スナック 摩季

正式タイトル スナック摩季 1st STAGE




 
日時2009年8月29日(土)13:00開演
場所東京都渋谷区
shibuya DUO
背景 大黒摩季さんが初の試みとして、スナックのママに扮して、社会に倦み疲れたサラリーマンを「おかえり」と迎えるが如き、シチュエーションをセッティングしてカラオケあり、悩み相談あり、対談あり、の今までに全くないスタイルのライブである。

 元は摩季さんが北海道で、バンド仲間である真矢氏と行ったスナックがヒントとなっているとのことで、髪をアップにし、和服に身を包んだ摩季さんは、設定上は摩季ネェの姉であるところの「摩季ママ」で、別人の証として付けぼくろが施されていた。
 勿論、摩季ネェ本人であることは承知の上だが(笑)、それを承知の上で楽しむシチュエーションもまた一興(笑)。
 ダンエモンが初めて見る和服の摩季ママに鼻の下を伸ばしていたのは言うまでもない(苦笑)。
内容
1.銀座の恋の物語
簡易感想 男女デュエットの定番とも言えるこの曲が流れ、歓声と共に摩季ママが現れたのはダンエモンのすぐ背後で、不覚にも最も近い距離で摩季ママを見る事の出来る時間を数秒無駄にしてしまった(鬱)。

 デュエットの相方は真矢氏で、本人曰く、「真矢ではなく、弟の『真ニャ』」ということで(笑)、「兄」のことを「ビジュアル系バンドメンで最も太っている。」と称していた(苦笑)。まあ本人が容貌で勝負するのではない、という信念に基づいて言っていることなので、書いても怒られないだろう、多分(怒られたらどうしよう……)。

 場内を巡り歩きながら歌う二人に送られる手拍子は完全にカラオケのそれで、舞台にあるオーロラビジョンの映像(1967年のもの)に現れる歌詞を見る時間は完全に少しでも近い場に居る摩季ママに注がれたのは言うまでもない。

 実際に唄われた「銀座の恋の物語」だが(元の歌い手は石原裕次郎氏と牧村旬子氏)、思えば道場主は8年チョットを関東に暮らし、内7年近くが東京都民だった訳だが、「銀座」のような高級感漂う場所はお世辞にも縁の深い場所とは言えなかった。
 しかし、そんな高貴な場に始まる出逢いに人は憧れるから40年以上もこの歌は代表的デュエットソングとして愛されているのかも知れない。  くそっ!真矢…もとい、真ニャ、羨まし過ぎるぜ(苦笑)。
2.聞いてよ
簡易感想  ライブ開始に先駆けて、ファンクラブであるMドライブからは当日、摩季ママに悩み相談を聞いて欲しい人と、「ら・ら・ら」を壇上で一緒に唄いたい人への応募用紙が送られており、会場前に集められた応募用紙の抽選が行われ、5人の人が選ばれた。

 結論から言えばダンエモンは双方に落選した(涙)。
 まあ、それはさておき、当選された方々は真ニャの立つカウンター前の席に摩季ママと向かって座り、各々の悩みの相談に乗って貰ったのだが、その詳細はプライバシーに触れるので割愛する。

 笑えたのはスナックであるにも関わらず、水割りとビールとウーロン茶と水しか注文できなかったことである(笑)。まあ、主眼はそこにないのだが。
 ちなみに、自慢じゃないが、ダンエモンはスナックという物に行ったことがないので、実際のスナックにおける人生に倦んだ人とママとの会話がどういうものかは分らないが、居酒屋のかみさんとはそういう会話をしたことが何度となくある。また、ダンエモンはこのライブの数週間前に恋を失っており、もし当選していれば場を一気に盛下げたかも知れなかったので、当選しなかったのは正解だったかもしれない。

 摩季ママと当選者が話す中で数々のBGMが流され、それらの選曲には「LOVIN′YOU」「3-Call&1-Mal」といった、ダンエモンにとって数ある摩季ソングの中でも特に好きな曲が多く流されていたのが嬉しくもあり、実際に唄われるに至らなかったのが残念でもあった。
 殊に、ダンエモンの一押しである「LOVIN′YOU」の、一押し歌詞である「『I'LL GO MY WAY…。』それがプロセスなら  無駄な努力なんて何一つない」が丁度2人目の相談者の方が終わろうとしているところだったので、いいタイミングでもあり、摩季ママの台詞で聞き取りにくい状態でもあり、もう少しタイミングがずれてくれればベストだったのだが、会話上のことでもあるので、そこまで望むのは贅沢だろう。

