作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 Yohey
解説 摩季ネェのアルバム『すっぴん』の11曲目に収録。アルバム『HAPPINESS』に収録されている「LIFE〜episode �機礎太検繊�と遭遇した時に、いずれ「〜episode �供繊�、「〜episode �掘繊�と続いて行くことを予想した人も多かったと思うが、いきなり「〜episode �察繊�が来た事にびっくらこいた(←死語)人もまた多かったと思う。
前作ともいえる「LIFE〜episode �機礎太検繊�同様、摩季ネェの自叙伝ソングで、前作が幼女期の摩季ネェを取り上げていたのに対し、本作では歌手デビューの為に上京せんとして「千歳を発った」日からデビュー後のヒットを生みだすまでの挫折と苦悩の日々が取り上げられている。
余談だが、「ノーマ・ジーン」とはマリリン・モンローの本名で、その「Birthday 6月1日」に摩季ネェが上京したのは勿論意識してのことである(更に余談だが、道場主の甥はこの日が誕生日)。
この時旅立つ摩季ネェを涙ながらに見送ったのは御母堂お一人で、最後の最後まで摩季ネェが歌手を目指すことに反対だったとのことだが、確かにこの曲の歌詞のような苦労の果てにデビューし、且つ安定した人気を確保し続ける人間がほんの一握りである芸能界の厳しさを考えれば、早々賛成出来る世界ではないだろう。
芸能の世界は最初からそれ一本で食えるほど甘くないのは良く言われる事だが、上京時点の摩季ネェはレコード会社のオーディションにも合格しておらず(というか未受験)、御多分に漏れず、「バイトにバンド 部屋とスタジオ 探して稼いでそれで精一杯」の日々を送り、「受けたオーディション どこもNo Reaction No Way」に苦悩している。それでもエッセイ集「ありがとうなんて絶対言わない」では摩季ネェはオーディション合格を「予定の物を貰いに来ただけ」としていたから、こんな日々にもシンガーソングライターになる夢が揺らいでいなかった意志の強さに脱帽である。
ちなみに道場主も最初の就職時に大阪から東京に出て来ている(住んだのは埼玉)が、「降り立った羽田の空気は Gus臭くて 埃っぽくて 息を呑んだ 一瞬で都会を生きてく 過酷さを 無謀さを 思い知った」なんて事にはならなかったが、大阪も東京並みに空気が汚いということだろうか?(苦笑)
オーディション合格後も摩季ネェの苦労は当然のように続き、「やっと会えたレコード会社の プロデューサーは誰もみな口を揃えて 「上手いだけじゃ売りにはならない」」と言われ、「歌しかない私はどうすればいいの」と苦悩した摩季ネェは「戸惑い彷徨い 自信失い 自暴自棄し続け摂食障害 鳴らないメロディー絞り出すハスキー Far Away」と言う苦しみを抱えていた訳だが、実際オーディション合格を当然のことと考えていた摩季ネェにとって本当の意味で初めてぶつかった壁かもしれない。
正直、日本に芸能プロダクションやレコード会社が何社あって、1つの会社が(会社の規模にもよるだろうけれど)何人の歌手志望者と会い、迎え入れ、切り捨てるかをダンエモンは丸で知らないが、長い人気を保つ歌手を得ようと思ったら、歌唱力に優れているのは当然として、歌唱力以外の技術や容姿や個性にも何か抜きんでた物を求めざるを得ないのだろう。前述のエッセイ集で摩季ネェ自身、「君より歌が上手くて綺麗な子は何人もいる」と言われ、ショックを受けた事を述懐していた。
こんな書き方をすれば、摩季ネェや摩季ネェファンにどやされるかも知れないが、ダンエモンの目から見て、摩季ネェは古今東西一の美女とまでは思わないし、歌唱力だって摩季ネェより上手い人は何人もいると思う。しかしダンエモンが最も敬愛しているのは摩季ネェである。声・歌唱力だけでは摩季ネェがナンバーワンになっていないのは間違いない。
上手くは言えないが、声・歌唱力に歌詞や、その歌の主人公になり切る力、喜怒哀楽のストレートさ、他にも摩季ネェでなければ持ち得ない物があって摩季ネェはダンエモンの中で敬愛するアーティストのナンバーワンに君臨しているが、摩季ネェの持ち味はこの「挫折」の日々にも裏打ちされているのだろう。
