Happy Birthday To Me

作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季

解説 2007(平成一九)年五月二七日、大黒摩季さんのデビュー15周年記念パーティーにて弾き語りで披露され、参加者全員にサイン入りでプレゼントされたマキシシングル(サブタイトルは「〜Cebut 15th Anniversary Special Song Maki's Premium DEMO〜」)。
 収録時間12分50秒は2007年6月11日現在で全摩季ソング中最長。勿論この時点でどのアルバムにも収録されておらず、市販もされていない。駄洒落を言う訳じゃないが、アルバム『O』に収録曲の名前の如く、「この日のために」生み出された曲と言える。

 ある意味 LIFE〜episode 〜誕生〜に続き、それ以上に感慨深い自叙伝的摩季ソングであり、同時に未来への決意と、アーティスト・大黒摩季が今在ることを多くの人々に感謝しながら理想の自分と向かい合い続ける様を歌った物である。

  LIFE〜episode 〜誕生〜が1969(昭和44)年12月31日にこの世に生を受けた大黒摩季=大黒摩紀の半生(?)を綴ったものであるのに対して、この曲は1992(平成4)年5月27日に「STOP MOTION」でシンガーソングライターとして世に出た大黒摩季の誕生を祝い、それから経過してきた15年を振り返り、時に反省し、時に感謝し、時に決意し、時に夢見続ける内容となっている。

 通常、「Happy Birthday」と言えばその対象となるのは二人称であることが多いが、この曲ではデビュー15周年を果たし、これからも活動を続ける自分自身=「Me」に向けたものであり、その記念日となった15年前の同日を自分自身にとって「この世に舞い降りたスペシャルな日」「この時代に送り出されたスペシャルな日」「明日を生きること許されたスペシャルな日」としているのだが、アーティストとして誕生=デビューしたことに対する感慨を歌うとともに、夢叶った第一歩が荘厳であり、そこに至るまでに決して独力だけではならないことであり、誰にでも出来るわけではない限られた人々だけが立てるスタートラインであることが読んで取れる。
 デビュー曲や人気アニメ・映画・ドラマと絡んだヒット曲数曲で消える歌手が決して少なくない芸能界で15周年続けてきたことが如何に大変であることが素人であるダンエモンの身にもヒシヒシと伝わってきた気がし、同時にかつて某マラソン選手が言っていた「自分で自分を褒めたい気持ち」とはかようなものであるのか、とも考えさせられた。  アーティスト・大黒摩季の誕生日を祝って切り出した歌詞はそれぞれの直後に「上手く生きれてはないけれど アリガト… 生んでくれて」「ありがとう 支えてくれて」「ありがとう 愛してくれて」という風に、両親と(恐らくは)アーティスト活動を支えてきた各種スタッフ、摩季さんを愛したファンに対する謝意が続いているのが心地良い。

 謝意と互い違いにやって来るのは自叙伝的な大黒摩季としての日々への回想とも取れる歌詞である。
 15年とはおぎゃあと産声を上げて生まれた赤ん坊が中学校を卒業するまでを過ごす時間に等しく(←当たり前だ)、そこに何の変化もない人間はまずいないだろう。
 摩季さんの15年への敬意の意味からも歌詞を詳細に辿り、解説したいが、「ひとりぼっちでなんかいると ちっぽけな自分ばかり見えて悲しいから いつも誰かに祝われて空騒ぎ 矛盾の泡 飲み干してz z z 。。。」 の歌詞には様々な孤独に耐えてきた摩季さんの姿が、見た訳でもないのに連想される。恐らく上京から今日に至るまで摩季さんは様々な「孤独」と直面せざるを得なかったのだろう。
 軽く想像してみても、家族や故郷の友と別れて一人東京で暮らした孤独、自分より若いアーティストに追い抜かれたり、コーラスとしての仲間がいつつもデビューならぬ身でアーティストとして同じ世界に生きる人々の輪に入れない孤独、自分の本当の気持ちを歌詞や曲に表せずに本当の自分を見てもらえない孤独等がと文の世界に生きる事を夢見る自分に重ね合わせることで容易に思い浮かんでしまった(苦笑)。

