時のしづくfeat.Zeebra

作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 田中義人

解説 摩季ネェの14thアルバム『MUSIC MUCSLE』Disc1「FIGHTING MUSCLE」の11番目に収録されている。
 たとえどんなに小さな存在でも森羅万象総てに大きな力が宿っていることと、生命の神秘を感じさせてくれる一曲である。

 冒頭の「降り続く この長雨も 君を流れる その血も たゆたうと漂う波もみな ひと滴」の歌詞に代表される曲調と雅語的な表現が、どこか「砂の孤独」を彷彿とさせるが、スケールはこの曲の方が大きい。
 「眩く放たれる汗も 切なく零れる涙も 終わりまた始まる恋も 時の ひと雫」「誰もが偉大なフロンティア 一人一人が紡ぐストーリーが 時を重ね 織り成すハーモニー 鳴り続ける俺達のハートに」と云った歌詞は、何気ない日常が重ねられて悠久の時の流れが構成されていることを比喩しつつ、ただただ生きているだけのようでも尊く、かけがえのない時を過ごしていることを教えられる。

 殊に途中で、フィーチャリングしているZeebra氏が挟む、「数十億分の一の確率を制した精子が運ぶ遺伝子 天使のスマイルは親からのプレゼント 親から子 子から孫へと永遠」の歌詞は、男女の契り(早い話SEX)における受精に始まる生命の誕生における一コマから、生まれてくるすべての生命が如何に尊いかが歌い上げられている。
 まして、我々摩季ネェファンは摩季ネェが長く子宮の病に苦しみ、「子供が埋めないかも知れない。」と云うことを承知の上で結婚してくれた元夫の為に何とか妊娠しようと治療と努力を続け、遂に子を成せなかった過去を知っているから、この歌詞はかなり胸に来るものがある。
 かつて摩季ネェはホームページ上で、着床に至ったものの生育するに至らなかった命を悲しみつつも、そんな過程を経て生まれてきたすべての命を尊んで、「貴方はミラクル」と云う表題で文章を綴ったことがあった。
 それに対して、ダンエモンは「生声のシャウトを思い出して」との表題で、1999年8月の LiveBombLevel.3にて、千葉マリンスタジアムで屋外の3万人を前にノーマイクで「最高の夏をありがとう!」と叫び、多大な勇気を与えてくれた時の摩季ネェを差して、元気を取り戻して欲しい旨を返信したところ、摩季ネェに喜ばれたことがあった。

 そのときから7年以上の時が流れ、摩季ネェがどういう気持ちでいるかは軽々には断言出来ないし、軽々しく立ち入ることも出来ないが、一滴の水でも長い旅路の果てに大海を為すように、「時の ひとしづく」を重んじ、些細な存在も侮ったり、軽く捕らえたりしない一方で、自らの力もまた微力であっても無力でないことを信じ、強大な相手も恐れない生き方をしたいものである。

 「君が失くした その羽は 役を果たし 脱ぎ落ちたもの 光り降る地のぬくもりを その手で触れる為に」とあるように、すべての命はいつかは終わりを迎えるが、それ以前に繋ぎ続けられたものがあってこの世に生まれている。
 「降り続く この長雨も 君を流れる その血も たゆたふと漂う波も 時の ひとしづく」とあるように、それはほんの一滴一滴の集まりでも確かな時を紡いだもので、「咲く故に蕾は膨らみ 必を受け命は生まれる 君ハ ワタシノ 陽ノヒカリ どうか 在るが儘に」とあるように、その尊さゆえにそうして生まれた自己を大切にしつつ、自分らしく、それでも自分が生まれるまで命を繋いできた者に恥じない生涯を送りたいとの念を新たにする次第である。

 摩季ネェは残念ながら自分の子を産めなかった。だが、ある意味、ダンエモンを含む大勢の「子」がいる。
 ある20代の摩季ネェファンは、両親ともに摩季ネェファンで、「生まれる前から摩季ソングを聞き続け、摩季ソング無しでは生きられない体で生まれてきた。」と述べていた(笑)。
 令和5年2月3日現在、アラフィフで一度も結婚しておらず、子孫を残す展望の見えないダンエモンが子々孫々の継続を語ることを片腹痛いと思う人も多いかも知れないし、この「摩季の間」が世にどれほどの存在感を持っているか分からないが、ダンエモンなりにその存在と意思を流し続けたい。


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令和五(2023)年二月三日 最終更新