3.対談
簡易感想 5人の当選者の内、2人目が終わったところで突如、1人のゲストが現れた。

 ゲストは元フジテレビアナウンサーで、現在フリーの内田恭子さんで、内田さんの簡単な紹介の後、とある番組(『オーラの泉』と言っていた気がする)で顔見知りだった御二人の思い出話(摩季ママはデビュー前、内田さんは海外生活時代)に花を咲かせていたが、如何せん、ダンエモンは内田さんのことを全く知らなかったのでコメントのしようがない。

 話の合間合間に摩季ソングの歌詞が現れたが、その都度、摩季ママが「妹の曲」と訂正を入れながら、摩季ママに紛争としていた姿もまた御愛嬌と言えようか?
4.聞いてよ(続き)
簡易感想 内田さんとの対談を終え、摩季ママと当選者の相談が再開された。
 前半同様、摩季ママが質問者の悩みを聞き、時に優しく、時に強く、時に妹(=摩季ネェ)の歌詞を引用し、相談に応じていたが、その中でダンエモンが特に心打たれたのは、「トキメキは『初めて』を探せ」との言葉である。

 確かに恋愛に限らず、新鮮さを感じるものと、当たり前になってしまったことでは身の入り方も違えば、仕事でも趣味でも事が上手く行った際の達成感も、次段階へ向かう高揚感もかなり違ってくる。
 かと言って、それまでに得た喜びを持続していたいのもまた人間の性(さが)で、新たな何かを求めたが故にそれまでの成功が壊れることを恐れる心が人間には間違いなく存在する。
 逆を言えば、それが為に壊れていしまうような成功や恋愛感情や栄光ならそれまでのもの、ということだろうか。
5.最後のラブレター
簡易感想 世界的に有名なプロウィンドサーファーだった故飯島夏樹氏の闘病と家族との日々を綴った手記を映画化した『Life 天国で君に会えたら』が2009年9月に2時間ドラマとなり、そのテーマソングに唄われるのがこの曲である。

 「Our Home」同様、配信のみとなるこの曲を目の前で聴けたのは幸運だったが、残念ながら1回の聞き取りのみで自らが信念とする歌詞へのこだわりは語れないので、詳しい解説は割愛させて頂く。
 生前に会わずとも、強い想いを抱いた伝説のプロサーファーへの想いがドラマと融合することで『HEAVEN’S WAVE』を上回ることを祈るばかりである。
6.birdcage
簡易感想 この「スナック摩季」が開演されるに当たって、Mドライブではこの日、摩季ママに唄って欲しい曲が募集されていた。
 ダンエモンは様々な考えの中から「Baby Baby Baby」をリクエストしたのだが、残念ながら選曲された2曲の中には含まれず、この「birdcage」が1曲目となったのだが、この曲のリクエストが多かったのは摩季ママにとって意外なことだったらしい。

 カバーやアレンジを除いても摩季ネェが世に出した曲は軽く150曲を超える。さすがに摩季ママ本人もこの「birdcage」がどこに収録されていた曲かすぐには思い出せなかったとのことで、ダンエモンは即座にカップリング曲であることを叫んだ。
それを「虹ヲコエテ」のC/Wと叫び、ダンエモンは反射的に「夏が来る、そして…」の名を挙げたが、実際にはその1つ前にリリースされた「勝手に決めないでよ」のC/W曲で、摩季ママを目を合わせて堂々と言い切った言葉に間違いあったとは、今思えば顔から火が出る想いである……摩季ママ、お許し下さい……

 肝心の歌詞に入るが、前述したようにダンエモンはこのライブの少し前に恋を失ったり(予定通りならライブの前に彼女と食事をする筈だった)、また5年以上務めながら丸で出世できない仕事に対して様々な想いから離れるに離れられなかったりしながら、様々な想いに束縛されつつも、どこか本気で現状から抜け出そうとしているのか疑問な所もあったりなので、自由は無くとも安全な「birdcage」の中で「与えられるこの幸せ」から飛び立とうとしない「飼い馴らされたカナリア」は他人事ではなかった。

 失った恋に執着するのは決して気分のいいものではない。それは叶わないのを承知でも追いかけていることで残像ぐらいは見ているような気がするからで、実体がなくとも虚像に執着する姿はまさしく、「気付かずに求め続けていたものは 愛そのものじゃなくて 愛されてる手触りと 愛している胸の高鳴り」の歌詞で見事に言い表された気分になった。