 「そうね 今年は節目だし 振り返ってみたりこれからのことを考えてみよう いつからか聞こえなくなった 理想の私からアタシへのSweetメッセージ」の歌詞からは歌詞中の随所に今現在の自分自身を「アタシ」として「理想の私」と向かい合わせている。
 理想とは誰しもが持ちながら、誰しもが容易に叶わず苦悶し、それを捨てるときには多大な精神的苦痛を伴う。捨ててきた理想は誰にでもあるだろう。だが、摩季さん同様、ダンエモンもまた常に「理想の自分」を思い描き、向かい合うことを忘れたくはない。
 もっとも、ダンエモンが仏教・菜根譚の教えに乗っ取って、災境に騒がず、万物を愛し、でしゃばらずに本当に必要とされる時に電光石火の如く動き、偏見で人や物を見ず、喜怒哀楽を人一倍強く持ちつつもそれに呑み込まれない、心身ともに逞しく、折れない負けない諦めない心を持つ理想の人物=常日頃目指している真の菜根道場道場主になるには全然修業不足なのだが(苦笑)。

 それに続く、「本当の自分が どれなのかもわからないくらい 変わり続けてきてしまったけれど 好きなところはわかる よく頑張ったよ 悲しいくらいに強くなったよ 確かにいっぱい傷ついたけれど 傷つけることは少なかったよ それでいいんだよ」の歌詞には15年の時の中で所々変わらざるを得なかった自分を振り返りながらそれでも自分の好きなところ、悲しいことに遭遇しつつ強くなってきた面を見つめているであろう摩季さんの姿が想像される。
 一つダンエモンが羨ましいのは「確かにいっぱい傷ついたけれど 傷つけることは少なかったよ それでいいんだよ」の歌詞である。ダンエモンとて個人として,社会人として,仏教徒として、自らが傷ついても人を傷つけまいとして生きてきているが、実際には(望んでやったことではないにしても)少なくない数の人々の心を傷つけて生き続けていると言わざるを得ない。情けないことに大黒摩季ファ・ダンエモンとしての活動の中にも同じ摩季ファン仲間を文章や言葉で傷つけてきた身の覚えがあり、時に辛辣な言い返しや険悪な視線でその意を返されて来たこともあった。また損な自業自得を含め周囲の人間の言動に傷ついて来たことも数知れない。
 人間が生きている以上ある程度は致し方のないことだろうけれど、それでもせめてこれからは摩季さん同様、「確かにいっぱい傷ついたけれど 傷つけることは少なかったよ それでいいんだよ」と言い切れる人生を歩む為に精進を重ねなくてはと思う。

