作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 Beingスタッフ
解説 大黒摩季さんの初のセルフカバー・アルバム『LUXURY 22-24pm』のトリである10曲目に収録。 摩季さんのデビューシングルにして、同名のアルバムにも収録されている、摩季さんの最初の曲がトリを飾るのもなかなか乙なものがある。
イントロからして大きく異なり、最初はこれが「STOP MOTION」とは思わなかったし、歌詞にしてもサビを冒頭に持ってきた原曲と異なり、「まだ泣けない 終わりに出来ないわ」から始まる。
続く展開にしても、原曲が歌詞中で何度も「STOP」という命令系を連発し、思いの丈を込めているのに対し、このセルフカバーでは軽快なステップで歌いあげられる様が、「もう一度」の想いを曲調ではなく、純粋に歌詞だけで強く伝えてくれている。
原曲では半ば悲壮感を漂わせていたことが、恋の終わりの終わりまで愛を強く持っておきたいと願う主人公の強い想いを伝えてくれていたのが、このセルフカバーでは悲壮感を感じさせない軽やかな曲調がラストの「最後まで愛されていたいの」の歌詞にさえ余裕を感じさせる。ひょっとして、主人公は「最後」とは欠片も思っていないのではないだろうか?
「Hear is last my wish. This moment…yeah」とあるが、「This moment」(=この瞬間)が「Forever」なのではないかとさえ思ってしまうのである。
人間誰しも楽しい時は短く、苦難の時は長く感じるものである。当然のことながら、愛に包まれた至福の時には、「時が止まって欲しい。」と望んでしまう。そしてその時が去ってしまうことが耐え難い故に、至福が悲壮感にすり替わってしまう、という矛盾が生じる。
決して元に戻ることのない時の流れだからこそ、止めようがないことを嘆くのではなく、嘆く暇があれば至福を精一杯満喫すれば、絶対的には同じ「moment」であっても、相対的には長さが違ってくるのだろう。そしてそれが常に可能となれば、「最後」とは、「命尽きるその日」=「死ぬまで続く愛」を掴めるのかも知れない。
止めようのない「This moment」だからこそ、そこにある想いを、すべてを惜しんで強く抱くことで、せめて心の中では永遠のものとして「STOP」させるとしようか?終わった筈の恋も実は終わっていないかも知れないな。
摩季の間へ戻る 平成二一(2009)年四月一六日 最終更新