東日本大震災 教育復興支援コンサート

正式タイトル 東日本大震災 教育復興支援コンサート「Smile & Dream to The Future」~届けよう!明るい未来を信じる思い





日時2011年8月8日(月)18:30開演
場所京都市東区
教王護国寺(東寺)
背景 雅楽師・東儀秀樹氏が発起人となり、公益社団法人日本ユネスコ協会連盟、NPO法人世界遺産コンサートが中心となり、3月11日に発生した東日本大震災において犠牲になられた方々のご冥福をお祈りし、被災地の復興を支援するチャリティーライブが高野山金剛峯寺と並ぶ真言宗の聖地・教王護国寺、通称・東寺にて8月8日・9日に行われた。

 個人的な想いとしては8月9日に参加し、震災犠牲者と66年前の同日に長崎に投下された原子爆弾の犠牲になられた方々の御冥福をお祈りしたかったが、岡本真夜さんの参加が8日だったので、躊躇うことなく8日を選んだことを被爆者の方々にはお詫びしたい。勿論、8月と言う時期柄、同日、当地にて、東日本大震災及び第二次世界大戦(太平洋戦争・日中戦争・満州事変などもすべて含む)において犠牲になられた方々の御冥福を大日如来様(真言宗における最も尊い仏様である)の前に祈ったのは言うまでもない。

 真夜の間 及び楽曲房 含む菜根道場各房にて何度か触れているが、不敬虔(←酒好き、肉食好き、女好きで、おまけに自己顕示欲まで強い)ながらもダンエモン(=道場主)は真言宗の信者である。
 そんなダンエモンにとって、東寺でのライブとはまさに至福で、震災が無ければこのようなライブが行われなかったであろうことを考えれば些か心境は複雑だが、甚大な犠牲を悼み、復興を願う場に真言宗の聖地が選ばれたことを重く受け止め、敬愛するアーティストともに想いを馳せる時間を大切にしたいと思わずにはいられなかった。

 この日参加したアーティストは真夜さんの他には雅楽師の東儀秀樹氏、民謡歌手の伊藤多喜雄氏、ゴダイゴのタキカワユキヒデ氏、ピアニストの西村由紀江氏、バイオリニストの古澤巌氏、古典フラのフラ・ハウラ・カフラ・オ・ハワイの皆さんだった。
 チケットを購入した時点でダンエモンが名前を知るのはタキカワ氏、西村氏のみで、毎度のことながらこういう時はおのれの芸能音痴を恥じずにはいられない…。勿論、参加する以上はこれも仏縁としてしっかり堪能し、復興支援に賛同し、御参加下さる心根の共有に務める次第である。

 個人的には東寺に来るのは妹の結婚が安泰で幸せなものとなることを祈願しに訪れて以来で、約5年振りの事であった。勿論、場所が場所だから時間ぎりぎりに訪れたのではなく、昼過ぎに到着し、大日如来像を始め、数々の仏像を拝み、聖地の中にて心洗われる想いでいたが、事前に般若湯(早い話酒)を飲んでいた辺り、やはりダンエモンは大馬鹿野郎である。

 尚、日差しの強い中、午後4時にはリハーサルが行われており、タキカワ氏が歌う選曲に懐かしき喜びに討ちふるえていた直後に、待機していた宿坊から知野芳彦氏とともに日傘を差した真夜さんがダンエモンとほんの2メートルの距離をすれ違って歩いて行った。
 最も近い距離で声を掛けそびれたのは誠に無念だったが、真夜さん的には邪魔にならなくて良かったか?

 ともあれ、暑い中にも鎮魂と復興支援への想いを抱く人の集いは着々と集まり、講堂前は荘厳な雰囲気を湛えつつあった。

1.追悼セレモニー
簡易感想 正直、会場の場所には驚かされた。
大日如来像が座される講堂の扉が大きく開かれ、特設舞台は背後に大日如来様が控える形となった。写真撮影はおろか、写生さえ禁じられている大日如来像を真っ正面に、冗談抜きでひれ伏したい想いと荘厳な空気の中、黄色い衣の真言宗声明衆のお坊様が六名、烏帽子と束帯スタイルの東儀秀樹氏が鈴木実氏・平山一平氏を伴って舞台左手から入場し、大日如来様を前に犠牲者への御冥福を祈られ、復興支援への意を明らかにされた。

 東儀氏は笙を吹きながらの入場で、生で笙の音を聴くのは21年前に伊勢神宮で聴いて以来で、正直、ダンエモンは雅楽に理解も知識もない男だが、大日如来像の前に座す六人のお坊様の読経と笙の荘厳さに犠牲になられた方々の心を慰められることを祈らずにはいられなかった。