さて、摩季ネェとダンエモンは3歳違いである。それゆえにこの曲の所々に出てくる時代の出来事には少年時代の終盤に見て来た事もあれば、丸で興味なく記憶の彼方に没したものもある。
例えば、「1989 昭和天皇が崩御 新しい年号は平成」はこの日何故か意味もなくて通夜勉強していて、早朝ラジオで昭和天皇の危篤(時間的にはこの時既に崩御あらせられていた)の報に接したので良く覚えている。ちなみにこの時陛下を見舞った当時の首相(竹下登)も、新しい年号を掲げた当時の官房長官(小渕恵三)も今や個人であり、時の流れの残酷さを今更ながらに実感している。
また漫画好きな道場主に取って、「激動時代の終わりを飾るように 手塚治虫」が「Legendになった」時、週刊少年ジャンプの目次欄にてすべての漫画家が巨匠の死を悼むコメントを掲載していたのを覚えている。
更には「天安門」 (事件)、「プラハ」 (の春)、「ベルリンの壁崩壊」、「Come Homeマンデラ Good-Bye Slave」 (ネルソン・マンデラの釈放とアパルトヘイトの廃止)に対しては当時受験生にして世界史を学んでいた身だったので、「覚える事を増やすなー!!」と学友達と悲鳴をあげていたものである。
一番の印象は「ベルリンの壁崩壊」である。この翌年、東西両ドイツは統一を果たしたのだが、その朝(1990年10月3日)を当時在日韓国人だった道場主(現在は日本人に帰化)は従兄の家で迎えていた。というのも、その日は韓国の旧暦で先祖供養する日に当たり、東西に分断されたドイツ同様、南北に分断された祖国を持つ身として、同じ境遇にあった国が統一されたことに一縷の希望を見出しながら、その気配さえ見せない祖国に歯痒い想いも感じていた。実際この日、北緯38度の軍事境界線まで出向いて北方に眠る先祖に額づいた韓国人も大勢いた。
あれから22年経つが、当時の国家元首の孫の代になってもエラソーな物乞いを続け、非難には逆切れしかせず、ミサイル打ち上げに失敗して項垂れている北の祖国に、それと争う南の祖国を見ていると涙よりも溜息しか出ない……。
そんな「自由を求めて 世界中が今 戦い続けてる同じ時」に、「溢れる自由の真ん中」で摩季ネェは「挫折にうずくまってもが」き、受験に頭を痛める道場主の何倍もの苦悩を味わっていた訳だが、こうして時代と摩季ネェと自分自身を振り返ると本当に自分と言う人間は世間の役に立っていないのが情けない。
勿論この曲は単純に摩季ネェの過去の挫折を振り返るだけの曲ではない。「LIFE〜episode �機礎太検繊�でも過去の自分を振り返り、その時の自分にあって、今の自分ないものを取り戻すよう自らを叱咤していたが、恐らくこの曲はこれから迎えるかもしれない挫折を乗り越える糧とする為に当時の自分自身を振り返っているのだろう。
実際、ダンエモン自身も過去の悔しい思い出は頻繁に振り返り、どん底から這い上がって来た時の自分を一つの糧としている。だからという訳でもないだろうけれど、アーティストでもないのに「It’s only “LIFE” Is this my “LIFE”? この夢が無くなっても 私がいなくても 世の中は何も変わらない」の歌詞に対して身につまされた想いがする。
自慢じゃないがかつて勤めた職場にて社長から「お前なんか明日から来なくても会社は何の問題もなく機能する。」と言われたり、大学時代に4回生の10月になっても就職が決まらず「世の中から必要とされていない」と言う惨めさに涙したり、今でも結婚出来ず家庭を為していない事に対して、私と供に家庭を築くことに必要を求める人がいないことから、自らの存在がその場に影響しない惨めさには人一倍敏感なつもりである。
しかし最終的には自分の人生だから、自分の問題に帰結する事もしっかりこの歌は触れてくれている。
誰も認めてくれないからこそ、「だからこそ周りに諦められたとしても 自分で自分を諦めちゃいけない 負けるな マケルナ 私」はダンエモン自身何度も念じた言葉だし、職場を解雇された時に周囲の人々の中には「命を未来を奪われた訳じゃない」の歌詞と同じ旨の言葉を掛けてくれた人も多かった。
