Naturally feat.DIMENISION & KENNY from SPiCYSOL

作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲  小野塚晃 / feat. DIMENSION & KENNY from SPiCYSOL

解説 摩季ネェの14thアルバム『MUSIC MUCSLE』Disc1「FIGHTING MUSCLE」の7番目に収録されている。
 誤解を恐れず表現すれば、曲調は何処か気怠い。まあ、「気怠い」と云うのは余り格好の良い表現ではないが、日常の「心を抑えて誰かを守る」「犠牲を払い自由を得る」ことからの解放を、冒頭にもある「頑張ることに 疲れてしまう すべてから逃れたい そんな日」からの解放を、「太陽みたい 意味もなく 注いでしまうのが 愛」の様な、タイトル通りの「Naturally」=「自然に」求める様に一切の力みが無いことに注目して、「気怠さ」とした。

 当然曲全般がまったりとして激しさは皆無で、倦み疲れた日常からの解放を無為自然に求める様が「ただ広い海 真っすぐの道 自然の中 心開け放して Deep breath」「子供みたいに疲れるまで じゃれ合っていよう」「一つになろうとするから 無理強いになる Fu uh Fu uh〜 思い出のように Fu uh〜 音のように Fu uh〜 重なり合って Natually」といった歌詞に現れている。

 ここで少し個人的な想いが入るが、ダンエモン的に注目する歌詞に「こんな時ばかり呼び出す私を許してくれる君は」がある。
 良く云われることだが、恋人同士が永続するか否かの要因の一つに、「一緒にいて安らげるか?」というものがある。都合の悪い時に呼び出せるのはある意味相手に対する絶対の信頼と安心があるからだろう。
 私事だが、かつて道場主の初恋の時、周囲の人々は「無理だから」と云ってほぼ全員が止めた。確かに可能性だけを論じれば勝算は0で、実際に道場主の想いは受け入れられなかった。そんな日々にあって、周囲の人々の中には、「Yさん(初恋の人)よりもMさん(同輩)にしたら?」と云う人が何人かいた。
 確かにYさんよりもMの方が話は合った。Mは当時には珍しい歴女で、道場主同様自分が一風変わり者であることに価値観すら抱いていたから、「口説く」とか「付き合う」とかいう可能性を考えればよっぽどこっちの方が勝算を抱けた。
 だが、当時道場主はMとの会話は「楽しい」と思う一方で、「疲れる」とも思っていた。Mは明らかに会話の中の「論争」を楽しんでおり、道場主の考えに何度も異論を投げ掛けて来た。勿論それは悪意あっての事ではないし、異論のぶつけ合いは楽しかったのだが、「彼女とは安らげない」と思うことから彼女を標的にすることは無かった。
ここで話をこの歌の歌詞に戻すと、結局恋人同士は軽い我儘御言い合い、応じ合いつつ自然に存することが出来る中が最も安定するのかもしれない。

 閑話休題。その曲調、歌詞内容からこの「Naturally」は摩季ソングにあって存在感の強い方でも、摩季ネェらしさに溢れた曲でもない。ただ「忙中閑あり」という言葉がある様に、激し過ぎる熱過ぎる女・摩季ネェだからこそ、この曲の存在は自分が大切にする概念の中に、時として真逆の概念が大切であることを教えてくれる気がする一曲である。

 尚、『MUSIC MUCSLE』収録曲がメインレパートリーとなった25周年記念ライブにおいて、この曲が歌われた際には、CDにて摩季ネェとデュエットしているSPiCYSOLのKENNY氏が歌っている部分はライブにてキーボードを担当している柴田敏孝氏(通称:敏様)が担当していた。


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令和五(2023)年一月四日 最終更新