2.挨拶
簡易感想 この復興支援コンサートは発起人である東儀氏と一人の女性(「ミズグチ」と名乗られたと思うが、何分、よく聞き取れなかったダンエモンの失礼をお詫びするとともに、当日参加されていて、聞き取れた方はご一報頂ければ幸いです)が司会進行を務められた。
 東儀氏は先ほどの束帯スタイルから洋装に変わって登場。そのスタイルを見る限りでは雅楽師とは想像がつかないものだった。そしてこの後、東儀氏は各出演者の出番に様々な形で参入するのだった。


3.南部牛追い節
簡易感想 トップバッターは民謡歌手・伊藤多喜雄氏で、壇上にはおおよそ民謡とは無関係そうなドラムが置かれていたが、このドラムスが粋な味を出していた。

 正直、「真夜さん+東寺」が参加の動機なので、伊藤氏の事は無知に等しく、民謡も全くと言って言い程知らない。実際、ライブで民謡に触れたのは大黒摩季さんのライブで摩季ネェの道鏡の民謡歌手KAZUMIさんが民謡調に「ら・ら・ら」のサビを歌ったのを見たのが最初で、直前までの最後だった。
 そんなダンエモンでも東北が民謡の宝庫であることは知識として知っており、伊藤氏が震災直後から岩手・宮城の各地を巡っては民謡でもって被災地に力を与えて回っていると聴いて頭の下がる想いだった。
 残念ながら披露された「南部牛追い節」に対して、ダンエモンの洞察力と音感で気の利いたコメントは綴れないが、それでも郷土色満載の伊藤氏の声量が東北に届くことが願われてならなかった。

4.斉太郎節
簡易感想 伊藤氏の二曲目は、津波を経験した松島(←芭蕉の句で有名ですね)に伝わる民謡で、後述の「ソーラン節」しか民謡をろくに知らないダンエモンでも大漁を言祝ぐ歌詞は何とか理解でき、分かりもしない民謡の奥の深さをしみじみ思うのだった。

 また、壇上にはドラムが持ち込まれていたのだが、民謡にドラムがマッチングしていたのには驚かされた。元々民謡とドラムがマッチングするものなのか、それともマッチングさせたドラマーの方の腕が優れていたのか、いずれにしても貴重な体験をしたものである。

5.ソーラン節
簡易感想 極めて有名な民謡が伊藤氏のトリである。先の「斉太郎節」の簡易感想で、 「分かりもしない民謡」というのを思い知ったのはこの曲を聴いた時で、てっきり、

 「ヤーレン ソーラン ソーラン ソーラン ソーラン ソーラン ソーラン ソーラン はいはい 鰊来たかとカモメに問えばわたしゃ立つ鳥波に聞け チョイ」

 の歌詞が歌われるものと思っていた。
 はっきり言って、無知も甚だしく、一口に「ソーラン節」といっても、非常に様々なバージョンがあるのをこのコンサートの後に知るのだが、北海道生まれであるこの民謡が、如何に漁業の世界に浸透し、漁民達の力になっていたかを少しは知った気がしたし、ダンエモンには及びもつかぬ想いの強さが復興への支えとなることを祈る次第である。

6.MITAKE
簡易感想 続くは窪川京子氏率いる古典フラグループ、フラ・ハウラ・カフラ・オ・ハワイの皆さんで、山岳信仰におけるの御岳山の神々しさを讃えるダンスが、鎮魂を込めて踊られた。

 衣装や曲調こそ、テレビなどでよく見るフラダンスそのもので、青を基調とした腰蓑っぽく見える衣装に月桂冠のようなかぶり物、それに類似した首飾りともレイとも取れるものを掛け、9人のダンサーが踊るのを、窪川氏ともう一人の方が見慣れない打楽器を叩いて、演じ、東儀氏もまた笙をもって後から参加した。

 知識的にも、感性的にもコメントし辛いのだが、先の震災では窪川氏の教室からも犠牲になられた方が出ているとのことで、フラ・ハウラ・カフラ・オ・ハワイの皆さんにとっては、山の神を讃えることで仲間を含めて震災になられた方々に対して冥福を祈ることもあったとのことなので、一般に常夏の海岸で波と美女を愛でながら華やかさを楽しむハワイアンダンスのイメージ(←この時点で日本から一歩も出たことないくせによく言う)とはまた違った一面が見れた気がした。

 詳しくは知らないのだが、有名な「アロハ・オエ」はハワイ最後の女王が作ったもので、そこにはアメリカ合衆国の侵略・併合に対する深い悲しみが秘められているらしい。ハワイの歴史は詳しくないが、一度華やかなイメージの中に潜む哀史を詳しく調べたいものである。

