リーマンブルース
作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 建部聡志
解説 大黒摩季さんのアルバム『HAPPINESS』の12曲目に収録されているこの曲は例えて言えば男性版「運命なんかクソ食らえ〜RUNAWAY BLOOD〜」とダンエモンは捉えている。
簡単に言えば一般サラリーマンの悲哀とその癒しを愛する人に求め、それを糧に頑張らんとする歌詞になっている。インターネットの普及とともに何時の頃からか一般会社員を示す言葉=サラリーマンを「リーマン」と表する事が多くなり、この曲でも多くの一般ピープルが陥る現象・立場に「ly man」、「ry man」、「りーマン」の接尾語を付して「Lovely man」、「Salary man」、「Hungry man」、「Sorry man」、「Smiley man」、「Fiery man」、「ギリギリーマン」、「困りーマン」、「粘りーマン」、「Lovatory Man」、「マン振りーマン」、「素振りーマン」、「Only man」といった普通名詞・流行語・造語が連ねられる。
それらの一語一語が一般サラリーマンに縁のある苦悩・苦労とセットにされているわけだが、これでもかとばかりに出てくる悲哀と苦難を癒すものは明らかで、「涙も孤独も飲み干し空騒ぎしてる俺達の せつなさキミだけにはわかって欲しい 疲れて帰ったら嘘でも 可愛い顔で出迎えてよ 腕によりなんかかけなくていいから 面と向かっては言えないが、、、Oh Baby」の歌詞は彼女の居る部屋に帰る若者のみならず、愛妻の待つ家庭に戻る一家の大黒柱にも癒しと希望を与えるだろう。
別の点で注目したいのはこの曲の主人公の一人称が「俺」という事である。「LOVIN' YOU」や「ボクらの知らないところで」や「Harlem Night」のように主人公を男とした摩季ソングは幾つもあるが、それらの曲では一人称は「ボク」で統一され、逆に「Return To My Love」や「理由」に出てきた直接話法での彼氏の台詞には「俺」が使われる。
二昔前のゴールデンタイムドラマの若手女優演ずるヤンキーの様に女性が「俺」を使うのは臭過ぎるにしても(笑)、男の立場で歌う歌では「俺」を用いて欲しいと考えていた、普段「私」を使ってばかりいるダンエモン(苦笑)としてこの曲の存在は男性の悲哀とそこから求める癒しと決意を扱う点からも嬉しい物がある。
以上二点を踏まえてやはり真っ先に頭に浮かぶのは「運命なんかクソ食らえ〜RUNAWAY BLOOD〜」との比較である。双方とも社会に生きる上での苦難・苦労をテーマにどう生きるかの決意を漲らせているわけだが、「運命なんかクソ食らえ〜RUNAWAY BLOOD〜」ではまだ見ぬ相手に、この「リーマンブルース」では既に存在する相手が癒しと希望の対象である事が男女の違いと並んで好対照である。
いつの世も人間が置かれた立場が伴う苦難は存在する。仏教が生老病死の四苦を説くように、サラリーマンならサラリーマンなりの、OLならOLなりの、それ以外の立場ならその立場なりの。そしてそれゆえに「このプロジェクトでかいけど 別に俺のギャラは変らない・・・」というような努力の意味を疑わせるような日々には本気で嫌な物がある(勿論単純に金銭だけの問題ではない)。だがこんな世の中だからこそ自分で自分に活を入れる意義を重んじ、決して甘える為でなく、より一層の奮闘の為に癒しを求めることを大切にしたいものである。
最後に歌詞中で気合の様に叫ばれる「Reman」には「勇気を取り戻させる」の意味を持つ動詞である事を付け加えておきたい。
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