Glamorous Butterfly 〜Purple Haze ver.〜 Dedicated to “Kiina♡”

作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 Yohey

解説 摩季ネェのデビュー30周年記念ベストアルバム『SPARKLE』Disc.1「New Songs」の7番目に収録されている。
 タイトルに「Butterfly」とある様に、物凄く単純に云えば、「ありのままが美しい 蝶のように」生きることを宣言した歌だが、その美しさは単純ではない。

 容貌が醜く忌避されがちな毛虫・芋虫・青虫が蛹形態を経て美しい蝶となる姿に、それまでのあやふやだった恋を脱却してありのままを追求する姿を重ね合わせた歌詞と云えようか?
 冒頭の「ひらり ひらり 花びらのよう 咲いて 散って また微笑って」の歌詞からは、蝶々が光を求める花々が次々と生死を繰り返す如く、これまでの人生や恋愛が何処か流動的だったことが伺える。
 そして「一人に怯えて 孤独になって 心 捨てた先に何があるの?」の歌詞から、その場の恋を放さない為に何処か自分を偽り、距離は近くても心が遠い過去に苦悩した様子が伺える。
 だが、自分を捨てた恋や人生に本当の価値はない。主人公はそれを思い出すかのように、「私はわたし 誰のものでもない」を繰り返すのだろう。この歌詞に続く、「上辺の愛や友情は もういらない」「何かに染められて 変ったわけじゃない 偽りの自分を作って飾って 泣き虫で脆いプライド ナイーブさを守ってただけ」と云った歌詞が、過去を悔やみつつもそれをかなぐり捨てた新たなスタートを志す様を示していると云える。

 これだけの考察だと、単に偽りに満ちた恋を終わらせようとしているだけに見えるが、興味深いのは主人公が偽りそのものを非としていないところである。
 「恋しくて求めて愛に溺れる 馬鹿でも 一途になれるなら幸せだわ」「嘘なら嘘でいい つき通して 痛くても素敵な恋だったと思わせて」という歌詞には、例え始まりが偽りでもそれが真実になる程に徹底して貫くなら、それもまた良し、としている。
「嘘も百万回付けば真実になる。」という表現が時々ネット上に観られ(主にイデオロギー闘争で自分の主張と反対の意見を通そうとする相手への揶揄に使われる)、力づくやごり押しを感じない訳でもないが、結果そこまで貫くということが出来なかった相手に主人公は「冷たく艶やかなサヨナラをあげる」としている。
 偽りを真実にするのは生半可な努力やだらだらした繰り返しで為せる話ではない。「チラつかせるばかりのものを 愛とは呼ばない」としている様に、取り繕いやその場しのぎを主人公は断固として撥ね退けると云っているのである。

 チョット偽りを肯定するような論調を展開したが、大局的に見ると結局余程の信念が無ければ偽りは貫き通せない訳で、それならば真実に生きる方が余程楽で、確実で、後ろめたさもない(一時的な別れの辛さはあるだろうけれど)。それを端的に示した歌詞が「裸のココロ」であろう。個人的にはこの歌詞を聴く度に「そして」が思い出される。

 偽りがあり、本音があり、何を貫くかを苦悩した果ての決意がラストの「両手を広げて自由に羽撃くの 何も捨てず 何も悔やまず 抱き締めて 流した涙よ輝け プリズムになれ そぅ ありのままが美しい 蝶のように Glamorous Butterfly 飛べ」という歌詞に秀逸に表されている。細身でも、美しい翅と舞い方は、正に「Glamorous Butterfly」である。

 最後にチョット、タイトルについて。
 タイトルに「〜Purple Haze ver.〜」とあるが、洋楽に疎いダンエモンでもこれが伝説的ギタリスト、ジミ・ヘンドリックス(以下、「ジミヘン」と表記)の名曲「Purple Haze」から来ていることは分かる。
 だが、この曲にどの部分に「Purple Haze」に関係したところがあるのか全く分からない・…………。否、実のところ、ダンエモンはジミヘンも「Purple Haze」も全くと云って良いほど知らない。
 ただ、道場主が最も好きな漫画家・宮下あきら氏がジミヘンの熱狂的なファン(←崇拝していると云ってもいい)で、代表作『魁!!男塾』を初めとする様々な作品にジミヘンスタイルの黒人キャラ(←ほとんどチョイ役なのだが)が登場し、「地味辺組」や「地味辺出版」といった団体名を出し、ある作品で「Purple Haze」を最も愛好する曲と語っていた。
 そんなジミヘンの代表曲、「Purple Haze」が摩季ネェの曲に関与しているというのにそれに何もコメント出来ないとは何とも無念である………。


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令和八(2026)年八月二日 最終更新