未だ成功・成立していない事の多い人生だが、「出来ることすべてをやれば きっと何か変わる」の歌詞通り、最終的に逃げた事ももっと手前で逃げていればその分だけ私は屑野郎度を増していたことだろう。
圧巻は「乗せられて自惚れた Fakeのダイアモンド 誰かに踏まれて欠けてしまうくらいなら この手で打ち砕いて ダイアモンドダストになれ 私の明日は私が決める」である。
幼少時より、身体能力・芸能・芸術では人より著しく劣り、なまじ勉強が出来ことに頼り切った道場主は数々の挫折を経験している筈なのに自らの能力に自惚れた時代が確かにあった。まさしく「Fakeのダイアモンド」で、都合のいい時だけ周囲から「乗せられて自惚れた」事に対して決別するには「誰かに踏まれて欠けてしまうくらいなら この手で打ち砕いて ダイアモンドダスト」するぐらいの強い想いを要した。
勿論「私の明日は私が決める」は私も共感している事である。それが自分の「LIFE」なのだから。「Fakeのダイアモンド」と「ダイアモンドダスト」とではどちらが美しいかは分からないが、それでも輝こうとする姿勢こそが摩季ネェライフで、同時に我々が摩季ネェに惚れる要因ではないだろうか?
尚、アルバム『すっぴん』初回限定盤付属Disc2に収録されている「セルフライナーノーツインタビュー」によると、決して偉ぶる訳じゃないが、かなり予想どおりなコメントが出て来た。
摩季ネェによると「ポップスという次元じゃない、ライフワークス的な物」とのことで、「「LIFE〜episode �機礎太検繊�が出来た時にこの曲に囚われて生きていくんだなという覚悟」が生まれたとのことだった。
実際、タイトルからして摩季ネェの人生であるから、歌詞の内容とぴたりと重なるコメントが多く、この曲の心は「私の人生など歴史に残らないが、歴史と重ね合わせることでこんな所で生きて来たと思う事で自分を肯定出来る」が「この夢が無くなっても 私がいなくても 世の中は何も変わらない だからこそ周りに諦められたとしても 自分で自分を諦めちゃいけない 負けるな マケルナ 私」という歌詞の根幹を為しているのだろうし、そうやって自分と関係なく進む時代の波に対して、それでも自らに対し「時代の一員」・「歴史の中の小さな点のようなもの」と位置付けつつ、「そんな命だから」懸命に生きる意義を説いてもいた。
またタイトル通りに「挫折」も大きな要素を占めており、歌の上手さを自信に上京した直後の自分を「ボキボキに鼻を折られて行く内に自分を折るようになった」と言っていた点は「さよならさよなら 小さな街のROCK STAR 乗せられて自惚れた Fakeのダイアモンド 誰かに踏まれて欠けてしまうくらいなら この手で打ち砕いて ダイアモンドダストになれ」の歌詞が被り、同時にこの過程に対し、「辛かったけど自分の背骨を作った時代」、「この時があって今の自分がある」としてもいた。
はっきり迷言はしていなかったが、幼少期を背景とした「LIFE〜episode �機礎太検繊�が最初に出たのは当然として、本来なら直後の時代を「�供�として先にリリースされそうな所が「LIFE〜episode �察塑胆沺繊�を先んじた理由と取られるコメントに「一番忘れたくて、一番カッコ悪くて、一番みじめなんだけど、一番誇るべき時代を選んだ」というものがあった。
確か「挫折」を味わいながらも負けずに這い上がって誇らしく、高らかに、強く行き、歌い、叫ぶ摩季ネェは俺の惚れている摩季ネェである。
そして収録アルバム『すっぴん』と重ね合わせたコメントが多かったことも挙げておきたい。それはファンに対するエールみたいなもので、恥じるべき自分史を肥しと出来、それを誇れる事を伝えんとして、「今にも俺切ってしまいそうな皆さんに独りじゃないと感じて欲しい」と語りかけ、小さな者、弱き者、悲しい表情していた者が大きな者、強き者、笑顔で生きられる者に変われる可能性を指し、そんな強さを持って、素顔=『すっぴん』生きられることに対し、「これぞ『すっぴん』」と言い切っていた。
摩季の間へ戻る 平成二四(2012)年四月一三日 最終更新