latitude 〜明日が来るから〜

作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 徳永暁人

解説 摩季ネェの14thアルバム『MUSIC MUCSLE』Disc1「FIGHTING MUSCLE」のトリである14番目に収録されている。その割には物静かな曲調で、しかしながら新たなスタートへの決意が静かながら力強く述べられている歌詞が、どこか同アルバムの2枚目であるDisc2「RESTING MUSCLE」へのバトンタッチ的な役割を担っているように見える。

 タイトルの「latitude」だが、日本語に直すと一般的には「緯度」という意味だが、その緯度から様々な方面を見渡すと云う意味から派生した「自由」という意味もあり、この曲では後者の意味であろう。

 冒頭、「青い風がそよぎ渡り 若い緑が踊る」と美しい自然で切り出されながら、直後には「短い夏のラプソディー 煌めくほど 淋しくて」とあり、恐らく主人公は恋を失ったのだろう。
 そして「As time goes by 広い世界 憬れながら 心のレンズは 狭い世界ばかり追いかけて」「傷つけないように傷ついて 愛されるために 愛を押し殺して来たけれど」「あなたに伝えたい 思いや言葉 温もりや夢 どれだけあっただろう」とあることから、恋に対して主人公は安全策を取って知らず知らずの内に視野を狭くしたり、想いを隠して言葉を選んだりして自分らしく生きられなかったことを悔いているのだろう。

 分からないではない。

 口から先に生まれて来たような多弁男で、様々な舌禍を繰り返してきた道場主(=ダンエモン)だが。これでも過去の恋において、云いたい事の五分の一も云えてなかったと思っている。日常生活における様々な対人関係にあってさえ要らざるトラブルを避ける為に見ざる云わざる聞かざるを重んじなければいけないことは多々ある。まして惚れた相手となると、「この一言を云えば終わるんじゃないか………?」、「これ云ったら、大きなイメージダウンになりかねん……。」と思ったこともあれば、そんな思考以前にその場の空気に黙らされたことも数知れない。
 まあ、そこまで極端かどうかはともかく、主人公はかなり自分を押し殺してきたのだろう。そして恐らくは演じ切れなくなったことが恋の終わりとなったのだろう。

 だが、歌詞の核はそんな苦い思い出や失敗をも昇華して次の人生や恋に向かおうとしていることである。そしてそれは主人公自身にとっても未知の世界で、だからこそ不安より希望を優先し、前を向こうとしている静かでも大地に根を張るような心の強さが心地良い。

 時系列でみると、「もう自分を責めたりせずに そっと許してあげよう 人知れず咲く花のように 自由に自然に 〜latitude〜」とあることから、主人公は過去に対して後悔も反省もあり、その折にはかなり自分を責めたと思われる。
 それに対して「明日が来るから 切なさも やるせなさも 過去にかわるから さぁ 新しい私に会いに行こう」と未来に前向きになっている訳だが、未来を見据えているからと云って、現在を軽んじている訳ではない。それどころか、「いつかじゃない 今 届けて 自分を好きになろう」とあるから、まず現状への強い自己肯定があっての話なのである。

 自己肯定は簡単な様で難しい。
 余程失敗知らずの人生を送って来た人間か、謙虚さの欠片もない思い上がり人間でない限り自己嫌悪からは逃れられない。現状に完全な満足を抱いている人間ならともかく、多くの人は現状に対して何らかの改善を求めており、満たされない現状への原因を周囲に求めて反省しない人間も少なくはないが、即座の解決を為そうと思えば、多くの人は「自分から動かないと………。」と思うことだろう。
 となると、解決を図る前段階としての原因追及を行う際に自己を嫌悪し、責めてしまうことが難しくない。
 勿論完全肯定が極少なように、完全否定も極少である。失敗や後悔の中にも自分の長所・成功例に固執し、「自分は悪くない!悪いのは相手や周囲!」と開き直れば自己嫌悪には苦しまずに済むが、問題解決の為に相手や周囲が変わるの待ち続けなければならなくなる。しかもそれが何時になるのか?永遠に来ないんじゃないか?という拷問にも等しいやきもきした気持ちを抱えながら、である。

 かように、過去・現在・未来、後悔と前向きさ、と様々な事柄を考えさせられるこの歌だが、最後に注目したい歌詞は「明日が来るから 哀しみも 苦しみも 願いを呼び起こすから ならば何一つ 無駄なものなんてないわ」である。
 ネガティブな要素をポジティブな結果に昇華出来れば痛快であることは誰もが理解しているが、容易ではない。まして既に悪い結果が生まれているのである。だが、それでも、「何一つ 無駄なものなんてない」と云い切る様が、ダンエモンの一押し名曲「LOVIN’YOU」の同じ歌詞を彷彿とさせる。

 繰り返すが、曲調はあくまで静かで、穏やかである。変な例えだが、サイヤ人がスーパーサイヤ人になる前に穏やかさと純粋さを必要としたように、急成長・大成功に向けての穏やかさと純粋さをこの曲の歌詞が内包していると云っては過言だろうか?
 ま、激しい怒りは不要だから、スーパーサイヤ人への覚醒とは異なるのではあるが(苦笑)。


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令和五(2023)年三月二五日 最終更新