作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 原田喧太
解説 摩季ネェの14thアルバム『MUSIC MUCSLE』Disc2「RESTING MUSCLE」の2番目に収録されている。
一つ前の「女はつらいよ。」が主に「妻」という立場に立ったものであるのに比して、この曲はタイトル通りに「親」の立場に立ったものである。
「女はつらいよ。」の解説でも触れたが、ダンエモンは五十路になっていまだ妻帯していない(令和5(2023)年9月15日現在)ので、当然「親」にもなっていない。それゆえ、親としての苦労は傍目にしか目に出来ない。
よって、知識でしか語れないのが心苦しいが(苦笑)、とある作家の書いた文章に、
「今子供を育てていて、またかつて自分が子供だったからわかるが、子供は親の想うように育ってはくれません!」
というものが在った。
この曲の冒頭にある「しっかし 子供って難しいねぇ 自分を想えば尚の事 言いたくないけど 言わねばならぬ」は正しくその心境ではあるまいか?かつての自分を想えば、子供に対して半ば同情し、半ば「聞き入れはするまい。」と思いながらも、それでも云わなければならないことは多々あろう。
ただ、理由や正論性はどうあれ、云われる側である「子供」は面白い話ではない。それ故に、「好かれたいのに憎まれてばかりよエブリデイ」の歌詞じゃないが、昨今では子供に嫌われることを恐れて叱ることの出来ない親も増えているとか………。
まあ、その辺りは親になったことのない身ではエラソーには語れないが、それでも子供を想えばこそ、かつての自分に後悔や反省や罪悪感を抱きつつも、云わねばならないことを云い、鬱陶しがられつつも、最後には子供の幸せをひたすら願う………と云った歌詞になるだろうか?
であるならば、ダンエモン個人的にこの曲のコアとなる歌詞は、「親に迷惑かけ散らかした 俺達がどの面下げて 世間の常識 人としての良識 教えるなんて 戸惑ってんだぜベイベー Never give it up!×3 負けるな Never tell a lie!×2 曲げるな 寝顔にブルース」だと思っている。
自身の成長過程にも決して親に従順じゃなかったことがあり、今更ながらにそれを悔み、説得力の無い立場を自覚しながらも、子供ことを想えば云わずにはいられない………そんなジレンマだらけの日常に頭を悩ませつつも、子供の「寝顔」に癒される…………と推測する訳だが、当たっているのだろうか?(苦笑)
望みは抱けばきりがない。
「勉強しないより した方がいいさ 金もないより あった方がいい」とあるように、基本的には学業や生業に安定を求める。それも親は子の幸せを願いつつ、それと同等かそれ以上に無難な人生を望むからであろう。
だから「方がいい」と念じつつ、行きつくところは、「どっちだっていいのさ お前がいいなら どっち行ったっていいのさ たどり着けば」、「どこにいてもいいのさ 帰ってくれば どんなコでもいいのさ 愛があれば」となるのだろう。
親としての立場になり様がないので、子供立場で考えるなら、ダンエモン=道場主は明らかに「不肖の息子」である。
多少勉強が出来た以外は、スポーツ、音楽、工作、絵画は丸で駄目で、偏った知識だけを武器に生きていたから、事あるごとに知識をひけらかして眼だ到頭する故に度々いじめに遭っては両親と恩師達を悩ませた。
その学業の出来も中途半端で、教育に散々金を掛けさせた挙句、一応は世間で名を通った大学を出つつも、ろくな就職が出来ず、転職を繰り返し、財も成さず、出世もせず、妻帯さえしないまま平成26(2014)年に父親には逝かれてしまった…………取り敢えずは犯罪をやらかさず、出世の見込みがなくとも働いているだけの男でしかないのだが、親からすればそれがまずは基本で、そこから様々な望みが派生するのだろう。
話を摩季ネェに転じれば、摩季ネェは不幸にして「親」になることを諦めざるを得なかった女性である。子供が埋めない可能性が高いことを承知の上で結婚してくれた元夫のため、「何としても子供を持たせたい。」と願って。無期限活動休止を行ってまで不妊治療に尽力した。
それでも子供を持てないことが確定した折には、自ら離婚を申し出て元夫が子供を持てるようにした(元夫だったからは再婚後に無事に第一子を設けられたと聞いています)。
そんな摩季ネェのかつての夫婦生活を想えば、様々に複雑な想いがあってこの曲を作ったと思われる。そしてそんな摩季ネェが持つことの叶わなかった親子関係に限らず、人間同士の愛の中にある根本的な想いは、「どこにいてもいいのさ 帰ってくれば どんなコでもいいのさ 愛があれば」でないかと推測してこの解説を閉めたい。
摩季の間へ戻る 令和五(2023)年九月一五日 最終更新