THE END

作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 AKIRA NISHIHIRA
解説 大黒摩季さんのアルバム『HAPPINESS』の2番手に収録されている実質は最初の曲。ダンエモンが勝手にサブタイトルを付ける事が許されるなら「崩壊と創造」と名付けたくなるような、何かの終わりがあって新たな何かが生まれる事を想像させられる曲で、その基が歌詞の中で繰り返し連呼される「THE END IS THE START」であることは言うまでもない。
 歌詞の骨子は人生の新たな一歩を踏出す為に形だけになってしまった現在の恋を断ち切らなければならない、と理解しつつ執着してしまう苦悩を綴る形になっている。
 現状を放置してはいけない事を認識している歌詞は「終らせなきゃ明日はない」「自分が死んでゆく」「半端よね・・・ 何もかも・・・」等が挙げられるが、一方で今の恋=「あなた」を捨て切れないもどかしさを示す歌詞も「なのに 離れられない なのに 許せもしない」「心はその目を信じたいのに カラダが本能が確かな「愛のカタチ」を欲しがっている」「そう思いきれたら迷わないのに」「なのに 抱きしめられて なのに その腕 ほどけない」と多数ある。
 では何が主人公を迷わせるのだろうか?それは「あなた」を見捨てられない、との想いで、それを示す歌詞が「誰かにさらって欲しくても 愛に飢えた獣には野生の兎は近づかない」だろう。つまり主人公が見捨てれば「あなた」を相手にする女性が現れる事が見込めないのであろう(な、何か、とんでもないことを類推してる様な気が……)。
 それに連なって次に挙げられる理由は「あなた」の変化に期待するところもあるからだろう。「口先だけの甘い約束」と詰りつつ、「心はその目を信じたい」と望んでもいる。現実への認識と表面にしか見えずともそれを信じたい気持ちが主人公の心に矛盾なく共存している。それを端的に表す歌詞は「egoならegoで艶やかに舞って あなたが愛した私になって」であろう。
 そして「あなた」の有言不実行性を責めつつも、「ずっと悲しい眼ばかりで ごめんね最後まで頑張れずに ごめんね」とある様に何処か自分も責めている。自責の念も離れられない理由の一つであろう。但し、その自責が本当に主人公が背負うべきものかどうかは定かではない。世の中には自らが抱いている愛情に気付かず、それゆえにじ関と錯覚しているれいも多々あるから。
 さて、歌詞のタイトルでもある「THE END」についての考察を述べたいのだが、冒頭でも触れた様に「THE END IS THE START」とあるように終わりがなくて新たな始まりが有り得ないのは歴史においても人生においてもよく囁かれる理論である。変な話、前の王朝が滅びて次の王朝の誕生があり、先帝の崩御(または退位)があって新帝の即位がある様に、失恋は次の恋へのステップであり、サヨナラが次なる出会いの始まりである事は多くのラブソングで語られた事でもある。
 だがこれまでの考察を踏まえて注意しなければならないのは、主人公が何に対して「END」を求めているかである。歌詞の上部だけを見れば次の恋に期待を寄せているようにも見えるが、「あなた」の未来への懸念や変化への期待、自責を挙げれば「END」の対象となっているのは恋そのものより現状だろう。「END」「END」でも再会のある「END」と再会のない「END」もある。願わくばこの二人の為に再会という名の「START」のある「END」であって欲しいものである。


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