 13分近い歌詞の中盤は上京からデビューまでの摩季さんの思い出が綴られている。
 「夢追いかけ飛び込んだ東京 砕け散った自信ぷかぷか揺れる目黒川 ダイアモンドは岩盤まみれ 砕石されないアタシは人生の研磨待ち」の歌詞にはエッセイ『ありがとうなんて絶対言わない』にも詳しい、夢を持って断行した上京と直後の数々の挫折が自信を打ち砕き、自らの力で掴みとるものであることを理解しつつも、いつ来るとも分からないデビューの時が来らない日常に切歯扼腕する様を未来においては光り輝いても研磨前は岩盤中の炭素の塊に過ぎないダイアモンドに例えている様が秀逸だが、これは同時に多大な才能を秘めつつも開花させられずにもがいている多くの若者が世にいる事を教えられ、また日々の研磨を怠っていては未来がないことも教えられる。
 そんな日々の中、意を決して断行した渡米が「どうせなら腕試しアメリカ 場末のクラブ目をつぶって歌ったNY 例えば周りが見放しても 自分を見捨てたくなかったLast Chance、Broadway」に記されている訳だが、その直前に提出した「STOP MOTION」がデビューを為したことが記念日を振り返る歌の歌詞を深く、感慨あるものとしているのが何とも言えない。
 「なんにもないけど 夢だけが明日をくれた まっすぐ生きることは痛くて 損でも""らしく""いたくて 間違ってないよ ただ少し疲れているだけさ 都会の流れについてゆくこと それがテーマじゃない 思い出した 気づけばいいんだよ」と言い切れるのも何にも無いようでも夢と多くの人々の様々な情があって、自分が自分であることに邁進してきた摩季さんだからこそなのだろう。
 「都会の流れについてゆくこと それがテーマじゃない」とは理屈では分かっていても、気がつけばそうしてしまっていることに愕然とさせられる「世間」と言う名の罠かも知れない。まして芸能人ともなれば歌詞中に描きたい自分の理想と世間が求める夢が必ずしも一致せず、前者を優先させれば世の支持を失った人気の低下が自らのアーティスト生命を危うくしかねず、後者を優先させれば大衆に迎合する事で人気や富貴は得れても本当の自分が死んでしまうことになりかねない。故にそんな芸能界に15年以上身を置きながら、「損でも""らしく""いたくて 間違ってないよ」と言い切る摩季さんにダンエモンは心からの敬意を抱くし、「ただ少し疲れているだけさ」という本音を滲ませる歌詞にも微笑ましいものを感じる。

 さて、摩季ソングにはCDの歌詞カードに記載されないラップの部分があり、「チョット」のそれなどは言えるかどうかがファンとしての第一歩を固めているかどうかのバロメータにもなるわけだが(笑)、この曲では歌詞カードに記載されているのが珍しく、それ以上に嬉しい。
 摩季さんの「強くてもしなやかで シャープでも人間くさい 粋な女性になりたい 実力があってもひけらかさず 仕事も遊びも一生懸命で 無邪気でやんちゃな大人になりたい」という願望に始まり、「ありがとう、ゴメンナサイと素直に言える ふくよかで清々しい純な人になりたい 嵐の日にも微笑んで すべてのものを抱きとめる 海のような人になりたい」という理想の自分に向い合う言葉を摩季さんは「コレ全部いつかのアタシが 空に願った言葉だよ」と語っているが、これは長く変わらない理想を抱きつつ、なかなかそこに到達できず,それでもそうあることを忘れまいとする摩季さんの主張なのだろう。
 殊に「実力があってもひけらかさず」の部分には、「実力」も無いくせに、時にマニアックに詳しい知識を「実力」と勘違いして「ひけらか」しまくってきたダンエモンには頭を殴られたような衝撃が走った(苦笑)。この傾向は若き日には滅茶苦茶ひどかったが、今でも完治したわけではない。
 そんな中で最も心捕われた言葉は「すべてのものを抱きとめる 海のような人」である。直後の「空に願った言葉」と相俟って、「空」「海」に空海こと、弘法大師様の尊名を見出してしまったのだが、そんな広い心の重要性を語れるアーティストが世に何人いるだろうか?勿論言葉だけで語るアーティストは掃いて捨てるほどいるかもしれないが、歌詞と曲と声と生き様で実感させてくれる人はそうそうはいないのではあるまいか?

 終盤に入り、歌詞は「愛」「優しさ」「夢」「光り」といった人間の持つ温かみであり、原動力であり、ともすれば失いそうになる物と対面する。その答えは「自分の手で閉ざさないで」の歌詞を見れば明白で、人間誰しもが生まれながらに、そして生きている限りは持ち得る物(逆にそれを放棄した者をダンエモンは「人間」と認めない)で、それゆえに「自分の手」で挑んでいくことの大切さをまた一つ深い意味で教えられた気がする。

