ボクらの知らないところで

ボクらの知らないところで

         作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 葉山たけし
解説 アルバム『MOTHER EARTH』の収録曲の11番目である。摩季ソングに何曲かある、男性の立場に立って歌われた、なんともリズミカルでそれでいて活気に溢れた曲である。
 夢に向かってひた走る恋人を見守り、応援する歌は多く、この歌もそんな曲の一つだが、男の立場で歌われていることと、「守って行く」「そばにいる」といった宣言がある分異彩を放っている。だが注目しておきたいのは、主人公は「君」を守り、励ますと同時に、励まされてもいるということである。それを示す歌詞が「頑張っても頑張らなくても 同じだなんて悲しいよね でも君の無邪気な笑顔 忘れかけた勇気を燃やしてくれるんだ」である。確かに目に結果が見えない努力を続けるのは苦痛ですらある。勿論そこで諦めずに邁進する人間が最終的な成功をつかめるものと確信してはいるが、目に見えずに苦労するからこそ、実益がなくても目に見えるもの=無邪気な笑顔に心癒されるのかもしれない。この文章を綴っていて女性の笑顔に「癒し系」などという言葉が贈られるのがわかるような気がした。
 全体的にリズミカルに流れる曲の中で別の視点から見てみたい歌詞が「どこもかしこもカネばかり ポストには溜め息ばかり いいときゃ皆おかげ様 悪いときゃもう何様」は今の世の中を巧みに風刺していて面白い。特に後半は語呂ともあいまって非常にコミカルに感じる。摩季ソングには拝金主義の現代日本を暗に批判した歌詞が幾つかあるが、この歌詞ほどコミカルで的確なものは他に例を見ない。
 さて、話が逸れるが、摩季ソングに限らず、男の立場で歌われる歌にはダンエモンが個人的に気に入らない傾向がある。それは「僕」という一人称と「君」という二人称である。
 私は恋人同士、または夫婦の会話で男が女を捕まえて「君」と呼んでいるのを野比のび助以外に見たことがない!一体いつから男性ソングはこんなお上品になったのだろうか?もちろん、最近の歌でも「俺」や「お前」といった一人称・ニ人称の使われる歌は多いし、「僕」や「君」を使っていてもいい歌も多い。が、どうも現実離れした一人称・ニ人称を使う昨今のラブソングの傾向には馴染みにくいものがある、勿論個人的な主観なのだが。
 摩季ソングにおいても、女性の立場で歌う通常の曲では直接話法で彼氏が「俺」と言っているが、この「ボクらの知らないところで」を初め、「君に愛されるそのために…」「アレコレ考えたって」、などの曲で主人公が男の立場に立つと「ボク」、「君」が使われる。どうも気に食わない…。現実に即していない気取りを感じてしまう。偏見といわれればそれまでだが、この傾向がダンエモンをして長年歌謡曲から 遠ざけたのは事実である。まあ、女性の口から「俺」という一人称を聞くのは二昔前の演技力のない人気アイドル達が恋愛ドラマでスケ番の役をやって「俺」を使って大ブーイングを浴びた過去(笑)からも摩季さんには「俺」という一人称は直接話法でもないと使って欲しくない気はするが(苦笑)。
 話を本筋に戻そう。この曲の根底にも本音で生きる事の大切さがある。そして主人公と彼女が互いに励ましあって本音を貫いて頑張って生きる果てに辿りつくのが「Wonderful Beautiful world」なのだろう。「ボクらの知らないところ」「Wonderful Beautiful world」は完全にパラレルワールドであり、また、二つの場所が主人公達にとってそうなることを祈って、この歌の解説の締めとしたい。

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