作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 Larry Honda
解説 初めて聴いた時に「かつてこれほど考えさせられた摩季ソングが存在したであろうか?」と唸った程、アルバム『POSITIVE SPIRAL』の4番バッターであるこの曲は重い命題と、深い思慮と、人間関係における感情と理論の複雑性に満ちている。
タイトルに「ROCK」とあることから、以前はライブでもよく歌われた「ROCKs」の再来的な曲を予想したが、見事に外れた(苦笑)。因みにこの曲における「ROCK」の意味は「揺り動かす;ショックを与える」が相当であろう。
敢えて上っ面だけを見て評すると、「もし辛辣な歌詞に満ちた摩季ソングランキングがあれば間違いなく首位を争う一曲となるだろう。」、と思う程、主人公である「アタシ」の「アンタ」を責める言葉は辛辣を極める。
ある摩季ファンの協力を得て知ったのだが、この曲のとある会社での人間関係が元ネタになっているらしく、「アタシ」が上司としての権利と権威を振りかざして、部下である「あの子」を責めるだけ責めて、傷つける責任や後々の面倒見を一顧だにしない「アンタ」に対する対決と弾劾の意を示した内容となっている。
詳細は後述するが、ダンエモンは異なる人間関係を想像していたのだが、上記のことを踏まえて歌詞を読み直してみると、成程、「アンタ何様? それほど立派なのかな?」、「救いもヒントも残さないで 全否定でカッコつけてぶん投げ」、「人を責めるなら正しい答えを用意しなよ あの子の為というなら立ち直るまで付き合いなさいよ」、「人を堕として自分上げるあげ底の権力」、といった辛辣な台詞の数々で満ちている。
また、「鬼」の責めばかりで無慈悲な上司に投げつけたい台詞であり、自分が上司なら部下に言われたくない台詞でもある。
歌詞から推察するに、「アタシ」も「あの子」と一緒で、「アンタ」の部下で、下手に逆らえば、「自分も言われたくない」言葉を浴びせられ、同じ仕打ちを受けかねない、決して強くない立場にあるのだろう。否、実際に「結局あのコに飽きてこっちにシフト まぁ守れてよかったけどマジしつこい」とあるように、無慈悲な−しかもねちっこい‐仕打ちを受けている。
おそらく長期に渡る仕打ちや、それを何人もの人間に行ってきたことが腹に据えかねているのだろう。
チョット歌詞を見るだけでも「アタシ」の戦意は凄まじく、「自分の落ち度 隠して高みから裁かせないわ アタシもアンタを傷つけたら最後まで付き合うわ」や「いっそこっちイジメといて もうあの子は忘れて」、「それにアタシが世の中に必要かそうじゃないか 決めるのはアタシじゃないだから話半分に聞くわ」、「I ROCK YOU 受けて立つわ ROCK ME かかって来なよ I ROCK YOU アタシの正義 ROCK ME ROCKを燃やせ」とかなり好戦的・挑発的な態度も混じっている。
このような「アタシ」の怒りの基になっているのは、「アンタ」の上司としての責任のなさ(「人を責めるなら正しい答えを用意しなよ あの子の為というなら立ち直るまで付き合いなさいよ」、「自分の落ち度 隠して高みから裁かせない」)、労わりのなさ(「あのさ、どんな理由でも 言っちゃいけないことってあるんじゃないのかな」、「救いもヒントも残さないで 全否定でカッコつけてぶん投げ」)、思慮のなさ(「ウザいなら 逃げるなら 安易に傷つけないことね」、「あのねぇ、親の顔見たいって言うけど もうこの世にいないんだよね」)、それでいて不必要に大きく凝り固まった気位(「アンタがもし逆の立場ならそんな固いプライドじゃ 即死するんじゃないの?耐えられないんじゃないの?」、「とんだ姫様 裸の王様 脆い城で」、「有り余るその執着」)であろう。
