HEAVEN’S WAVES

作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 西平彰

解説 アルバム『POSITIVE SPIRAL』の初回特典DVDに同アルバムの13曲目として収録。サブタイトルに「〜Dedicated to NATSUKI IIJIMA〜」(飯島夏樹に捧ぐ)とあるように、また冒頭で「世界で一番強く美しい 伝説のSURFERが 夏を待たず 海に還ってゆきました」とあるように、日本人で唯一、8年間ワールドカップに出場し続けた世界的プロウィンドサーファーで、38歳という若さで肝臓癌の為に2005年2月28日にこの世を去った故飯島夏樹氏に捧げられたものである。

 本来、この曲が一個人に捧げられたものであり、ダンエモン自身、夏樹氏のこともプロウィンドサーフィンの世界のことも全くと言いていいほど知らない身で解説を綴ることにおこがましさを覚えないでもないが、すべての摩季ソング解説をコンプリートする『摩季の間』創設意思に従い、極力摩季さんの飯島氏への気持ちには介入しないよう慎重に筆を進めたい。

 晩年、肝臓癌だけではなく、パニック障害など精神面でも苦しまれた飯島氏を支えた物は他ならぬ家族の愛情で、感じ入った飯島氏はライターとしてその思いの丈を綴り続けたそうだが、飯島氏の苦闘への労いが「痛んだウェットスーツを脱ぎ捨てて やっと自由に 波に乗れるね」「はり裂けそうなSAIL張り直して やっと笑顔で 風に乗れるね」の歌詞に、そして闘病の中で多くの人々に希望を与えたことへの称賛が「たくさんの希望の中 せつなく孤独をうたう 贅沢なわたしたちに 希望のチカラ 教えてくれました」「いくらでも選べる道 ふさいで諦めを笑う 貧弱なわたしたちに 勇気の使い方教えてくれました」の歌詞に表れている。

 確かにチョット調べただけでも飯島氏の闘病はとてつもなく苦しいものであったことが伺え、ネットでチョット調べただけの者にそう映るぐらいだから、当の本人並びに御家族や周囲の友人・知人達の苦悩は筆舌に尽くし難いものがあっただろう。
 闘病の果てに命を終えた時、故人へのせめてもの慰めに、苦しみから解放された、と捉えてあげる向きがあるが、そう考えると「痛んだウェットスーツ」の歌詞が生々しく、同時に涙を誘う。
 「伝説のサーファー」として生きた男が、若くして「伝説」になってしまったことは悲しいことだが、「伝説」と闘病の中で世に送った多くのメッセージが残された人々の希望・勇気・活力となった時、「もし 愛が恋しくなった時には 天国の浜辺からボードをたたいて あなたの波を送ってね」「もし愛が恋しくなった時には 天国の波間からSAIL揺らして あなたの風を送ってね」の歌詞のように、亡き飯島氏の魂と雄姿は彼が生前愛した愛された人々の元へ還ってくるのだろう、「HEAVEN’S WAVES」に乗って………。


 「セルフライナーノーツインタビュー」によると実際に摩季さんと飯島氏と会ったことはなく、それでも夏樹氏のエージェントを務める知人から夏樹氏の話を聞いている内に夏樹氏と会って交流を持っていた気分となり、訃報に接した際にもらい泣きが本泣きに転じ、夏樹氏の細君・ヒロコさんと、死に別れた夏樹氏を「繋いであげたい」と思った時に、自然と詞と曲が湧いて来たとのことで、この時の自分を振り返って摩季さんは、「自分がこんなロマンティックな人だとは思わなかった。」と述懐してる。

 末筆ですが、謹んで飯島夏樹氏のご冥福をお祈り致します。


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平成二〇(2008)年三月三日 最終更新