名前もしらないキミに

作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 Larry Honda

解説 アルバム『POSITIVE SPIRAL』の6曲目に収録されているこの曲は、収録曲の中でも随分青さと甘酸っぱさが漂う曲である。

 一応男の立場で書かれた一目惚れの曲である。同アルバムの初回特典DVD 収録の「セルフライナーノーツインタビュー」では知人男性の体験を通じて、目が合っただけでストーカー呼ばわりされかねなくなった世知辛い世の中に対する問題提起が述べられている。
 摩季さんに「これねぇ〜」と叫ばしめた、考察という意味においてはアルバム収録曲中一番かもしれない。

 背景をみると、冒頭の「名前も知らないキミに恋する僕はNight & Day 偶然のふりでPlatform必然のようにBus Stop」から通勤途上で一目惚れした「キミ」に対する語りかけようにも語りかけられない想いが綴られていくことになる。
 「週末は風に揺れて…」「週末も早く過ぎ去って欲しい」に表れている、会えない(正確には姿を見ることのできない)週末への嘆きはどこか「いじわる」を思い出させる。

 それにしても主人公である「僕」「初心」である。否、「初心」を通り越して内気過ぎる気すらする。
 「躓いたキミを受け止め 二人のハートに電流が走る そんなドラマみたいな出来事は在り得ないのかな」というふうに二昔前の少女漫画によく合った転校生と一足早く知り合って後から本格的に惚れあう展開を夢見る描写などは「アンタ幾つ?」と言いたくなる。
 誤解ないよう申し上げるが、ダンエモンは何も主人公をバカにしたり、甘酸っぱく青臭い展開を批判したりしている訳ではない。
 単に「夏が来る」にでも触れられていたように、年を食って物事を(余計な事を含め)色々知り過ぎてしまった故にこの曲の主人公のような恋のスタートはまず切れそうになく、「名前もしらない」相手に恋することができながら、他力本願や悲観的な描写が多いことに歯痒さを感じているのが正直な感想である。
 アルバムタイトルである『POSITIVE SPIRAL』に反するように「ネガティブスパイラル」という歌詞が出てくるのも妙に納得してしまう。

 「目が合う前に目線を下げなくちゃ 誰もがストーカーに思われるような時代さ」といい、「どうか気づいて でも怖がらないで チャンスを見つけるまでは 誰かのものにならないで」といい、「キミへのルートもない 目に留まるイケメンでもない」といい、よくまあここまで他力本願かつネガティブになれるものだ、と思わせる一方で、「僕」は想像の範囲とは言え、「逆方向っか… コンビニも違うし 自転車でスーパー 自炊してみようかな」「きっかけになるような偶然を増やすしかない」「もしも願い叶うなら… 朝のバス停で並んで 急に降り出した雨に そっと僕の傘を開いて…」という風に、自らが行動を起こす必要性も充分過ぎるほど踏まえている。

 その事を端的に表す歌詞は「運命なんて言葉はこの世から無くなればいい そうすれば馬鹿な夢も奇跡も願ったりしないのに Mailアドレス渡す それでいい でも… 打ち明けるその時は諦める覚悟もいるから」だろう。
 ダンエモンが「運命」という言葉を嫌っていることは「運命なんかクソ食らえ−RUNNAWAY BLOOD−」の解説などでも触れさせてもらっているが、「運不運への屈服」という意味ではなく、自力本願への決意として「そうすれば馬鹿な夢も奇跡も願ったりしないのに Mailアドレス渡す それでいい」と触れているところが秀逸で、それも「でも… 打ち明けるその時は諦める覚悟もいるから」と触れることで「僕」の決意が単なる蛮勇でないことも見事に凝縮され、表わされている。
 「僕」は間違いなく自力で行動を起こすだろう。

 「名前も知らないキミに囚われた僕はLittle Boy」と自らの弱さと向かい合い、それゆえに「姿の見えない朝はいっそ雨でも降って欲しい…」との「キミ」一筋の一途さを持つ「僕」は心底応援してあげたい。「ネガティブスパイラル」をポジティブに転化することの出来る男と見るゆえに。

 余談だが、ダンエモンが一番共感する歌詞は「同じ車両になれた日はすべての時が止まって欲しい」である。
 ン年前に関東の某遊園地観覧車に乗り、頂上にて彼女(当時)と口づけを交わした時は心の底から「すべての時が止まって欲しい」と思ったものである(ポッ)。


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平成二〇(2008)年二月二三日 最終更新