二月の交差点
解説 椎名恵さんのフィフスアルバム『Dolce〜ドルチェ〜』の2曲目に収録。
今現在彼詞をもつ見の主人公が偶然見かけたかつての恋人の姿にその近況を心配する、という変わったシチュエーションの歌である。有名な歌謡曲で例えれば竹内まりやさんの「駅」が該当するといえるだろうか?
「彼」とのデートの待ち合わせ中に偶然に見かけた「あなた」は「肩を並べて 歩く女性もなく ひどく疲れた 顔をし」た状態で、主人公の想い出の中にある、「どんなに傷ついても夢だけは 抱いて生きていた」姿は見る影もなく、5年前に期待した「いつか会えたら あの頃よりも 素敵になったと 笑いたかった」姿に出会えず、さりとて声をかけることも出来ない切ない気持ちが何ともいえない。
付き合ったわけではないが、初恋の人に偶然すれ違った地元の駅で声をかけられたこと道場主にはある。苗字とはいえ呼び捨てだったのが嬉しかった(相手が先輩、道場主が後輩の間柄だった)。かつて愛した人達の中でも少なくとも二人は絶対に向こうからは声をかけてくれないのが些か悔しい(苦笑)が、心配をかけずに澄むのはある意味気楽なのかもしれない、この曲を見ると。初恋の人は道場主はふった直後、道場主が精神的ショックでその後の人生に覇気をなくすのではないかと心配しているようだった(優しい人だったから…)。
「別にかつての恋人より今付き合っている人の方が大事なんだから気にする義理はないんじゃない?」とか「5年で落ちぶれたのはそいつの責任だろ?」と見る向きもあるだろう。それを否定はしないが、全く気にかからないのも人生の一頁を振り返る上においては寂し過ぎないだろうか?
「女は恋を忘れるために 恋をするものよ 心に想い出を重ねながら 悔やんだ事をひとつずつ やさしさに変えてく きっと」とあるようになくしたものはそれゆえに得るものを持つものなのだから。
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