7.見果てぬ夢を探して
簡易感想 三番手はピアニストの西村由紀江さんである。学生時代にテレビのCMか、JRの駅ポスターで見た気がするのだが、かなり曖昧である。
 西村さんはずっと弾き続けていたので、歌詞の素晴らしさ追求がメインとなる楽曲房では知らない曲や、歌詞のない曲についてコメントするのは非常に心苦しいものある。ただでさえ、道場主のジャイアン級音痴やセンスのなさや楽器を丸で演奏出来ない楽才の無さを知識でカバーしている訳だから……イテッ!(←道場主のモンゴリアンチョップを喰らった)曲をコメントするのは至難に近いのだが、それでも弥勒菩薩様を横手に控えて夜景に映える五重塔を讃えながら、被災者への冥福を、復興支援の成功を祈りながら弾き続ける凛とした姿は拙い筆致でも触れない訳にはいかないだろう。

 曲調としてはユーミンの「春よ、来い」に似ている気がしたが、実際のところどうなのだろう。正誤の程は定かではないが、そのように聞こえた以上は8月から見て遠き季節である春の如く、震災による完全復興・心身完癒の日は遠くとも、決して消えることのない望みである以上、それを求める行動には微弱なりとも、膨大なる助けが集まって欲しいものである。

8.手紙
簡易感想 西村さんの二曲目は別れを連想させるイメージの曲だった(例によって正誤の程は全くもって定かではありません)。
 曲を聴き、イメージを抱きながらふと思い出したのは、震災直後の東北・関東各地(及びその場にいる方々への携帯電話)が丸で通話出来ず、やきもきした日々であった。
 ITがいくら発達しても、手紙だから伝えられるもの、残せるものがあるのを今更ながら思い出させられた気がした。

9.誕生
簡易感想 曲に対しては何とも言えない。辛うじて感じられたのが、西村さんが徹底してピアニストの本分に立ち、ピアニストとして復興支援しようとの姿勢である。
 まあ、そんなことが断言出来るのも西村さんが「Smile Piano 500」というプロジェクトを進めており、震災で失われたとされる500台のピアノを東北に送る為に尽力していることが語られたからである。

 東日本大震災では、阪神大震災をも超える1万5千以上もの犠牲が出てしまった。仏教を信じる身としては人生の中途で抗い得ぬ天災の犠牲になられた御霊が良き輪廻転生を遂げることを日々願っているが、膨大な御霊が生まれ変わることで「誕生」した世界で幸せになる為には、生き残っている我々が為すべきことが山のように控えていることを思い知らされたものである。

10.微笑みの鐘
簡易感想 西村さんの曲はこれがトリで新曲でもある。西村さん曰く、この曲は「被災地の子供達の笑顔から生まれた。」とのことである。
 何かの本(多分漫画)で、「如何なる権力や天災も子供達から笑顔を奪い去ることは出来ない。」との記述を見た記憶がある。直接被災され、家族や親しい人、家屋を初めとする財産を失った人々に笑顔が戻るのにどれほどの困苦を乗り越えなければならないかはうかがい知れないが、人は笑顔をなくさない存在であることが再認識されて欲しいものである。

11.ガンダーラ
簡易感想 ゴダイゴのボーカル・タケカワユキヒデ氏の登場である。さすがに年代上、幼少の頃に観ていたテレビ番組においてゴダイゴの曲は何曲も脳裏に焼き付いている。殊にこの「ガンダーラ」『西遊記』のエンディングとして名高いが、道場主はこの番組で生まれて初めて自分と同じ名前の人物(漢字は違うが)を知ったので、思い出は特に強い。

 タケカワ氏曰く、「この場に一番相応しい曲」とのことだが、成程、場所がお寺だけに、仏教発祥の地・インド(正確には現在のアフガニスタン東部からパキスタン西部にまたがる地域がガンダーラ)の地名が曲名で、玄奘三蔵法師の取経の旅を巡る中国古典をドラマ化した番組で歌われていたのだから、この日披露されたどの曲よりも場に相応しかったことだろう(笑)。

 幼少の頃より何度も聴き、歌った、「そこに行けば どんな夢も叶うと言うよ」と言う歌詞を鵜呑みにする程子供じゃないが、それでもいつの間にか数々の夢に敗れ、様々な現実を突き付けられた年月の中で、「どこかにあるユートピア」に対して、「在ればいいなあ。」と想いつつも、追い掛ける前から諦めていた気がする。
 それでも何年もの時間を掛けて実現してきたことも無い訳じゃない(2010年10月〜2011年9月の1年間で真夜さんを含め、楽曲房で応援している敬愛アーティスト全員と握手することに成功している)。
 東寺にあって、少なくとも弘法大師様や三蔵法師程の何十年もの努力を積んだ物はまだない。真言宗の聖地にして、仏教に深い関わりを持つ番組の主題歌に採用された仏居発祥の地を関する曲を前に想いは深まる一方だった。

