僕が君でキミがボクなら

作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 西平彰

解説  大黒摩季さんの10thマキシシングル「コレデイイノ?!」のC/W曲。実際、同マキシシングルに収録されている曲の中ではこの曲が一番摩季ソングらしい気がする。またアルバムでは『POSITIVE SPIRAL』の10曲目に収録されている。

 歌詞の内容は、過去において相手の為に尽くし切れなかった恋を悔い、同じ過ちを繰り返すまいとの意に溢れる様を、自分を相手の立場に、相手を自分の立場において、互いの立場ならそうしたであろうとの推測を添えて歌い上げたものである。
 同音同義である「僕」「ボク」並びに「君」「キミ」の単語を、タイトルでは「君が僕でキミがボクなら」となっているが、歌詞中では「君が僕でボクがキミなら」となったり、「僕が君でキミがボクなら」となったりしているのだが、先に仮定している方を漢字で、後から仮定する方を片仮名で表記してある。
 勿論耳で聴いているだけでは分からないのだが(笑)、「君が僕でボクがキミなら とうにその手を離していただろう」とあるように、相手の立場に立ったとき、自らの行為が後悔だらけであることを強調する為に、仮定の意義を強調している様が歌詞を見て初めて分かり、正に解説者冥利に尽きる(笑)。
 個人的な喜びはさて置き、この漢字と片仮名による書き分けは同じマキシシングルのA面曲である「コレデイイノ?!」にも見られる。耳で聴くことと、歌詞で見ることの両方の楽しみは今後の摩季ソングにも残して欲しい手法である。

 さて、些か残念なのはこの曲の「僕」「君」の現況が些か分かりにくいことである。
 「汚れのない瞳を その手を二度と離さない」とあることを、一度別れた者同士が再度くっついたとも取れるし、なくした恋にリトライがあるなら次こそは失敗するまいとする決意の表れとも取れる。ダンエモン的には「Just You… Just Me… ふたりの愛はひとつだけ」とあるところに再び依りを戻した恋への決意と見たい所である(要するに「Come To Me,Once Again」と同様に見たいのである)。
 また「Just You… Just Me… 傷ついてくれてアリガト」の歌詞にも「雨降って地固まる」的な強固な恋のより戻しを見たいものである。

 歌詞全般としては仮定法を多用した過去への回想の占めるウェイトが大きいわけだが、ここは敢えて単文の歌詞に注目したい。
 一つは「どうして愛は離れなきゃ見えないの」である。世の中には失って初めてその有難味が分かる事柄も多いが、愛もその一つだろう。
 とかく人間は最初から満たされているものほど有難味を知らない。失って初めて分かる有難味で、同時にそれが別れを経て見えたものであることをこの歌詞は立った一文でも色濃く、見事に言い表している。まさに恋をなくして初めて反省した男のコアとなった事柄であろう。
 もう一つは「もう二度とあの日に戻れなくても」である。恋に落ちる際にも、別れの際にも、その後どのような関係になったとしても、それぞれの節目以前の状態には決して戻れないことは「風に吹かれて」「Return To My Love」といったかなり初期の摩季ソングにも歌われている。
 だが過去があって初めて現在があることを考えたとき、ダンエモンは安直に過去が代わればそれでいいという不可能を夢見るのはそれまでの人生否定であり、引いてはそれは自らの責任への逃げではないか?とここ近年になって考えるようになった。過去何度も「ドラえもん」の人生やり直し機かタイムマシーンが欲しいと思ったことがあったが、仮に過去を変えたとしてもそれは既に知った結果に合わせた物に過ぎず、苦難を乗り越える自らを否定するに等しい。
 ならば過去のおいてどの様な愚行と後悔を重ねようと、「抱きしめたい… 抱き締めたい…」「そばにいたい… そばにいたい…」という想いを(恐らくは途切れさせることなく)抱き続け、迷いを微塵も見せないこの曲の主人公の方が好ましく想える。
   断腸の思いを経て、自らと相手とを置き換え、照らし合わす術を身に付け、赤裸々な心の原点に立ったこの曲の主人公を心から応援したい、とダンエモンは同じ男性の立場に立って思う次第である。


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平成二〇(2008)年二月九日 最終更新