作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 河野圭
解説 アルバム『POSITIVE SPIRAL』の5曲目に収録。一言で言って、「身につまされた曲」である。
身につまされた、という意味では「ROCKs」、「夏が来る、そして…」のような例もあるが、この2曲は人格的な意味で身につまされたのに対して、この「最良の日」では経験上身につまされた気がする。
それはこの曲が失恋の曲だからである(苦笑)。
勿論失恋を歌った曲は摩季ソングに限らず、この世にごまんと存在する。注目すべきは失恋、という人生における不合格・失業と並ぶ不覚が間違いなく節目としてとらえている所にある。
つまり「キミを失った最悪の日」が、同時に「本当の望み 知った最良の日」であり、「本当の望み 知った最良の日」でもあることをすべてが集約されているのはダンエモン如きが解説するまでもないところだろう。
冒頭に「たったひとこと たった五分で 恋はカンタンに 終わってしまうんだね」とあるところから、失恋は突然にしてあっけないものだったのだろう。
だが、恋の終わりとなる背景は事前に成立してしまっていることが多い。道場主も横恋慕だったり、恋人となるには明らかに障害となる欠点を相手に見抜かれていたり、相手が悪かったり(泣笑)、といった原因で恋愛関係が成立することなく終わった恋もあれば、この歌のように、「もしもこうすれば… あぁ Ah〜 たられば」に気付かずに、会えないその間に 変わってしまった常識」が呼んだ別れもある。
だから余計に思うのだが、何度経験しても失恋は辛く、嫌な物である。だから「信じていたんだ 過信にも似たForceで キミの代わりはいない アタシの代わりもいないと」の気持ちには心底共感する。
だが同時に失恋の中に得るものがあることもダンエモンは承知している。
ポジティブな感情とnegativeな感情を天秤に掛けるのは好きじゃないが、「最悪」だからこそ、背中合わせの「最良」が存在するケースは確かに存在する。
余り詳しく書く訳にはいかないが、道場主は10年以上前にひどい失恋をし、プライドというプライドを粉々に打ち砕かれ、半年は人前に出るのに恐怖を感じる心境にされた(実際には行動しない訳に行かない立場にあったので引きこもったりはしなかったが)。まさに「最悪の日」だった。
だが、「まさかの時の友が真の友」の言葉か、親友・先輩・後輩・恩師・その他の善意の第三者、と意外な人物が下手な慰めなどではなく、真に道場主が苦難を肥やしに這い上がる一助となってくれたことに、かつての道場主は「最良の日」を実感した。
この「最良の日」の場合、主人公である「アタシ」と「キミ」はちゃんと恋人同士として交際していた訳で、失恋は失恋でも上記の道場主とは過程的様相が全く異なるが、恋の崩壊に際して嫌でも注目せざるを得なかったネガとポジの挟間に立たされた心境は共通しているように思う。
そのことを踏まえた上で注目したいのが、歌唱ではなく会話調で語りかけられた「さよならを覚悟するまで 悩み苦しんでくれた君にも 時は流れる 心が砕け散っても 道は続く 希望が見えなくても 星は輝く たとへ 暗闇にうずくまっていたくても 太陽は昇る どんなに夜明けを拒んでも 目覚める 光りと共に まだキミを 過去にしないで」の部分である。
恐らくは主人公が自分自身に、そして「キミ」に言い聞かせるメッセージであり、大黒摩季さんがファンに贈りたいメッセージでもあるのだろう。
どんなに嫌がっても、無視しても時の流れに一切の容赦はない。強者であろうと、弱者であろうと、権力者であろうと、奴隷であろうと、果報者であろうと、不幸者であろうと、善人であろうと、悪人であろうと。
つまり人間誰しも眼前の苦難から逃げることは出来ても、その後に人生が続くことからは逃げられないし、続きがないとしたらそれは人生の終わり=死しかない。
そのことは「心が砕け散っても 道は続く 希望が見えなくても 星は輝く たとへ 暗闇にうずくまっていたくても 太陽は昇る どんなに夜明けを拒んでも」の部分に端的に表れている。
但しこの歌詞は断じて、単に人生の厳しさを突き付けただけのものではない。不幸に打ち沈んで、闇の中で現実逃避を続けたがる人生など許されないことを「暗闇にうずくまっていたくても 太陽は昇る どんなに夜明けを拒んでも」と例えている訳だが、直後に「目覚める 光りと共に」としているところが絶妙である。
そう、夜が最も深まれば後は明るくなるしかないように、不幸が極まれば後は幸せになるしかなく、「最悪の日」転じて迎える「最良の日」は「目覚める 光りと共に」という側面を持っているのである。
さて、上記のようにポジティブに論じる一方でこの歌が深い悲しみを湛えていることが否定できないのも事実である。恋というかけがえのない物を失うことで得る貴重なものがあるのは事実だが、恋という失いたくないものを失って得た代償だから大切にせずにおくべきか、という思いを抱いたこともある。
決して欺瞞でも、自らを偽るわけでもないのだが、摩季さん自身、同アルバムの初回特典DVD 収録の「セルフライナーノーツインタビュー」で、相反するふたつ想いを指して、ネガティブからポジティブへの気付きが「最良の日」とするいっぽうで、「私の屁理屈ナンバーワンの最たるもの。」とも論じていた。
ここまで論じてより一層の重みを持つのが「まだキミを 過去にしないで」という歌詞である。
くどいが、主人公は「今日はキミを失った最悪の日」があったればこそ、「自分の弱さ 知」り、「本当の望み 知った最良の日」を得るのである。つまりどんなに辛い「過去」でもそれは輝ける未来に必要不可欠なものとして、今後も保持しなくてはならないものなのである。
つまり「過去」が本当の意味で「過去」になるには「最良の日」が本当の意味で「最良の日」になってからのことで、そういう意味では「最悪の日」を「過去」にしてしまうのは「まだ」なのである。
アルバム『POSITIVE SPIRAL』購入前に収録曲の中にこの曲のタイトルを見た時、ダンエモンは「この日のために」のようなかけがえのない幸せを得た幸福の曲を想像した(ちなみにこの予想は『大黒摩季OFFICIAL FANCLB』の「FANLOG」にも書き込んだので、大外れなのがとても恥ずかしい……)。
同時に、「「最良の日」とはどういう意味だろう?「最高の日」では駄目なのか?」とも考えたが、歌詞を一通り聞いて完全に得心した。
過去があってこそ未来がある。ダンエモンも過去の失恋に囚われたくはないが、過去の失恋を「過去の遺物」にしてはならない、と自分自身に言い聞かせている。
摩季の間へ戻る 平成二〇(2008)年二月二二日 最終更新