 ちなみに曲はタケカワ氏の弾き語りで歌われ、決して嫌味を伴うものではないのだが、タケカワ氏による遠回しな拍手強要もまたユーモアの一つとして場に笑いを提供していたことを付け加えておきたい。

12.モンキーマジック
簡易感想 先の「ガンダーラ」がこの場(寺)に相応しい曲として歌われたのなら、同じ『西遊記』のオープニング主題歌であるこの「モンキーマジック」が歌われない訳には行くまいて(笑)。

 幼少の頃、英語が全く分からなくて、オールイングリッシュの歌詞で歌うゴダイゴの歌に「意味不明な歌ばかり歌いやがって!」と訳の分からない怒りを抱いた記憶がある(苦笑)。
 長じて英語を習ってから「Born from an egg on a mountain top. The punkiest monkey that ever poped」(山頂にある卵から最も不良な猿が飛び出した)や「All the Gods were angered. And they punished him. until he was saved by a kindly priest.」(すべての神々は怒り、彼を処罰した、親切な僧侶が彼を救うまで)の歌詞が『西遊記』の序盤から孫悟空と三蔵法師との邂逅までを歌っていることを知り、「なるほど」と思ったが、この日、東寺という場にて印象に残ったのは「Until he was saved by a kindly priest. And that was the start of their pilgrimage west.」(親切な僧侶に助けられるまで。それは彼等の西方巡礼の始まりだった)の歌詞だった。
 実際、三蔵法師が経典を唐の長安に持ち帰ったことから青龍寺に密教が伝わり、恵果阿闍梨様から弘法大師様が教えを受けていなければ、この日はなかった、あったにしても別の形になっていたかと思うと、フィクションとはいえ、史実を元にしている『西遊記』及びこの曲への想いもまた格別だった。

 ちなみにタケカワ氏はこの曲にてタイトルと同じ「Monkey magic」の歌詞が24回出ていることを述べていたが、実際には48回歌ったことも場の笑いを取っていた。

13.ビューティフル・ネーム
簡易感想 アニメ・ドラマの主題歌ではないとはいえ、CMに使われたり、カバーされたり、で誕生から20年経っても、30年経っても静かに注目される存在感ある曲が歌われた。

 特に印象的だった歌詞はサビの直前の、「名前 それは燃える命 ひとつの地球にひとりずつひとつ」である。復興支援コンサートであるとともに、真言宗の聖地にて先の大震災における被災者への鎮魂を想うとき、1万5千を越える犠牲者の多くは政治家でもなく、芸能人でもなく、スポーツ選手でもない、所謂「名も無き人達」である。しかし言うまでも無く、それは国民的に、世界的に名前が知られていないだけで、名無しの権兵衛を意味するものではない。亡くなれば親類縁者・友人知人恋人がその死を悼み、その「名前」を叫んで滂沱に暮れる。改めて「名前」がその人そのものであることの大切さを思い知らされた。

 全然関係ない話の上に物騒な話で恐縮だが、「原始仏教の流れを汲む」と称し、阪神大震災の年に毒ガス事件を起こした某教団元幹部で、無期懲役囚の一人は毒ガス事件で死亡・負傷した三千名を越えるすべての被害者の「名前」を完全暗記し、刑務所の中で日々詫び続けている、と聞いたことがある。
 勿論事件の首謀者は教祖で、実行犯にして人を直接殺した者としてこの受刑者の責任は重大だが、経歴・証言・言動の度のすべてを取っても元は心優しい人物であり、検察や被害者遺族さえ彼の死刑を積極的には求めず、求刑段階で無期懲役だった。
 無期懲役囚は最短で10年で仮出所出来る可能性があるが、彼は今も服役中と聞いている。仮に出所したとしてもこの男が被害者に対する贖罪に余生を過ごすのは間違いなく、やったことを許せはしないが、自らが傷つけ、殺めた大勢の被害者に対して、一人と一人と完全に向かい合っている姿だけは認めたいと思っている。
 本来は凶悪事件に限らず、すべての人が「名前」同様、「ひとつの命」として尊重し合え、その死を悼み合える世界であるべきなのだろうけれど。勿論現実には極めて困難だからこそ、その想いだけでもこの曲に学びたいものである。

