作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 Yohey Takasaki & 武部聡志
解説 摩季ネェのデビュー30周年記念ベストアルバム『SPARKLE』Disc.1「New Songs」の3番目に収録されている。その昔、平成8(1996)年にアトランタオリンピックのテーマソング「熱くなれ」を歌った摩季ネェが、57年振りの東京オリンピック(厳密には56年振りだったが、新型コロナのパンデミックで延期となった)開催を記念して、(本人が云うには)「頼まれもしないのに(苦笑)作った曲」とのことである。
それ故、歌詞は国境とそれに伴う人種・宗教・思想信条を超えて平和のスポーツ祭典であるオリンピックと、それが行われる土壌である平和を讃えたものである。
実際、オリンピックは平和でないと開催出来ない。東京オリンピックも本来なら昭和39(1964)年ではなく、昭和15(1940)年に行われる筈だったが、日中戦争及び軍部の反対で返上を申し入れることとなり、オリンピック自体昭和15年、昭和19(1944)年は開催されなかった。
それゆえ、タイトルに「Peace」とある様に、歌詞中にて様々な角度から「『平和』」を訴えている。そしてその平和は「“Voice Of Japan”」であり、「僕らの『誇り』」であり、「外国に語れるメッセージ」であり、「僕らが生きた声」であり、それを「ここから世界へ届けよう」としている。
そんな平和の祭典であるオリンピックには、「夢が集まる」場であるとされている。確かに様々な競技に置いて世界一になることを目指した世界中の人々が集まり、メダル獲得を初めとする好成績を残せば、則、歴史に残る偉業となる。そして選手のみならず、自国の代表が成果を挙げることで国民たちにも大きな喜びがもたらされるし、時として国の名誉ともなる。逆を云えば、開催中止や自国のボイコットにより栄光を逃した例もあるだろう。
愚かな戦争は多くの人命や財産を奪い、戦地となった国土を荒廃させるだけでなく、それが無ければ持たれたであろう歓喜や賞賛や栄光をも奪ってしまうことがよく分かる。
そしてそんな背景を語ってか、二度目の東京オリンピックが開催される基となったこの平和の貴重さが歌詞中で連呼されている。「鮮やかな四季 しなやかなデリカシー 思い遣り それが“おもてなし” 我慢強く 情深いノスタルジーは贖罪のHistory」や「終戦の日から ただの一度も 戦争のない国は稀少さ 窮地でも 僕らは争わない」といった歌詞がそうだが、世の中には「贖罪のHistory」を「自虐的」と罵ったり、「窮地でも 僕らは争わない」ことを「平和ボケ」と嘲ったりする人もいる。
確かに「自虐」は考え物だが、「自責」との境界は必ずしも鮮明ではなく、「自責」を無視しては、「自慰」にしかならない。また、領海侵入やミサイル発射に「遺憾」しか云えない現状は考え物な面もあるし、自国内の外国軍人の犯罪をきっちり裁けないのも大問題だが、先の大戦で当時の人々は「戦争」や「原爆」にアレルギー反応を示す程うんざりの想いを強いられてきたことが(少なくとも武力で)「争わない」を根強くしていることを失念してはならないだろう。
戦争で勝てなくても、競技や賞を巡る奮闘、世界全体への貢献などで他の国に威張る意味ではなく、誇る意味で勝つことは可能であるし、戦時に前後する我が国の罪に蓋をせずとも、日本が世界に誇れることは幾つもあるし、一時の歴史における罪業ごときでビクともしないとダンエモンは捉えている。
話が逸れるが、平松伸二氏の『マーダーライセンス牙』という漫画で、死の商人組織の幹部である九鬼妖介が戦争ほど人類の進化に貢献した要素は無く、それを捨てた最悪の例が現代の平和ボケした日本であるとした(手前勝手な)戦争必要論を展開した時、主人公の木葉優児は、終戦以来一度も戦端を開かなかった日本の在り様を「誇り」とし、何処の国の誰にも悪く云われる謂われはない!と返した(それに対する九鬼の言は、結局「偽善者である板垣(←総理大臣で主人公の父)の飼い犬らしい」という嘲りでしかなかったが)。
閑話休題。この歌の「終戦の日から ただの一度も 戦争のない国」、「窮地でも 僕らは争わない」、「『平和』は、日本の『誇り』」の歌詞を聴いた時、上記の漫画の優児の台詞を思い出したものである。
そしてダンエモンが特に思いを強くするのは、そんな平和の尊さを解きつつ、その想いを「ここから世界へ広げよう」としているところである。どんな崇高な理念や尊き教えも、ただただ押し付けているだけでは独善にしかならない。
だが、この歌の歌詞は、悲惨な戦争を通して、平和の尊さを痛感し、不戦を貫いて二度目のオリンピック開催が実現したことを説き、そんな歴史の声を「wow We are “Voice Of Japan” 『平和』は、地球の『祈り』」としている。多くの悲しみや苦難を乗り越えて絞り出された声なのである。
更に、戦争による中止ではないが、本来令和2(2020)年に開催される筈だったオリンピックは新型コロナウィルスの世界的なパンデミックを受けて延期を余儀なくされ、開催までの一年間にも中止を求める声も相次いだ。この歌はそんな近々の歴史も踏まえ、「そして今 このメロディー繋ぐ時にも 地球を覆い尽くしたパンデミック 驚異のVirus きっと必ず 乗り越える 多くの逆境から学んだ遺伝子 人間は 負けない」と歌っているのだが、最後の部分、「人間は 負けない」は「ぼくらは まけない」と歌われている。
戦禍であれ、疫禍であれ、人類は多くの不幸に見舞われつつも、それを耐え忍び、そこに学び、数々の進化を遂げて来た。それらの歴史はすべて教訓で、後世に伝えられるべきものでもある。
残念ながらこの曲が生まれた後に、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった。
親露家である道場主(と云っても、ロシア料理を食らい、ウォッカに酔い、ロシア美女に鼻の下を伸ばしているだけだが(苦笑))にとって、実に残念な歴史が刻まれ、この解説を綴っている令和7(2025)年2月20日現在も継戦中である(傲慢な某合衆国大統領が暴論を展開して被害国であるウクライナを無視して停戦協議をしているが)。
だが、そんな悲しい歴史も、平和の尊さを学び、次世代に活かされることで戦争の犠牲となったロシア・ウクライナ両国の人々が浮かばれることを信じたいところである。
タイトルは「東京Only Peace」でも、「Peace」は日本だけのものにしたくないものである。そうなってこそ、「未来よ 君よ 輝け」の呼び掛けに応えられる世界となることだろう。
摩季の間へ戻る 令和七(2025)年二月二〇日 最終更新