作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 大黒摩季
解説 摩季ネェのデビュー30周年記念ベストアルバム『SPARKLE』Disc.1「New Songs」の12番目に収録されている。「SPARKLE」・「光 その先へ」と並んで、同アルバムの三本柱とも云うべき存在である。
同時に、摩季ネェのデビュー30周年を記念して制作された楽曲で、弾き語りによるバラードナンバーであり、レコーディングは摩季ネェの母校である藤女子中学校・高等学校の講堂にあるスタインウェイ・アンド・サンズのピアノを使って一発撮りで行われた。
そして令和4(2022)年のツアーではこのピアノ現物がライブ会場に持ち込まれ、弾き語りに使われた。このエピソードだけでもこの「Sing」が摩季ネェにとって如何に想い入れの強い曲であるかが分かろうというものである。
また同アルバムの『SPARKLE』Disc.4「Music Video」の1曲目にプロモーション映像が収録され、上述の母校講堂にてピアノを演奏し、弾き語る摩季ネェの姿が収められている。
そんな背景の充実に加えて、この曲の歌詞が持つ意味は一言一句が重い。歌詞に惚れるタイプとしては何とも嬉しい一曲である(笑)。
冒頭、「私はどうして生まれて来たの? そろそろ知らなきゃ 進んでいけない」とあるが、初めて聞いたとき、自分が何の為に生きているか?を日々考えている人間はどれくらいいるのだろうか?との疑問を抱いた。
ダンエモン自身も同じことをよく考えるのだが、それは自分の生きて生きた時間に自信が持てないからである。財も成さず、世に名を知らしめることもなく、妻帯もせず、何かをやり遂げたという自覚は丸で無い(令和8(2026)年9月6日現在)。無いから「何の為に?」と考えてしまう日々である。
とはいえ、四六時中考えている訳ではない。少なくとも仕事中は目の前の仕事を失敗しない様に集中して取り組まないと容易に失敗してしまう人間である。そして日々の義務に謀殺されて、「そんなこと考えている暇など無い!」という方々も多いことだろう。それ故、「そろそろ知らなきゃ 進んでいけない」の歌詞が重い。
ただがむしゃらに目の前の義務に取り組むだけの日々は間違いなく人生に存在するが、「ただやらなければならない。」だけでは人間、なかなか頑張れないものである。少なくとも本気では。
そして続く、「一人を選んだふりをしている けれど 独りが得意なわけではないの」の歌詞もまた重い。「一人」と「独り」という、似て非なる同音異義語は摩季ソングに何度か出て来た表現だが(例:「例えばそれが愛でもいいと思う」)、確かに衆愚に陥ったり、意に沿まぬ相手に唯々諾々と従ったりするぐらいなら「「一人」の方が余程マシである。だが、その「一人」が自分に人徳や魅力が無い故の「独り」は何とも寂しい。うちの道場主は何百回もそのことに苦しみ………グゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲ………(←道場主の極・吊り天井固めを食らっている)。
痛テテテテテテテテテテテ………解説を続けると、自分なりの選択を続けつつも、それが決して理想的な道で無かった中で、主人公は時に本音を伏せて生きてきたのだろう。勿論それは誰にでもある話だが、「言葉にできない想いは 言葉にしなきゃnn〜 思わなかったのと同じ そう言われてたけれど 怖くて 会話で伝えきれる自信もなくて 黙って 受け止めて今日も歌ってしまう」の歌詞からも、云いたいことを云えなかった局面が多大であったことが伺える。
だが、主人公=摩季ネェ本人にとって僥倖だったのは、「歌う」という手段があったことである。
その「歌う」も決して万能ではなく、歌詞の中に「いつか 伝わりますように」や「歌うためだけに 生かされているの?」と云った手段としての頼りなさや、ネガティブさを匂わせるものも散見される訳だが、「Sing この痛みが 誰かの救いになるなら この人生が 誰かの笑顔になるなら Sing この声で あなたを抱きしめたい」とある様に、言動で上手く伝えられない想い、それでも「歌」なら「救い」や「笑顔」に繋がり得ること、何より本人が強くそう想っていることが歌い上げられている。
能力や人格に関わらず、人生は決して順風満帆な時だけではない。否、順風満帆な時しかない人生など皆無と云って良いだろう。何の努力もせず、人の迷惑を顧みずに勝手気ままばかりをやった上で不幸な目に遭うなら、「自業自得」とも捉えられるだろうけれど、必死に努力しても報われなかったり、自分の努力ではどうにもならない面が原因で悪いことが続いたりすると「もしも神様がいるなら どうして私だけの 大切なものを奪うの? 何をしたっていうの?」とか、「この体もこの心も 選ばせてくれもしないで 運命や性を背負って 生きて行けというの? ah~」という想いに囚われてしまうことだろうし、そんな想いをしたことない人間は相当に幸せな人間であろう。
殊に「大切なものを奪」われるということに対する悲痛な想いや、理不尽さへの怒りに関しては、直近で「PHOENIX」でも「Pray for you 〜7月のé légie〜」でも歌われたのが記憶に新しい。
だがそれ故に、主人公は、摩季ネェは「Sing」=「歌う」のだろう。
過去に「LIFE 〜episode Ⅶ 挫折〜」にて、デビュー前後の自分が、自分には歌しかないことを自嘲気味に思っていたことを歌っていたが、その歌こそが摩季ネェの数少ない武器で、同時に最大の武器でもあるのはファンの言を待たないところだろう。
「たった一つの愛を 探して彷徨い続けて 幸せなフリをして」のものであっても、そんな想いを抱えながらも、否、抱えているからこそ、摩季ネェの歌は真の共感を得て、ファンもただ甘えるのではなく、本気で応えんとして声援を送るのである。
時には病苦に見舞われ、愛する家族・愛猫・音楽仲間を失い、アーティストとして才能の限界・スランプ・世の流行との乖離に摩季ネェも苛まれたことが何度もあったことだろう。だがそれでも「歌う」ことを選び続け、貫いて来た生き様もまたファンが摩季ネェに惚れる所以で、それに声援を送り、ライブなどで共に「歌う」ことで、摩季ネェが我々の「救い」、「笑顔」になることを願うように、我々の応援もまた摩季ネェの「救い」、「笑顔」になることを願い、歌と心で摩季ネェに対し、「あなたを抱きしめたい」と思う次第である(勿論、文字通りの意味で大いに望んでいる(笑))。
摩季の間へ戻る 令和八(2026)年九月二八日 最終更新