テノナルホウヘ

作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 建部聡志

解説 アルバム『POSITIVE SPIRAL』の8曲目にして、同アルバム収録曲でただ1つ建部聡志氏の編曲を受けたこの曲は有名な童謡の歌詞とも相まって、同アルバム収録曲である「名前もしらないキミに」とは異質の子供っぽさを感じさせる。

 タイトルの「テノナルホウヘ」は言うまでもなく、童謡にして、子供の遊びの際にも歌われる、
「鬼さんこちら♪手の鳴る方へ〜♪」から取っているのは明白だが、光である「あのコ」に寄り添って、「影のように生きるキミ」に惚れた「アタシ」が、「キミ」に対して、自分と付き合う方が光輝けることを説きながら自分との「恋」に、「夢」に、誘おうとしている内容になっている。


 注目すべきは2点。1点目は主人公である「アタシ」「セレブなお嬢」でもなく、「演技力」がある訳でもない「地味な」存在と自認しながら、それを欠点と捕えず、自分なら「キミ」「一番星みたいに キラキラ輝」かせる「マネージャー」になれる、という風に前向きに捕えている点で、これぞ短所を長所にして夢を叶える『POSITIVE SPIRAL』の真骨頂と言えるだろう。

 2点目はこの曲の歌詞に内包されている、「自ら動かなければ何も変わらない」という思いとメッセージである(異論もあると思うが、少なくともダンエモンはその意を確かに受け止めた)。
 「やっぱ顔かなぁ〜 スタイルなんかなぁ〜 性格が良ければなんて言うけど 好みじゃなきゃ2度目は無いわけで Ah〜 メイル友だけ増えてゆく」そうねアタシも セレブなお嬢なら 料理にやり繰り・仕切り・行き帰り 人任せでそりゃ 外見磨きます」とあるように、そもそもが恵まれている訳ではないのだ(少なくとも主人公はそう自認している)。
 だが、文句ばかり言っていても始まらないことも「アタシ」は自覚しており、だからこそ「Ah〜 妬むよりは軸にして…」と締め括っているし、「Ah〜 チャンスがなきゃひねり出せ」と述べてもいる。
 勿論このことは「アタシ」だけではなく、「キミ」にも呼び掛けている。それを端的に表す歌詞が、「キミが求めてる ギブ&テイクは あのコに無い たぶんわからない」であり、「キミが描いている ミラクルドリームは すぐ来ない 容易くない」であろう。勿論それは曲を聴くファンへの呼びかけでもあろう。
 古今東西、「妬む」だけで事態が好転した試しはないのである。

 それにしても「キミ」「あのコ」との関係(設定?)には、何がしかのメッージ性を感じずにはいられない。
 「叶えて あげたい その野望 知らず振り回す あのコが疎ましい」とあるところから、「キミ」「あのコ」は恋人同士にして、同じ職場なり、業界なりで働く同士でもあるのだろう。
 そして意図してか、意図せずしてか、「キミ」は明らかに「あのコ」の踏み台か引き立て役にされてしまっている。第三者が「疎ましい」と思ってしまうぐらいだから、かなりひどいのだろう。
 こんなカップル現実にも存在しないだろか?大袈裟な言い方すれば片方がもう片方を食い物にしてしまっている対人関係である。
 勿論「内助の功」であったり、「ヒモ」であったり、互いの対人関係を互いが納得しているケースもあったりするので、主従的な関係であってもお互いがそれを望むのなら第三者がとやかく言えるわけではないのだが、それでもダンエモンは、恋愛とは(夫婦関係も含めて)須く、「ギブ&テイク」であるべきと考える。
 こちらが貰う方だとしても一方的な関係など御免を蒙りたい。

 主人公は「地味なアタシとなら 一番星みたいに キラキラ輝けるよ だってキミはアタシのスター☆なんだから」「主役は二人いらない 演技力ないアタシならマネージャーにだってなれるよ だってキミはアタシの夢☆なんだから」としているが、  ダンエモンは「キミ」を輝かせることで、「アタシ」にも共に輝いて欲しいと思われてならない。


 同アルバムの初回特典DVD 収録の「セルフライナーノーツインタビュー」で、摩季さんはこの歌の内容に対して、「努力の人が勝つ」「勧善懲悪」「妬んではいけない」と訴え、その意を集約した言葉として、「妬むよりは軸にして」の歌詞を挙げている。
 嫉妬深い男・ダンエモンとしてはグサグサ来ずにはいられなかった(泣笑)。
 ダンエモンは富貴・能力の有無・容姿風貌等に関しては殆ど「妬む」ということをしない。しかしこれらの物に労せずして恵まれている奴がそれらを持たない私に対して見下す態度を取った時はめちゃくちゃ腹を立てる(惨めになるから表には表わさないが)。やはりどこかで嫉妬しているのかもしれない。
 そして恋愛問題に関しては自分でも恐ろしく、自己嫌悪じゃ済まされない程までに嫉妬する。
 前にも書いた気がするが、かつて惚れていた女が彼氏とラブホテルから出て来たのを偶然目撃した時に憤怒の形相の道場主には、非常任師範代・田夫野人庵を始め、三日間誰も近寄ろうとしなかった。
 勿論嫉妬するならするでそれを自らを鍛え、叱咤するエネルギーとして生きては来たが、今でも嫉妬そのものは正視に耐え難い程醜いものとしか思えず、「何故に人間の中にこんな醜いものが存在するんだ?」という疑問を何度も抱いた。
 だが、あの鬼のように嫉妬した日から10年以上を経て、思う。「あの嫉妬をそのままエネルギーにできれば俺はかなりの成功を収めることができる。」と。


 誰かを妬みそうになった時に、一歩立ち止まって自らに言い聞かせよう。「妬むよりは軸にして…」と。


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平成二〇(2008)年二月二四日 最終更新