忘れないで

         作詞 椎名恵 作曲 羽場仁志 編曲 勝又隆一
解説 椎名恵さんの10thアルバム『蒼の時刻』の7番目に収録されている。人聞きの悪い言い方をすれば横恋慕の歌で、同アルバムリリース時の1993年10月には定着していなかった言葉だが、21世紀の現在では「ストーカー」との誤解をする馬鹿も出かねない描写が見受けられる。
 歌詞の流れを解説すると、彼女持ちの男に惚れた主人公が何とか隙を見つけて我が物としたい、そしてそのための準備に細心すると共に自らにもいつの日かの勝利を呼びかける様をボクシングのジャンパンチに例えて、「愛のJab」としている。
 道場主も過去に何度か横恋慕した経験があるからわかるが、想い人に恋人が居る状態でストレートにアタックしても玉砕し、双方が嫌な思いをし、人の不幸を笑う第三者が嘲笑するだけである。
 かと言って大人しく(?)二人の破局を待っているだけではいつになるか分からない上に、分かれてから動き出しても成功率は低い。
 となると横恋慕物の取るべき行為は二つ。一つはさり気なく相手が自分に好意を抱く種になる様に相手に尽くす、それも恋敵の手が届いていない行為が望ましい。
 その点主人公は「突然の雨」に偶然を装える様に「ひとつ余計に 持ち歩いた傘」と言う下準備に余念が無い様がグッド(笑)。また「今の彼女は あなたのために こんな努力は しないでしょうね」と言う視点で「すべて外した 指輪イヤリング」といったアピールもナイスである(笑)。
 だがこういう点だけを見て下卑た笑いを浮かべているようでは「待ち伏せだって 何でもするわ」の歌詞を見て「ストーカーだ!」という短絡者で椎名ファンとは言い難い。
 大切なのはサビの部分にある「いつかはきっといつかは 私を好きになる 最後にきっと最後に あなたも気づくわ」という信じ抜く心である。その理由の説明の為に少々話が逸れる事をお許し願いたい。
 はっきり言って横恋慕は辛い。恋敵の前に敗色濃厚な中戦わなければならないもそうだが、成功を収めるためには愛する人に恋敵の愛を拒絶するという、一種の「裏切り」を行う事を期して、果ての見え難い待機をしなければならない。
 道場主は振られた事しかないから分からないが、恐らくは振るのも心苦しさが伴うと思う。「愛」と言うすばらしきものを自ら拒絶するのだから。そして横恋慕とは必ずその拒絶を行う事を強要する行為なのである、拒絶対象が自分であるか恋敵であるかだけの違いで。そんな辛い選択を愛する人にさせる事を何とも思わない奴は横恋慕を絶対にするべきではない。
 更に横恋慕は相手が恋人を拒絶して、自らの下に来てくれることを期して行われる訳だが、願い叶った暁には相手が自分の恋人となる事を考えれば、想い人は簡単に恋人を振るような人間では困るのである。
 ここで話が戻るが、上記のジレンマ・辛さに耐えて、自らの信念を貫くためには想像を絶する忍耐、信じて待つ、と言う行為が必須である。それゆえに「Jab!」の如く様々な手段、と言う手数を出しつつ、ノックアウトパンチを出すタイミングを図る忍耐のためにも「いつかはきっといつかは 私を好きになる 最後にきっと最後に あなたも気づくわ」と根拠が無くても思い続けることが大切なのである。
 結局のところ、「傘」「待ち伏せ」「指輪イヤリング」も手段に過ぎず、それこそ「Jab」の如く決め手にはならない。そしてノックアウトを呼ぶ決め手のパンチはその時が来ないと分からない。
 故に勝利のための「Jab」「いつかは」を信じて待つ心の強さが無いとこの曲の魅力は完全には把握できないし、何より、それらを理解せぬままの横恋慕は全ての人にとって不幸を呼ぶ事を経験上訴える事で締めとしたい。



恵の間へ戻る