獣が人になることはなく、道場主ならずとも、「the Beast」には人間の獣性や、獣性に駆られた行為が目立つ人を指すことが多いと思われるが、獣性を持たない人間がいないように、理性を持たない人間もまたいない(稀にいるかも知れんが、ダンエモンはそのような者を「人」とは認めない)。
「the Beast」の正体が、美しき王子であった様に、獣性の中に秘められた人間の美しき美点にこそ、「Beauty」は惹かれるのだろうか?
そう言えば、日本語の語感や見た目では丸で異なる「美女と野獣」も、英語の「Beauty」と「the Beast」で比較すれば、スペリングや発音が似た語であることが分かる。
成程、「Beauty」と「the Beast」の出逢いはそのものは偶然でも、内包されたものに惹かれあうのは太古からの必然なのだろう。
摩季の間へ戻る 平成二一(2009)年五月一日 最終更新