悲しみは続かない

作詞 麻生圭子 作曲 Jim Steinman 編曲 戸塚修


解説 椎名恵さんのフォースシングルで、意外にもリリース時にアルバムに収録されていない。が、代表的椎名ソングの一つである同曲はベスト版やバラード集の度に収録されていて、道場主はそれらのものを所持している。
 初期の椎名ソングの例に漏れず、これまた洋楽のカバーで、ジム・ステインマンの「GOOD GIRLS GO TO HEAVEN,BAD GIRLS GO EVERYWHERE」が原曲である。フジTVドラマ『この子誰の子?』の主題歌として毎週水曜日のゴールデンアワーに放送されたのを当時ダンエモンも目にした。当時中学二年だったダンエモンは若手俳優(名前は秘す(笑))の臭過ぎる演技と余りに救いのない展開に頭に来ていたが、前田吟、新克利、梅宮辰夫諸氏といった熟年俳優の好演と椎名さんのこの曲を聴きたいがために毎週見ていた(笑)。

 懐かしさからどうしても背景描写に力が入るが、ここらで(苦笑)本来の目的である解説に入りたい。何と云ってもこの曲の魅力は絶望・失望という名の暗闇をさまよう者に見えない筈の、聞こえない筈の未来の自分が語り掛けるという、有り得ないシチュエーションによる叱咤激励の心を歌にしているところにある。
 冒頭だけ聴くと主人公の置かれた希望なき状況は「傷みの度 疑うことを覚えた」「投げ出した 夢の数 左手じゃ足りない」「いつか夢のドア ノックすることさえ 忘れようとしてた していた」といった表現から見ても、数々の夢に敗れ、それ以上傷つきたくない一心で夢や希望を抱くまいとしている姿にも見える。初めから期待しなければ傷つくこともない、という弱者的諦観である。
 この俺ダンエモンは豪傑・塙団右衛門の名を借りているのとは裏腹にひ弱な男である。それでも「夢など抱かないほうが幸せ」などという小知恵を信じない。人間として一個人として最低限持たねばならない強さは理解しているつもりである。それは自分が本当に何を望んでいて何を恐れているかを認める強さと確信している。
 弱者だけを相手に勝ちに奢って自らを省みない偽りの強さなど弱さの極みである。そしてそれを証明する歌詞が「だけど このままで いては いけない いられない 信じる愛は きっとあるわ わたしだけの さあ 両腕で 夜明けを抱きしめて 振り向かずに 夜明けを駆け抜けて」である。

 どんな詐欺の天才も自分自身を偽ることは出来ない。初めから期待しなければそれを裏切られることは確かにない。しかし、それでも生きている限り何かを期待せずにはいられないのが人間ではあるまいか?月給一億円は夢物語でも給料が一万円上がるという期待には全力を尽くすだろう。絶世の美女をものに出来なくてもバストが大きいとか、スリムな体系とか、ポニーテールが似合う、とか云うワンポイントの期待ぐらいは自然と抱くだろう。社長や大臣になれなくても課長や官僚の一端ぐらいは資格や適正で大半の人にとって達成可能の夢である。
 望むものは望めばいい、そんなことにすら勇気がいるとは世知辛い世の中だが、要は自分の心に素直になればいいのである。そしてそれが実現することこそが理想であることは本来誰しもが理解していることである。

 この歌の訴えるところが決して無理難題を云っているわけでも、超人にしか達成出来ないことを云っているわけではないことを表すのが、コアである「人は誰も弱くて 間違いを起こすけれどOh ホントの愛があれば 乗り越えていける それを 見つけるために そして 守っていくために どんな 暗闇も くじけずに 生きて いかなければOh 昨日はBye Bye」である。前述のドラマではこの部位に合わせて砂漠の蟻地獄にもがきながら落ちて行く主演・杉浦幸さんの映像が流されていたが、歌詞の訴えたいことがそこに篭められているようで興味深く見ていたのを覚えている。

 最後に触れておきたいのは「未来の記憶」である。ドラマの歌詞には含まれていなかったが、本来見聞きできる筈のないものに確信を抱くのは難しいことである。それを敢えて実現可能なものと思いこむことでエネルギーにする決意が清々しい。信じることは疑うことより難しい。しかし難しいことだからこそ信じることはエネルギーとなり得るのである。疑うのはいつでも出来る。それよりこのサイトを見た人が信じることの大切さを認識し、明日へのエネルギーを生んでくれれば道場主の化身としてこれにすぐる喜びはない。


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令和五(2023)年九月二一日 最終更新