この日のために
解説 努力をすることは尊いこと、例え敗れても傷ついても倒れても、最後の最後に勝利し、笑う、そんな日の為に人はもがきながらも懸命に生きているのかもしれない。そんな最終局面の希望を語る一方でスタートする一瞬のときめきをも教えてくれるのがアルバム『O』の12番目に収録されているこの曲である。
この曲はタイトル通り「この日のためにすべてはあった」と最後の喜びを歌いながら、一方で「素晴らしいことは新しい時めきそのものより 歩き出せたこと」と言う歌詞でスタートした時のことも重視している。そしてそれは全く矛盾していない。正しく、そのスタートも「この日のために」あるのだから。
この部分を少々仏教的観点に傾倒させて例えると浄土宗の法然上人が思い浮かぶ。その昔、浄土宗の内部で、「南無阿弥陀仏」と念仏するのは一度でいいとする「一念」派と何度でも念仏すべき、という「多念」派の論争が起きたとき、上人は「私は日に六万偏念仏します。ただし信心を得るための一念も大切です。」といわれた。ダンエモンは真言宗なので、浄土宗に関しては全く仏教を知らない人より少しましな程度の知識しか持っていないので、この例えは不穏当かもしれないが、何処か相通ずるものを感じたのは確かである。
スタートも過程も結果も決して軽視してはならない。「勝てば正義」、「結果がすべて」という成果しか見ない非情の歌では決してないのだ。スタートも過程も重んじればこそ「この日のためにすべてはあった」と歌えるのだろう。「すべて」には当然楽しいことや嬉しいことばかりを含むのではあるまい。
忘れてはならないのはこの歌が「この日のためにすべてはあった」と自信を持って歌えるのは偏に不変の心を持ちつづけていたからだ、とダンエモンは見ている。「叶わない思いばかり続いていたから」、「ひとりぼっちは嫌と 泣きじゃくったあの日は愛を信じてた」、「素晴らしいことは輝き出した恋そのものより 信じられること」といった歌詞に抱き続けてきた想いが見られ、更に「悲しみはいつでも傷ついたこころそのものより 夢を捨てたこと」、「もっと好きになっていい? 今ならまだ引き返せる 大丈夫 痛みに慣れてるなら」といった歌詞が迷いも持っていたことを告白していることに注目したい。
この幸せを、迷いや辛いことがあって、それでも抱き続けてきた願いだからそれを誇りに強く生きて欲しい、とダンエモンはこの歌の主人公に呼びかけたい気分になる………ん、何、何の用だシルバータイタン…………。
(閑話休題)
えー、特撮房のシルバータイタンがこの曲に関する思い出を語りたいそうなので、少々バトンタッチします。特撮に興味のない方は構わないので以下の文章を無視して下さい(以下シルバータイタンの解説)。
このアルバムがリリースされて約一ヶ月後の話なのだが、私が愛好していた「仮面ライダーアギト」の最終回が放映された。この番組ではアギト・G3・ギルスの三人の仮面ライダーが出てきたのだが、このうちG3は警視庁が開発した一種のバトルスーツで、放映開始当初はとても弱かった。
しかし回と敗北と強化を重ね、最後には敵将の一人を追いこんだ。その際に相手が「お前はアギトではない、アギトでないお前が何故ここまで戦える…。お前は何者だ?!」と問い掛けた。それに対してG3の中の氷川誠(要潤)は「ただの人間だ!!」と言い放った。
私はTVの前で万歳したよ。そしてこの台詞−引いてはこの台詞を言えるほど強くなった「この日のためにすべてはあった」のだと。勿論この「すべて」とは警視庁の屈辱の中での努力、そしてライダーに頼りっぱなしだった生身の人間が自らの武器で勝利するまでの長く苦しかった過程を含んでいる。この尊い気持ちを伝えたくて少々お邪魔してしまった。それでは私は特撮房に戻ろう。
(ダンエモンに戻って)人の房の3分の1も占めていきやがって…。コホン、最後にこの歌はその要諦から結婚式などで歌う歌としても適したものであることを記してこの解説を終わります。
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