 似たような歌詞は「Do it for me〜残照〜」にも歌われているが、このようなタイミングで直に目の当たりにする摩季ママから唄われるのも何かの決意を促された気がした。
7.brand-new day
簡易感想 ライブ前のリクエストで一番票が多かったのがこの「brand-new day」である。
 摩季ネェが1年間の充電に入る直前である1999年12月31日の奈良東大寺でのカウントダウンライブにて唄われたこの曲はその後時を得ず、実に10年近い時を経て唄われたとのことで、当時TV中継で見てもその場に参加できなかったことや、「LUXURRYツアー」でこの「brand-new day」と同じ日に発表された「夢の続き」を聴けていたこともあったので、この曲を聴けた喜びはひとしおだった。

 和服でこの曲を唄われたのには少々違和感があったが(苦笑)、参加できなかった当時の分まで堪能せんとして当時の振り付けを真似てみたが、周囲の誰もそこまではしてくれなかったは寂しかった(苦笑)。
 ともあれ先に唄われた「birdcage」が飛び出したくて飛び出せない気持ちを唄ったものであったこととも好対照で、「昨日」を振り切り、夢に無期って突っ切る宣言ともとれる歌詞の躍動にはまた一つ新たな勇気を与えられた。
 かつて楽曲解説で「大黒摩季版天上天下唯我独尊」と例えたことがあったが、例え何度の挫折を繰り返しても「燃え盛る戦場に向かい風が吹いても 振りきって行く スカーレットのように 常に理想高く 気高く誇り高く 思うまま生きる BRAND-NEW WAY」のとの想いを失いまいと思わされた。
そして、この想いを常に持ち続けるからこそ、一見エラソーにも思える「天上天下唯我独尊」を威風堂々たる気持ちで持ち続け、摩季ネェは今後も今まで以上に私達を惹き付けてくれる、との念をより一層強固なものとしたのであった。
8.ら・ら・ら
簡易感想 如何なる形態を取ろうと摩季ライブの最後はやはりこの曲である。
 前述したように残念ながら摩季ママとともに舞台に立つ権利は得られなかったが、数々の初めての試みに真ニャ氏と共に戸惑いながらも、おっかなびっくり進めながらも、プログラムをこなしてきた摩季ママがいつもの摩季ネェと変わらぬ姿となり、場内と一体となるスタイルに和服も洋装もなかった。
 同時に決して長くなかったライブがもう終わってしまうことに一抹の寂しさは拭えなかったが、その中にも変わらない一時があった喜びも間違いなく存在した。
所感 個人的な話だが、ダンエモンはこの日、様々な不安を抱えながら参加した。
 プライバシーに関わることになるので詳細は話せないが、はっきり言って仕事は思い切り嘘ついて無理矢理休みを取っており、それほど休み難い状態にある仕事ののっぴきならない状況を常に脳裏を離れず(実際、ライブ中にも二度留守電が入っていた)、恋を失ったことにより大幅に変わった予定の中で様々な戸惑いと情緒不安定を抱え、ファン仲間と接するにもまともに接することが出来るかの不安もあった。

 「スナック」であることをいいことに参加時には酒も結構入っていた(少量のアルコールが入っているのはいつものことだけど)。
 だが、そんな気持ちを抱えつつも、そんな状況を抱えつつも、数々の応募に外れながらも無理して参加して良かった、と心から想う。
 戸惑いや試行錯誤が多かった『スナック摩季』が、ベストを尽くせたかどうかは分からないが、常に新たなスタイルに挑戦し、新たな接し方を図ってくれる摩季ネェの気持ちはひしひしと伝わってきたし、それに応えなくては、との気持ちにもさせられた。

 ちなみにライブ終了後に30人単位ではあったが、舞台に上がって摩季ママと共に集合写真を執ることが出来、3枚目では志村○んorコロッ●ばりの顎と唇を突き出す変顔を披露し、撮影スタッフに褒められたが、摩季ママに見てもらえなかったのは残念だった(苦笑)。
 もっとも、見苦しかったのか、後日送られてきた写真は1枚目のものだった(再度苦笑)。

 ともあれ、考えさせられることも多いライブであったが、倦み疲れた人生を摩季ママに癒されたことへの感謝を忘れず、逆に摩季ママを癒すことの出来る存在となる為にも精進することも忘れてはならない、と思い直す次第である。

 

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平成二二(2010)年二月二一日 最終更新