Mama forever

作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 柴田敏孝

解説 摩季ネェの14thアルバム『MUSIC MUCSLE』Disc2「RESTING MUSCLE」の7番目に収録されている。
 この曲の解説を制作したのは令和5(2023)年9月27日だが、『MUSIC MUCSLE』がリリースされたのは平成30(2018)年12月5日で、間に5年近い歳月が流れたことに何とも複雑なものを感じている(理由は後述)

 タイトルにあり、歌詞でも何度も「ママ」と呼び掛けている様に、この曲は摩季ネェが御母堂である大黒美也子さんのために作り、贈ったものである。
 北海道札幌市出身の摩季ネェはシンガーソングライターになるため故郷を出て上京したことで必然、家族とは別れて暮らすこととなった。まあそれ自体は東京近郊に住むか、よほど年若くない限り珍しい話ではないが、いずれにせよ、摩季ネェは親元から離れ、平成12(2000)年に最愛の父上を亡くされた(この年一年間摩季ネェは「充電期間」と称して活動を休まれた)。
 平成15(2003)年に結婚されたが、美也子さんは病気の為に歌詞中に「思うように動けなくなって」「もしも昔のように歩けたら」とあるように、自力での行動がままならなくなったことで摩季ネェが東京に美也子さんを引き取り、介護することとなった。

 私事だが、ダンエモンの亡父はALS(筋萎縮性側索硬化症)で落命しており、メインは母上だったが、ダンエモンも介護に携わった(下の世話もしました)。それゆえ、介護の苦労も少しは分かるつもりである。
 勿論親の為に介護することに厭う気持ちがある訳ではない。ただ、元気だった時分を知っているだけに動けなくなった親を見るのは辛かった。そしてもっと辛いのは本人である。歌詞によると美也子さんも「死にたい」と漏らされたようで、ダンエモンの亡父も「こんな体になってまで生きていたくない……。」と幾度となく呟いていた。
 そんな父に対し、ダンエモンは母上と共に、家族としてはどんな形でも生きていて欲しいと説き、「年越しの後は 初詣でに行こう 桜が咲いたら お花見も行こう 夏にはビーチライン Driveしよう 海へと還る 川の流れの様に 忘れゆくものなら 負けないくらい 新しい記憶 上書きすればいい」の歌詞じゃないが、動けないなら動けないなりに周囲が出来ることをすることで楽しみを見つけ、前向きに共に生きて欲しいことを何度も述べた。

 結局、亡父は動けない体になってから一年を持たずして呼吸筋麻痺で息を引き取った。病状的に2、3年が山と見ていたが、突然過ぎ、愕然とした。父を亡くした悲しみも耐え難かったが、父の介護の為に決して丈夫ではない体を駆使していた母上が意気消沈して気力をなくさないかがもっと心配だった。
 同時に、「ああすれば良かった…。」、「何故あの時点でああしなかったのか?」と様々な悔いが残った。まあ、いつ死なれても後悔は残ったと思うが、恐らく、摩季ネェは既に御尊父の逝去を経験されているだけに、御母堂との残された時間で出来る限りのことをしたいとして「ねぇ ママ 死にたい なんて言わないで ママがいるから私は今も まだ娘でいられるのよ」「最初は罪滅ぼし 長女の責任 義務感だったけれど 今は違う その笑顔が見たくて一つも苦じゃないの もしも昔のように歩けたら また別々の道駆け回って すれ違うでしょう?」「ねぇ ママ もう我慢しなくてもいいんだよ 喧嘩したり 夜中に愚痴ったり 姉妹みたいな 親子になろう」「ねぇ ママ お荷物だなんて言わないで よく頑張ったね って撫でてくれるから また明日へ向かえるのよ」や「ねぇ ママ どうか私の愛を信じて 一緒に 未来を見つけに行こうよ 」と云った意欲や想いを歌詞に託して示されたのだろう。

 平成30(2018)年5月26日、ダンエモンは摩季ネェのデビュー25周年記念ツアーのファイナルを沖縄で参加したが、この曲が弾き語りで歌われた時、ダンエモンの近くで参加されていた一人の女性が嗚咽を漏らされていた。その方に如何なる記憶があったのか知る由もないが、恐らくは家族の介護を巡って摩季ネェと美也子さんの境遇に考えさせられるところがあったのだろう。
 その美也子さんだが、ダンエモンはライブ会場で二度ほど遠巻きに見掛けたことがあった。摩季ネェに「「STOP MOTION」を聴かせて欲しい。」と仰ったこともあったらしく、娘であるとともに、一人のファンでもあったのだろう…………………そう、このように過去形で語っているのも、大黒美也子さんは令和3(2021)年11月12日に享年83歳でこの世を去られ、摩季ネェにとって、「まだ娘でいられる」「姉妹みたいな 親子」の日々はもう摩季ネェの想い出の中にしか存在しないのである………。

 冒頭で時の流れに複雑なものが在るとしたのは、この曲の解説が美也子さんの逝去後に作っていることを指している。もし生前に楽曲解説を作っていれば、この曲の歌詞に描かれているような摩季ネェが理想した日々が一日でも長からんことを祈り、摩季ネェを応援するものとなっただろう。そして逝去と共に内容を編集し直すことになっていただろう。
 日々の忙しさにかまけて楽曲解説の制作が大幅に遅れたことで美也子さんの逝去後にこの曲の歌詞を解説しているというのも何とも遣り切れない。人間はいつかこの世を去るし、美也子さんの享年は取り立てて長命ではないにせよ、平均的な寿命とも云えるもので、如何ともしがたいものだが、やはり生前にこの曲の歌詞を踏まえた応援をしたかったことが悔やまれる。

 今となっては、この曲に託した摩季ネェの想いが美也子さんにしっかり伝わり、歌詞以上の理想的な日々が摩季ネェの中に想い出として残り、その想いを胸に旅立たれた美也子さんを摩季ネェの御尊父が優しく迎え、あの世でも夫婦であり続けていることを願うしかない。

 そんな思いの強さが「forever」であることを祈りつつ。


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令和五(2023)年九月二七日 最終更新