 尚、この曲でもタケカワ氏のユーモアな試みは為され、観客席を二分し、クマさんチームとウサギさんチームに分けた上で、ラストのハミング部分ともいえる「ウアウアウアウア ビューティ・フルネーム ビューティ・フルネーム」の歌詞を、どちらのチームが大きな声で歌えるかが競われた。
 勝敗はクマさんチームの勝利で、仏縁なのか、羆マニアでもあるダンエモンはクマさんチームに所属して勝利の栄誉に浴した(笑)。しかしながら何故チーム分けがクマとウサギなのかがタケカワ氏の口から語られることはなかった(苦笑)。

14.銀河鉄道999
簡易感想 タケカワ氏の曲におけるトリはアニメソングの中でも巨大な存在感を持ち、作品名と同名の「銀河鉄道999」である。
 この曲も「モンキーマジック」同様、ラストの英語=「The Galaxy Express 999 will take you on a journey. A never ending journey. Journey to the stars」(銀河鉄道999は君を旅へ連れて行くだろう。決して終わらない旅へ。星々への旅へ)の歌詞が歌えなくてやきもきした記憶がある(苦笑)。10年ほど前、『歌の大辞テン』と言う番組にゲスト出演したホンジャマカの恵俊彰氏が、この曲の歌詞について徳光和夫氏にコメントを求められ、「『ジャーニー』しか歌えません。」といって苦笑していたが、この日、ダンエモンの隣に座っていた女性がまさにそれで、サビを必死に歌おうとして、「Journey」以外の英語の歌詞には詰まっていた(苦笑)。まあ、歌って歌えんことないが、下を噛みそうな歌詞である(苦笑)。

 真夏とはいえ、開演時には薄暗くなっていた空も西村さんがピアノを弾く頃にはライトアップされた五重塔が美しいまでに暗くなっていた。生憎と銀河の星々が見える状態ではなかったが、幾多の危難を乗り越えて今を生かされているこの命、「Journey to the stars」はまだまだ御免蒙りたいが、「A never ending journey.」は今まで以上に真剣に取り組みたいものである。

15.Will…〜未来へのプレゼント
簡易感想 真打ちの登場である…………って当たり前か(苦笑)。リハーサル時は黒っぽい服だった真夜さんはベージュ色の上衣に、ピンク・青・緑のまだらなロングスカートで登場。
 ギターは知野氏で、もうすっかり真夜さんの横に知野氏がいるのが自然になっている。真夜さんの結婚前ならダンエモンは激しい嫉妬の炎を燃やしたことだろう(苦笑)。

 冒頭の「街はもうイルミネーション」を見るには会場の真上に広がる寺に囲まれた空はミスマッチだったが(苦笑)、このライブが復興支援コンサートであることを思えば、冒頭とサビにて何度となく繰り返された「どんなに辛くても夢を諦めないで」の歌詞が真夜さんの背後に控える大日如来様の慈悲と供に被災地に届いてくれることが願われてならなかった。
 特に「泣きたい時は ねぇ 我慢しなくていいよ 忘れないでいてね 一人じゃないこと」の歌詞を想えば、震災の悲惨さ、多くを失い悲嘆に暮れる被災者の心情、復興への願いに恐ろしくマッチングしていることに何とも言えない気持ちだった。生存と復興の為に強くあらねばならない被災者の方々が、時に弱音を吐きたくなる気持ちを託せる歌詞であるのは間違いないのだが、まさか真夜さんにしてもこの曲を作った時にこんな役立ち方を想像していなかったことをもうと何とも遣り切れなかった。

 曲の途中では東儀氏も笙をもって参加し、静寂な夜に漂う、巨大なものにも揺るがない決意に真夜さん・知野さん・東儀氏のトリオにておりなされた訳だが、いつもライブでこの曲を聴く度にダンエモンの独占欲をかき立てる「愛してる」と言う少しかすれ気味の声で歌われる歌詞が、この日ばかりは独占しちゃいけない気分にさせられたのも稀有な体験だったと言える。
 ただただ、つよき意志=「Will」が、復興支援コンサートに参加したすべての方々の心と、御仏の大いなる慈悲に支えられて欲しいと願われるばかりだった。

16.Alone
簡易感想 先の「Will〜未来へのプレゼント」では真夜さんは歌うのみだったが、この「Alone」は弾き語りで披露された。
 以前にアコースティックライブで知野氏との合奏・合唱(サビのみ)を何度となく眼にしているので、新鮮さは然程でもなかったが、「Alone」=独りぼっちの題意と古刹の持つ荘厳さが不思議な調和を醸し出していた。

