黄昏

作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 AKIRA NISHIHIRA
解説 大黒摩季さんのアルバム『HAPPINESS』の収録曲は概して激しさが少なく、2005年のツアーが終ればライブで歌われる事が少なくなりそうなのだが、そのなかでも9曲目のこの「黄昏」は影がとくに薄そうである。だが究極的に静かな中に打算も欲望も世間体もなく、敢えて弱さを認めて見を委ね合いたい想いにこの曲の魅力がある。
 誤解を恐れずにこの曲を一言で表現すると、弱い、の一言が思い浮かぶ。「許されるなら」「甘え合っていよう」「身を任せて」といった他力本願に裏打ちされる数々の歌詞からは普段の摩季ソングらしさが感じられない。
 静かな海辺の夕暮れを背景に「ふと目が合えば はにかみ微笑んで 拙い言葉を砂に埋めて」という風に余計な言葉や理屈を抜きに二人いる時間を静かに喜びが一見羨ましく映りながら、「誰かの手で 自然の力で 乱されるほど華奢な愛だから」という弱気とも取れる歌詞が歯痒くすらある。
 だがここで注目すべきが、所々に出てくる「ありのままで」という歌詞である。人間には様々な力=強さがある。まして同条件下で弱い相手ばかりを相手にしていれば無敗でいられる。だが能力・社会的地位・人脈・学歴・血統が幾らあっても、あるに越した事なくても、「ありのまま」は偽れず、これが弱くては外付け的な力や強さが剥ぎ取られた時に一気に無力に陥る。
 言い換えれば「ありのまま」に確固たる物を持っていれば無力に陥る事はないし、そこにある強さは誰にも奪えない(より大きな力でもって優位に立つ事は出来ても、だ)。その点を踏まえて注目される歌詞が「愛すること 愛される努力に 疲れた同士 似た者同士 傷つかないように 傷つけたりしない 君の言う「弱さ」が心地いいんだよ」の歌詞である。
 「疲れた同士」というだけで邪魔者や生涯物を跳ね除けて我が道を行くパワフルさは微塵も感じられないが、敢えて「弱さ」を認め、「傷つ」くことも「傷つけ」られることも避けて大切にした境地に「許されるなら ずっとずっと 一緒にいよういつまでも 夏も冬も秋も春も こうしてありのままで」という想いがあると思えば、そこに誰にも傷つけ踏み躙る権利のない純粋な愛がある、と見るのは穿った物の見方だろうか?
 「黄昏」を持って太陽は地に沈むが、そこにある「ありのまま」こそ誰に奪えない強さがあって、その強さを持って夜を越えたところに「ASAHI」が昇る夜明けがある、と思えば、アルバム『HAPPINESS』を見る目にも新たな一興が加わる気がする事に言及してこの解説を締めたい。
 

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