Destiny

作詞 岡本真夜 作曲 岡本真夜 編曲 松本晃彦

解説 真夜さんの8thマキシシングルにして、9thアルバム『seasons』、ベストアルバム『My Favorites』にて各々3曲目に収録。2007年中国人気ドラマ『新・上海グランド』の日本語版での主題歌でもある。

別れの曲を歌った真夜ソングは数多くあり、別れた相手を惜しみ、懐かしみ、再会を切望する曲も「置き去りの約束」「元気でいますか」「花瓶」「もう一度だけキスしたかった」「想い出にできなくて」「この星空の彼方」、と比較的初期にはそれなりに見られた。
 しかし「偶然の再会」とそこに存在する気まずさと切なさを唄ったのはこれが最初ではないだろうか?

 短い時間でありながら極めてストーリー的な曲で分り易い歌詞で綴られているのもこの曲の特徴。「話し合ったはずの 別れ」だったにも関わらず、「偶然の再会」においてかつての想い人(否、歌詞中はっきりしないが今も想い人かも知れない)であるは「目をそらし」、そこに捨て切れぬ過去の想いと理屈では分かっていても心で割り切れない思いから主人公もまた「目をそらし」てしまい、いつの日か笑顔で再会できることを心に期する内容になっている。

 この曲の歌詞はダンエモンの経験からも考えさせられる歌詞が実に多い。冒頭の「偶然の再会に あなたは目をそらした」からして、過去の想い人の何人かは「偶然の再会」にて目をそらすことが容易に想像できてしまう。
 理由ははっきりしている。勝手に惚れて、受け入れられず、きちんと話し合った決着をつけず、時の流れの中でうやむやの内に相手の前から去ったからだ。
実際、ちゃんと決着をつけた初恋の人とは笑顔で再会できたし、元カノは何回か再会し、食事などを共にもしたが、学生時代に2回目に好きになった女性と再会した時は反射的に目をそらした。
 まあ、その女性には横恋慕して振られた上に、再会時には横に恋敵彼氏がいた為に何もできなかっただけで、この曲の主人公とは背景が全然異なるのだが、重ねて思うに、はっきりした決着をつけずにうやむやに終えたかつての恋の相手との再会は間違いなく気まずい(泣)。

 他にも考えさせられる歌詞は沢山あるが次に取り上げたいのは「戻れないあなたとの恋に 永遠を願ってしまうの」「離れるならば どうして出会う」である。
 仏教徒の観点から前者には永遠たり得ないことに永遠を願わずにいられない人間の弱さを、後者には四苦八苦の一つである「会者定離(出会えば必ず別離の時が待っている)」の言を思い浮かべる。
 人間は根本的に無い物ねだりをする生き物である。歌詞中にも「あたりまえのように そばにいたから」とあるが、恐らくその時はそのことに有り難味を感じず、それが「戻れない」ものとなり、心のどこかでそれを認めたくないから「こんなに苦しくなるなんて 知らなかった」「こんなに愛していたなんて 知らなかった」といった、「今更」な後悔が訪れ、強がっていた過去に戻れず、「話し合ったはずの 別れ」にも関わらず、「偶然の再会」「私も目をそらし」てしまったのだろう。

 強がっていた過去や、互いに理解し合って別れた筈であることを触れつつも、歌詞内容は主人公の願望に極めて忠実である。その最たる歌詞が、「偶然の再会」に自らの気持ちを偽れぬ故に直視できなかった後悔から感極まって、堰を切って流れ出た奔流の如く出て来た「許されるなら もう一度 あなたのその腕の中 身を委ねたい」の歌詞だろう。
 このような艶めかしい歌詞は真夜ソングにおいて、最近では滅茶苦茶珍しいという程でもなくなったが、真夜さんが結婚される前では極めて稀だった。だからこそ余計に主人公の遣り切れない想いが見事に強調されている。

 ダンエモンはタイトルである「Destiny」=「運命」という言葉が嫌いである(理由は説明すると長くなるので割愛)。それゆえに主人公と「あなた」の次の運命的な再会は、完全に過去を想い出に昇華した「笑って ふたり 会える日」であって欲しいと願われてならない。


真夜の間へ戻る

平成二三(2011)年三月八日 最終更新