女はつらいよ。

作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 原田喧太

解説 摩季ネェの14thアルバム『MUSIC MUCSLE』Disc2「RESTING MUSCLE」のトップに収録されている。
 妻、取り分け主婦となった女性の倦怠を描いた一曲で、とんでもなく不幸と云う訳ではないが、主婦であるが故の日常の果てない苦労・苦悩を歌った曲で、タイトルは有名過ぎる邦画・『男はつらいよ』を拝借したものだろう。

 編曲を担当したのはギタリストで、摩季ネェと同い年で、この数年ライブを共にしている盟友・原田喧太氏で、歌唱中に出て来る旦那役の台詞を担当しているのはTUBEの前田亘輝氏である。それにしても、僅か5年とは云え飯島直子さんを妻とし、この曲でも仮初とは云え摩季ネェの夫を演じるとは何て羨ま………ごほん!ごほん!………ま、正直この愚痴は五十路になっても妻帯したことない故に主婦の苦しみを身近に見れない道場主の妬みでもある。

 推測するに、この歌詞の主人公は主婦の務めを殆んど感謝されず、「やって当たり前」的にスルーされているのだろう。
 主婦の務めと云えば、炊事・洗濯・掃除・家計のやりくり等が挙げられ、それ等にはまず終わりがない。不備があれば責められ、やっても感謝されないとなると「いつも笑顔でいてくれて言うなら 笑いたくなるようなBagとか キャッシュ 出しなさいよ」という心境で見返りを求めたくなるのも分からなくはない。
 男だって日常の仕事で上司にこき使われ、顧客や親会社の持ちだす難題に対応したりしていることに「生活の糧」=給料を得るという見返りの為に耐えながら働いている。生きる為に必要と思えば大概のことには耐えるし、ギブ&テイクの関係であることも重々承知しているが、それでも「金払ってるんだからやって当たり前」的な態度を取られると、言葉的にはその通りだとは思っても腹は立つし、ギブの為に尽力しても、労働待遇や対人関係がギブの為でも耐えられなければ、新たな雇先を求めることになる。

 だが主婦はそうはいかない。
 勿論、極端にひどい夫婦関係にあれば離婚も有り得るだろうけれど、子供がいれば簡単な話ではない。最終的に離婚を選んだとしても、子供と別れることになりかねないし、親権を得たとしても一人で育てる苦労を背負い、子供にも父親と別れる辛さを味わわせる。全くの一人になったとしても戸籍上の関係は履歴として残る。
 そんな事態を想定すれば捨てるに捨てられない日常に耐え忍ぶ様には男とは違った辛さが伴うことは何となく想像出来る。

 「夏休みが楽しいのは子供と貴方様だけ Oh No〜」とあるのも、一人の時間が貴重なガス抜きになるのが、休日程敵わない皮肉に裏打ちされている故だろう。そりゃあ、「どいつもこいつも人任せ」で、そこに感謝も無ければ「やんなっちゃうわよ」「消えてやろうか」と刹那的に想うのも無理は無いし、そう思ったことのない主婦の方が稀だろう。
 ただ、救いがあるのは直後の「でも私が決めた道」である。

 婚姻が成立するのも「互いが互いを選び合う」という人生における一種の奇跡の賜物である。当然「選んだ責任」が伴う。まして子供産むとなるとそれを育てる責務も生じるし、子供は自分と自分が選んだ相手の血を受け継いでこの世に出て来るのである。そんな責務や覚悟が無いものが結婚したり、出産したりする資格はないとダンエモンは考えている。
 この曲の主人公も「でも私が決めた道」に対して責任と覚悟が有るから「つらいよ」を連呼しつつも、耐え忍びつつ、「たまの女子会」「真夜中、湯船のワンマンショー」に息抜きを求めているのだろう。

 そんな歌詞内容を見るに、摩季ネェのかつての夫婦生活との因縁も感じる。
 摩季ネェは平成22(2010)年から平成28(2016)年まで治療先年の為に無期限活動休止期間に合ったが、この時初めて「主婦」としての自分を認識したという。
 それまで摩季ネェは曜日で決まっているゴミの日も把握していなかったという。「月木は可燃ゴミ、プラスチックは さぁ何曜日でしょ?」の歌詞はそんな体験から出たものだろう。そして主婦としての家事に勤しんで「当たり前にあるものは 勝手に揃わない 誰かが選び抜いたもの」との気付きも得たのだろう。
 その一方で数々の努力も空しく子供を持つことが遂に叶わなかった摩季ネェの心境を考えると言葉を亡くすし、せめて自作の曲の世界の中にも背負えなかった母としての苦労を背負ってみたかったのだろうか?とも思ってしまう。
 個人的な話だが、夫婦生活と云うものを想像するときに引っ掛かるのは、上述した様に、ダンエモン=道場主が妻帯しておらず、妻帯したこともないことにある(令和5(2023)年9月12日現在)。
 一応、一人暮らしをしたこともあるから家事を全部自分でやらなくてはならない苦労も、妻ならずともそれをしてくれる人と云うものが実に有難い存在であることを少しは認識しているつもりである。
 この年になっても妻帯を諦めてはいないから、日常業務に対してそれを「当然」とは思わず、労りの心は忘れないように注意しようと思っている。男だって、日常の業務に対する感謝が無かったら嫌だからな(苦笑)。

 余談だが、この「女はつらいよ。」は、摩季ネェの25周年記念ライブのエンディングにてBGMに使われてた。


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令和五(2023)年9九月一二日 最終更新