 すっかり日も暮れ、野外の夜に初めて聴く真夜ソングだから歌詞の「一人ベンチに座り いくつも電車 見送る 街の灯が にじんでしまう あの日に よく似ているわ」が何気ない部分でありながら胸に響く。そんな何気ない風景を失った被災地を想えば、特に、である。

 この度の震災で、自らは助かっても家族をなくして、独り身になった方もおられるだろうし、逆に家族を残してただ独り涅槃へ旅立たれた方もおられるだろう。歌詞が持つ「一人」「あなたの胸で泣きたい」とは行動は同じでも、心底にある意を異にする訳だが、それでも、この歌の歌詞が最後の最後に「でも欲しいのは同情じゃない」と唱えているように、被災者の方々にも様々な想いが壊れたときだからこそ、そんな中でも新に欲しいものを求める気持ちを持ち続けることが願われてならなかった。

17.TOMORROW
簡易感想 真夜さんの単独での出番はこれが最後となった。当然と言おうか、必然と言おうか、ラストは岡本真夜を知る全ての人が知ると言っても過言ではない「TOMORROW」である!!………って実はリハーサルを昼過ぎに見たから順番は知っていたんですけどね(苦笑)。

 先の「Alone」に続いてこの曲も弾き語りで歌われたのだが、最後まで弾き語りではなかった。1番、2番と歌い終わり、ラストを迎えるや真夜さんは椅子を立ち、知野氏も演奏を止め、夜の静寂と古刹の荘厳さの中に、唯一つ真夜さんの歌う、

「涙の数だけ強くなれるよ アスファルトに咲く 花のように 見るものすべてに おびえないで 明日は来るよ 君のために 涙の数だけ強くなろうよ 風に揺れている花のように 自分をそのまま信じていてね 明日は来るよ どんな時も 明日は来るよ 君のために」

の唄声だけが響き渡った。

 そこに込められた想いにダンエモンがコメントするのは………適切な言い方ではないかもしれないが、畏れ多い気さえしたものであった。

18.午後の汀
簡易感想 日本と代表するバイオリニスト・古澤巌氏の登場である。何せ今回発起人の東儀氏を始め、参加されたアーティストの方々は真夜さんとタケカワ氏と西村氏を除けば、ほぼ全員が、この日初めて存在を知った方々で、それでもコンサートを通じて、東儀氏と古澤氏が昵懇なのは誰の目にも明らかだった。両氏はこのコンサート以外にもコンビで被災地各地を巡り、多くの人々に勇気と活気を与えて回っていると聞くにつけ、頭が下がる想いだった。
 ちなみに両氏は同年齢であることも昵懇な要因の一つになっているとのことだったが、見た目には同い年には見えなかった(苦笑)(失礼!)

 さて、最初に披露された「午後の汀」だが………ごめんなさい、歌詞が無く、知識にも無い為、コメントのしようがありません(土下座)。
 ただはっきり言えるのは、ダンエモンにとって、クラッシクを聴くような時ぐらいしかバイオリンの演奏を見たことが無かったので、思いっ切り普段着に、大きなスカーフで快活に演奏する古澤氏の姿は新鮮かつ、「なるほど、あの快活さが多くの人々に元気をもたらすんだな…。」と瞬時に想わされた凄さは確実なものとして感じられた。

 余談だが、ダンエモンは後に古澤氏がコンサートの2ヶ月前にNHK大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』に古田織部(千利休の弟子に当たる茶人)役で出演していたことを知り、氏の持つ幅広さを後付けで知って驚かされている。同時に東儀氏も3年前に大河ドラマ『篤姫』にて孝明天皇役を演じていたのを知ったが、こんなとこでも両氏は似通っているのも驚きであった。

19.いい日旅立ち
簡易感想 ここで知っている曲が出てきてホッとした(苦笑)。ライブやコンサートで知らない曲を聴く時程恥かしく、辛い時はないゆえに(再度苦笑)。
 タイトルのイメージが大きいのか、結婚式や卒業式で歌われることの多い曲だが、作詞・作曲者である谷村新司氏は歌詞の内容的に祝いの曲であることを否定している(と言いつつ、谷村氏自身、ある芸能人の結婚式で歌っていたのだが−笑)。確かに歌詞には「過ぎ去りし日々の夢を叫ぶとき」とか、「母の背中で聞いた歌を道連れに」とあることからも、「旅立ち」に間違いはないのだろうけれど、確かに「門出」とは意を異にするようだ。

 勿論、古澤氏はバイオリンによる演奏のみで、歌唱はない中、脳裏に歌詞を浮かべ、望まずして始まった、被災地の、日本の「旅立ち」に、歌詞同様の「道連れ」となり得る一助が為されんことが祈られた。

