旅人よ

作詞 岡本真夜 作曲 岡本真夜 編曲 西垣哲二

解説 岡本真夜さんの21thマキシシングルで、シミュレーションゲーム・『三國志14』のエンディングテーマ曲である。
 テーマ対象となったゲームがゲーム故に歌詞は古文の仮名使いで綴られた雅語的なもので、歌詞カードには御丁寧にも現代語訳(?)が添えられている。
 真夜さんの写真も髪を銀髪にして、和服と中華風の服を折衷した様な衣装を纏っている。雅語的な云い回しで構成された歌詞が何処か「君遥か」を彷彿とさせる。

 歌詞の内容は覇権を巡って勝敗の中で東奔西走する英雄達を「旅人」に擬え、遥かなる夢に向かって突き進むよう説くものになっている。
 道場主の分身の一つに戦国房薩摩守がいるように、道場主は歴史好きでもあり、当然中国史でも特に有名な三国時代にはそれなりに通暁していると自負している。三国志にて活躍する英雄達の中には父祖から継いだ地盤を拡大させた孫権の様な者もいれば、裸一貫から天下の一雄となった者も少なくない。
 特に主役の一人でもある劉備は血統こそ漢の皇室のそれだが生まれ育ちは庶民に等しく、最終的に三国の一角である蜀の皇帝になったが、旗揚げから蜀建国までに三度その地盤を失ってい、正しく「東へ西へ Ah 夢遥か」な放浪の日々を送ったこともあった。

 ただ、歴史好きとして想うが、いつ命を失うか分からない戦乱の世に生き、時に妻子とすら生き別れ、明日の見えない放浪の日々なんて余程人生に大望を持っていないととても耐えられたものじゃない。加えて殺し殺される日々も普通に考えるなら非常に辛い日々である。
 それゆえ群雄達はこの歌の歌詞で云えば「限りある道 なれば 悔いなし 最期 笑み栄ゆ 明日 知らぬ」の境地と覚悟で戦い続けたのだろう。
 読み手として英雄達の生き様を楽しみ、憧れ、非常に参考になることも多い時代だが、実際には絶対に過ごしたくない時代と人生でもある。だが、命のやり取りがなくとも人生はある種の戦いの連続であることもまた事実である。
 夢と野望を求めて、或いは居場所を求めて東奔西走する如く、「熱き思いを貫きたまへ 心起こし いざ給へ 旅人よ」的な心境に立つことは誰にでも起こり得るから、この曲の歌詞に共感するところの多い人も多いだろう。

 歌詞的に少し分からないのは主人公の立場である。
 どこか「旅人」に例えられた英雄達を叱咤しながら見守る女神の様に見えるので、時折呼び掛けれれる「君」は劉備であり、曹操であり、呂布であり、孫策であり、馬超でるように感じられる(←注:主に領土を求めて大移動を繰り返した者を取り上げました)。
 だが主人公がそんな「君」に如何なる想いを抱いているか?云い方を変えれば何を期待してるかがどうにも分かり辛い。歌詞の中に「君の声を聞かせたまへ 風渡る空 昇龍の如く」「良き日もあらあむもの 名を残せ旅人よ」とあることから、結果がどうなろうと自分の夢や野望を声高に叫び、一心不乱に突き進めと呼び掛けているのは間違いないと思われるが、最後の最後に「向かひける光は ただひとつ 君思ふ幸」とあることを見ると、「天下を取れ。」、「最終勝利者になれ。」と命じているように見える。

 まあ、そこまでピンポイントなものではなく、最終目的である「君思ふ幸」を達成してくれることが願いなのだろう。
 そして歴史物を象徴してか、この歌は流れる様に歌われるのだが、ラストであるこの「君思ふ幸」でもって余韻を残さずピタッと終わるのである。
 雅語的な歌詞が染みるような余韻を残すかと思っていたのだが実に意外だった。それも時に刹那的に生きることを余儀なくされる戦国人を重ねた故だろうか?

 現代日本に在って英雄の様な天下取りを目指す生き方は(ジャンル特化的にチャンピオンを目指すものを除けば)まず起こり得ないが、それでも悠久の時の中で野望に向かって東奔西走しながらも一心不乱に突き進む心意気は何処かに持っておきたい気持ちがダンエモンにもあることをこの曲に思い起こされた気がしたのであった。


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令和六(2024)年五月七日 最終更新