 歌詞全体を締めるなら、読んでいて、聴いていて摩季さんの全身から滲み出るのは万物に対する感謝の念だろう。そしてそれは記念すべき日を迎えることが出来た15年間に関連してきた全ての存在が対象なのだろう。歌詞の最初に「上手く生きれてはないけれど アリガト… 生んでくれて」とあるが、自分を世に為し、産んでくれた存在=両親があって今の自分が存在する第一歩が踏み出されていることを語り、感謝しているのが家族想いの摩季さんらしい。
 二昔前の漫画やドラマにはグレた少年少女が親に対して、「誰が産んでくれって頼んだんだよ!」と言っては自らの人生がままならない事への苛立ちを八つ当たりするシーンがあったが、道場主はそういう事を言う連中が大嫌いである。そんな奴等には「じゃあ、親に「産んでくれ」と頼んで産まれて来る奴がいるのか?御前がそうやって言いたいこと言えるのも、嫌な事に対して憤れるのも生きているからこそ、産んでもらったからこそなんだぞ。そんなことも分からないのか糞馬鹿野郎!」と怒鳴りつけたくなるし、実際に怒鳴りつけたこともある。
 今更ダンエモンが言うまでもないことだが、摩季さんには万物に対する感謝からくる美しい心で、愛で、情念で、これからも「親愛なる理想の私」と向い合いながら、人間の根本ではデビュー前と変わらず、それでいて成長することを忘れない真のアーティストであって欲しいとの思いを今まで以上に感じ、15周年記念パーティーでこの曲を弾き語る摩季さんを目の当たりに出来たことに無上の喜びを感じる次第である。



おまけ 大黒摩季さんのデビュー15周年を記念し、節目の年にこういう素晴らしい曲を送ってもらえたことに感謝しつつ、この曲に対しては特別にダンエモン=菜根道場道場主の他の分身達にもそれぞれの立場で祝辞を述べさせたいと思います。
戦国房薩摩守  大黒摩季殿、デビュー15周年誠におめでとうござる。
 貴女の、記念日にあってその基となった存在に対する謝意に溢れている様には感服つかまつった。
 七年前、NHK大河ドラマ「葵・徳川三代」で大坂城落城の際に豊臣秀頼が母・淀殿に「来世でもまた秀頼を産んでくだされ!」と言っていたシーンがござったが、両親に、夫に、友に、仲間達に、ファンに、愛猫達に深い愛情のある貴女だからそれを世に感動と共に伝えることが出来ると信じ、今後の活躍も見守り続けまするぞ。
特撮房シルバータイタン  摩季さん、デビュー15周年おめでとうございます。流され易い世の中の流されない・流されてはいけないものを、理想崩れやすい世の中の崩してはいけない理想をこれまでの活動に見た気がします。
 世の人々は須らくないものねだりをします。特撮番組も、世の正義・愛・モラルが失われようとするからこそ、危機感と供に生まれるという悲しい現実背景があります。しかしながらダンエモンはそんな世に甘えや嘆きではなく、いつの日か、「信じ、追い続けて来て良かった。」と思える日の為に摩季さんとともに頑張っていくでしょう。
 人にはそれぞれに理想があり、ある人の理想が叶えば別のある人の理想が打ち砕かれることもありますが、どんな理想であろうとも丸で理想を持たない人よりは尊いと私は思います!
法倫房リトルボギー  15周年おめでとう!!15年の時の中には様々な事があり、否応無しに曲げてきたことや、諦めて来た事、過去の自分なら絶対に容認しなかった事を為してしまった事もあると思う。だが理想通りに何でも事が運ぶなら誰も苦労せず、アンタの歌もある意味必要でなくなる。
 アンタの歌を求める人の数だけ、アンタと理想を共にする人がいることを信じてこれからも頑張って欲しい!
 ダンエモンは馬鹿だが、馬鹿は馬鹿でも「摩季馬鹿」である事を生涯の喜びとするだろう!これからもヨロシク!

 

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平成一九(2007)年六月一一日 最終更新