 個人的な話だが、初めてこの曲の存在を知ったのは『特捜最前線』にて殉職した津上刑事の遺志を、特命捜査課の面々に退職した元特命課メンバーも継いで捜査に当たる特別編の挿入歌に使われていたものだった(歌っていたのは山口百恵さん)。この話には四年前に津上刑事の殉職と言う耐え難い別れが発端にある。直接的な被害が無かったとはいえ、阪神大震災経験者として様々な「別れ」を余儀なくされた話を聞いてきた身として、この度の震災にも様々な「別れ」(生死問わず)があったからこそ、二度と戻らぬ日々からの別れに対して、それを乗り越えて生まれるものをすべての人々に大切にして欲しいものである。

20.Fine Day
簡易感想 古澤氏による3曲目だが……ごめんなさい、知識に無く、歌詞もないのでコメントのしようがありません……。閲覧者の皆様、古澤氏に申し訳ない次第です……。

21.祈りの杜
簡易感想 古澤氏の4曲目。例によって知識にも無く、聞き取れた歌詞もない中、辛うじて印象に残っているのが、「小学校の朝の登校時か効果に使われていそうな曲」というものだった。
 コンサートの目的が目的なので、活気ある曲が望まれる中、犠牲者の御霊に安らぎをもたらされることが願われる曲だった。

22.Jupiter
簡易感想 いよいよ発起人の東儀秀樹氏登場である。雅楽に対して結婚式の高砂のような曲を想像するぐらいの知識しか持っていなかっただけに、前述のアーティストの方々に東儀氏が雅楽器で参加していたのにも驚きだったが、一曲目がこの曲だったことには腰を抜かしそうになった。

 勿論平原綾香さんのデビュー曲にして、超有名曲にして、以前に真夜さんのライブでもある話のノリから観客の女性がこの曲も名前を挙げ、真夜さんも「「Jupiter」はいい曲よね。」と仰っていたことを思い出したりもしたものだった。
 また、これはこのコンサートの後に知ったことだが、「Jupiter」もまた震災に傷ついた人々の復興への支えとなった過去を持っていた(2004年10月23日に発生した新潟中越地震の際に新潟県内のラジオ局似て最も多く、リクエストされ、平原さん自身、後に現地を訪れて熱唱している)。

 雅楽器による独奏ゆえに歌詞を耳にすることはなかったが、雅楽特有の荘厳さに、古刹空間の荘厳さ、そして数々の曲と調和させてきた東儀氏の技量に耳を傾けながら、脳裏にてこの曲の「私のこの両手で 何ができるの? 痛みに触れさせて そっと目を閉じて」「私たちは誰も ひとりじゃない」「望むように生きて 輝く未来を いつまでも歌うわ あなたのために」等の歌詞が自然とリフレインされた。
 選曲も見事なら、場所とのマッチングも、楽器やジャンルを超越した技量もまた見事という他はなかった。
 いつか東儀氏がこの曲を演奏するのを平原さんと真夜さんのデュエットで聴きたい、と思った私は贅沢者だろうか?

23.boy’s heart
簡易感想 例によって、知識に無く、歌詞を聴き取れずではコメントのしようが無いのだが、それでも演奏に先駆けての東儀氏のコメントは印象的だった。
 失礼ながら、本日初めて本人を目の当たりにして、その存在を知った東儀氏(TVで見たことはあったが、当時は記憶していなかった)だったが、数々の曲に笙でもって見事に調和させていた技量に驚かされていたが、それでも東儀氏は4歳になった息子さんのすで放たれる歓声に「叶わない」と思わさせられる時がある、と仰っていた。
 前述したように、ジャイアン級の音痴で、学生時代に如何なる楽器も人並みにマスター出来なかった道場主は楽才と言う物を10代前半にして諦めていた(正確には「無いもの」と思い込んで一切の努力を放棄していた)。ある人には「天性の物。楽才の無い奴はいくら努力しても無駄。」と言われたこともあった。しかし東儀氏の言葉を聞いて、「優劣」は如何ともし難いかもしれないかも知れないが、「個性」としては誰にでも楽才はあるのではないか?と思わされた。

「boy’s heart」のタイトルに対し、人間の成長過程にはなかなか純粋さをいつまでも持ち続けられないものだが、震災の犠牲のなった数々の犠牲に対しては行動や思想の是非は別にして、誰しもが自然な哀悼の意を持っているものと想いたいものである。

24.Best Friends
簡易感想 くどいが、この曲も知識に無い。それゆえにコメントは非常に困難なのだが、演奏に古澤氏が加わったことが、幾分なりとも堪能と理解を与えてくれたように思われた。

