クラクラさせてよ

クラクラさせてよ

作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 葉山たけし


解説 ファースト・マキシシングル「虹ヲコエテ」のC/W曲。修復不可能となった恋を断ち切る歌である。
 いきなりだが、歌詞の半分を締める英語はかなり難解である(ダンエモンが無学なだけか?)。文中に「MAKI」の名が出てくるので必死に解読を試みたが、日本に日本語を学びに来た人がいることや黄金より価値のある愛を持つことの大切さや精神的に強くあることについて書いてあるような気がする程度にしか読み取れなかったし、TIZの正体も不明である。
 ちなみに平成13(2001)年8月に赤坂BRITTZで行われたライブではこの英文を黒人が歌っていた。日本語を勉強に来たのはあんたかい?!

 ともあれ、日本語の歌詞の解説に入る(苦笑)。「"俺だけの責任じゃない"」に対して「"それは私のせいじゃない!"」という歌詞があるように主人公と彼氏の仲はかなり険悪な様である。もっとも前者が口に出された台詞であり、後者が口外されなかった台詞であることや互いに全く責任というものを無視している訳じゃないことは無視してはいけないが。
 そして主人公の決断が「もう止めよう あきらめよう」である。一見摩季ソングには珍しい傾向に見える。しかしその決断はあくまで希望に燃える未来を見据えている。
 さてその未来だが、「泳ぎ出そうひとりきりで 不確定な未来に全てを賭けて まっすぐ突っ込んで行く」と歌っている。「不確定な未来を承知で「全てを賭け」るのだからこれはかなり危険なギャンブルと云わざるを得ない。
 人間勝算を度外視して危険な賭けに出れるのは「どう転んでも来れ以上悪くならない。」と考える時が大半だろう。そんな悲壮感がこの歌からは伝わってくる。「灼熱の風」さえも本当は生温いのではなんだろうか?

 だが主人公は決して自暴自棄になっているのではない。
 「手に入れたい!シアワセイッパイ!」が望みなのである。そしてそれが何処にあるのかと云うと「燃えるような恋」「身を焦がすような夢」なのである。そこを考えると主人公が今捨てようとしている恋は「燃えるような」熱さに欠けるのではないだろうか?
 「傷だらけの太陽」はまさにその象徴ではないだろうか?危険でも熱くありたいとの願いと思われてならない。

 さて、個人的に歌詞のストーリーとは別途に一つの表現として注目するのが、「いくつかの真実よりも 知りたいのは一つの事実だけ 勝手なルールの解釈は あなたも他の大人と一緒だね」である。  「真実」に対して「事実」という表現が興味深い。物事の一般的な定義上の姿ではなく、ありのままを知りたい,と云うことだろうか?
 そうだとして、最終的に主人公が彼氏に何を求めていたのかが分からない。考え付いたのは目の前の事実を受け止めて、すべてに傷付く覚悟を持ってやり直そうとするのなら彼氏を許す気持ちが主人公にあった、とダンエモンは取るのだが、残念ながら憶測の域を出ない。
 総括するとこの歌にあるのはもがくほどに熱さを求める主人公の姿である。やはり傷つくことを恐れている様では成功を手に入れられても充実感を手に入れることは出来ない、と語りかけてくる様である。

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令和五(2023)年九月一五日 最終更新