さすがにこれだけ積もり積もれば傍から見ていても怒りは甚大だ。「鬼ィ…」や「不毛」や「もしかして… ヒマ?」といった嫌味交じりな一言も辛辣だが、ダンエモンが注目するのは「GET OUT」(=「出て行け!」)という末尾の叫びである。
企業において上司からの仕打ち(いじめ、報復人事、セクハラ、不当処分)に耐えかねて辞表を提出するサラリーマン・OLは数多く存在するが、主人公はこんなロクでもない上司こそ「GET OUT」せよ、と怒鳴りつけているのである。
余談だが、数年前、道場主はあるビルの中で部屋を間違えて女子更衣室に入ってしまい(←事故である。決して故意ではない)、中にいた白人女性に「GET OUT」!!と怒鳴りつけられたことがある(苦笑)。
この「ROCK YOU, ROCK ME」の特徴の一つに、それまでの辛辣な歌詞と戦闘的な曲調が、丸で別の曲の様に突然様変わりすることが挙げられる。
「昔よくいたんだけどな 人んちの子供まで本気で叱ってくれる おせっかいな婆ちゃんは もう いない・・・」
という歌詞は曲調とともに過去−過ぎ去りし時代が持っていた日常−を懐かしみ、現代日本から失われた貴重な教育要因の復帰を願うものともいえよう。
確かに昭和四八年生まれの道場主には、少年の頃、悪戯や社会のルールの逸脱をしでかして、全く知らないおばちゃんに怒られた記憶があり、それは別に不思議なことでもなく、寧ろそういう日常にやっていいこと、悪いことを学んだものである。
しかし現在では教師や部活動の顧問さえ「余計なお世話」、「教育に干渉するな」、「あんたに関係ない!」、と無理解な若い親に拒絶され、そんな親に叱られずして育った子供は周囲に叱られることを知らずに、自らの非を顧みる行動が身につかずして年齢だけ大人になって人を叱る意味も、人に叱られる意味も理解せずに身勝手な権力を振り回すという弊害は至る所で現れている。
「昔よくいた」筈の存在が「もう いない」と思わされる時、失ったものは決して小さくないことをもっともっと社会は懸念しなくてはならないだろう。
本当にこの「ROCK YOU, ROCK ME」は重い曲であり、考えさせられる曲である。
摩季さんは同アルバムの初回特典DVD 収録の「セルフライナーノーツインタビュー」でこの曲を「大作」とし、「大人の責任ある主張」、「叱ることの重要性」を説き、『POSITIVE SPIRAL』の対極であるネガティブスパイラルは「嫌われることを恐れて叱れない=助けられない」ことで崩壊する社会に根ざしていることをといている。
ダンエモンの個人視点を述べるなら、一番好きな歌詞は「人を堕として自分上げるあげ底の権力は いずれ真実に淘汰されそれこそ何もかも失うよ」である。
この様な根拠薄弱にして悪い生まれに裏打ちされる成功への否定は「friendship」でも歌われており、「勧善懲悪」、「悪・即・自滅」という世にあるべき概念で好ましからざる人物の身勝手言動にメスを入れる様は、人々に勇気と希望を与える歌謡の世界から現実にシフトさせたいものである。勿論その為にはダンエモンにはまだまだ精進が足りなさ過ぎるのだが。
さて、前述したダンエモンのこの曲の背景への推察だが、ダンエモンはある知人から教えられるまで、この曲の歌詞における「アンタ」はかつての想い人で、「あの子」は今カノで、元カノである「アタシ」が付き合っている時に受けた仕打ちを見かね、「アンタ」と「あの子」の双方の為に過去へのリベンジと、いっそ完全なる破壊から始まる未来への再構築を目指して立ち上がった歌詞と見ていた。
それゆえ「アタシもアンタを傷つけたら最後まで付き合うわ」の歌詞に、「アタシ」は「アンタ」との対決姿勢の胸の内に復縁を望んでいると見ていた。
結論から言えばこの見解は大外れで、「他の曲で的外れな解説をしていたらどうしよう?」と考え出すと楽曲房摩季の間の崩壊につながりかねないが(苦笑)、一つの捕らえ方として重い命題が持つ様々な意味は今後も掘り下げて行きたいものである。
摩季の間へ戻る 平成二〇(2008)年二月一九日 最終更新