 東儀氏が舞台の右手に進み出て演奏すれば、反対の左手には古澤氏がアクションも大きくバイオリンを弾きまくり、逆に東儀氏は左手にて身を乗り出すように笙を吹けば、古澤氏はバイオリンと供に舞台右手に進み出た。

 前述したように東儀氏と古澤氏はジャンルを越えた「Best Friends」でアーティスト活動も、この度の震災に対する復興支援活動も行動を供にされていた。高名な両氏に重ね重ね失礼ながら、この日初めて名前を知った両氏の交流の深さを知る術はなかったが、それでも子供のような無邪気さを漂わせながら、雅楽やクラッシクの品格に捉われない快活さに両氏の交流を垣間見た気はした。

25.子供たちに優しい未来を
簡易感想 東儀氏の曲もこれが最後となった。最後はピアノにての弾き語りで、曲に対しては何ともコメントし辛いが、前述の三曲を含め、タイトルや曲調から、人間にとって災況に在って何が大切であるかを教えてくれた気がした。
26.故郷
簡易感想 これがトリである。最後の最後に伊藤多喜雄氏、フラ・ハウラ・カフラ・オ・ハワイの皆さん、西村由紀江氏、タケカワユキヒデ氏、古澤巌氏、東儀秀樹氏、そして真夜さんと知野氏も加わって、全員が壇上に上がり、童謡としても有名なこの「故郷」が歌われた。
 ご丁寧な事に参加者に渡されたパンフレットの中に歌詞が描かれたものが同封されており、参加者全員による合唱となった。
 コンサートの趣旨ゆえにすべてを震災と絡めて考えてしまうが、この度の震災では「故郷」をおわれた方や、帰るべき「故郷」が瓦礫や海水に沈んだ方も少なくないことだろう。「夢は今も巡りて」「忘れられぬ故郷」の歌詞に胸塞がれる想いの方が全国に何十万人いらっしゃるか、想像もつかないが、せめて心の中に思い出として残る「故郷」が永遠の物であって欲しいものである。

 失われたものへの失われる想いは会場にいたすべての人々の総意と信じたい。お気に入りのアーティストの参加や、真言宗に対する信仰、等々参加した理由は人それぞれでも、最後の最後の合唱に込められた熱き想いは皆同じ、と信じたいゆえに……。

 余談だが、この曲の冒頭の歌詞、「兎追いし彼の山」を幼少の頃とはいえ、「兎(が)美味し(い)彼の山」、つまりは「懐かしの山で狩った兎は美味かった。」と思っていたのは道場主だけではない、と信じたい……。

所感 信仰する真言宗の聖地にて、敬愛するアーティストともに様々な想いを込めて参加した実に有意義且つ、稀有な時間を過ごした訳だが、願わくば次の機会には目出度いことに対して同じ場によるライブが開催されて欲しいものである。

 誤解を恐れず申し上げれば、「復興支援ライブにはもう参加したくない。」と言うことで、勿論これは「復興を必要とする大震災などもう二度と起きて欲しくない。」と言う気持ちである。
 まあ、逆を言えば目出度いライブをお寺で行うことと言うのは想像しにくいのだが(例が無い訳じゃない。大黒摩季さんはミレニアムを迎えるカウントダウンライブを東大寺で行った)。
 それでも期せずして参加した東寺でのこのライブがもたらす様々な想い・願い・勇気・活気は永遠の物であって欲しいと思うから心中は複雑である。

 ともあれ、様々な想いが錯綜しているが、発起人の東儀秀樹氏を始め、復興支援コンサートの意義に賛同し、参加されたすべてのアーティスト、関係者、貴重な場を提供下さった東寺関係者の方々には今尚頭が下がる想いである。
 ある被災者の方はおっしゃっていました。「天か、神か、何者にせよ、この度の震災が人に何かを気付かせるために起こしたと考えても、その被害は余りにも悲惨だ…。」と。至言であると思うし、この震災がどこぞの傍若無人態度Lサイズの馬鹿タレ知事が言ったような「天罰」だとはダンエモンは認めていない。天災にせよ、人災にせよ、犠牲を課せられるには余りにも不当と言わざるを得ない存在ばかりだった故に…。
 正直、震災を為した物が人智を超越した存在の手による物なら、それは悪魔の仕業に違いないと思っているが、そんなとんでもない打撃すらも人々から復興への意欲・願い・支え合う心は微塵たりとも動かし得なかった、と考える故に、この日のコンサートがもたらす心も、それを受け止める心も陣地を越えた存在に負けないことを信じて、改めてコンサートに尽力されたすべての方々への敬意を深くすることを持ってこのレポートを締めたい次第である。

 

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平成二六(2014)年四月一五日 最終更新