作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 麗蘭
解説 摩季ネェの14thアルバム『MUSIC MUCSLE』Disc2「RESTING MUSCLE」の11番目に収録されている。12番目と13番目に収録されている曲がアレサ・フランクリンの曲のカバーであることを鑑みれば、この曲が事実上のトリである。
フューチャリングと編曲を担当している麗蘭とは、RCサクセションの仲井戸麗市とザ ・ストリート・スライダーズの土屋公平(別名:蘭丸)が組んだブルース・ユニットで、特に土屋氏は過去に摩季ネェのコピーバンド・フレンズにも参加している。
タイトル通りにロックンロールを「ロケンロー」と発音して「ロケンロー」及び、それを志した背景や挫折、そして捨てきれぬ夢と云った様々な角度で歌っている。
冒頭の「何でもないのに泣けてきちゃう 夕暮れ歩道橋 真夜中過ぎの青山トンネル 埃まみれ歌ってた 愛もお金もなかったけれど夢だけでよかったなぁ 東京Life」からは、コネも当ても確たる才能も無くても、夢に向かう一途さをエネルギーに突っ走って来たが、何処かで挫折したことが伺える。
続く、「失ってから離れてからしか ちゃんと気付けないバカ 神様や幸せ 生半可に持ちだしてしまうから ありもしない希望やラッキーを信じて 今日も叫ぶ転がる」の歌詞から、御世辞にも緻密な計算や、確たる勝算、強力な後ろ盾もなく、恐らくは行き当たりばったり的にぶつかり、失敗を重ね、詰まる所は「全部 自分のChoiceだ」として、反省も後悔もしているのだろう。
最終的に成功しているとはいえ、なかなか目が出なかった頃の摩季ネェのデビュー前を重ねることも出来るだろう。摩季ネェもシンガーソングライターとしてやっていくことに微塵も迷いを持たず、レコード会社からの採用に対しても、「貰べきものを貰いに来ただけ。」とエッセイ『ありがとう何て絶対言わない』で記していたから、本当に夢だけで(と云うと語弊があるが)突き進めると思っていた時期もあったと思われる。
だが、現実は甘くない。
歌にしても、絵画にしても、格闘にしても、単に技術に優れているだけに人間はごまんと存在する。まして芸能は人を惹きつける何かが無いといけない。実際、芸能と云う程ではないにしても、自らの人望の無さを度々悩むことのあるダンエモンは「君のギターは凄く巧いのに 何故ぐっと来ないかって? そりゃ簡単さ 誰のために 何を伝えたいのさ? HeartがうねるからChokingも深くなる 感情が無いなら 機械でいい 音楽もただのDataだ」の歌詞にグサッとさせられた。
よく、「ロックはテクニックではない、ハートだ。」と云う一般論を耳目にするが、この歌詞は正に「Heart」が足りていないことが演奏に現れ、技術があっても人を引き寄せられないと告げられていることを表している。
同時に、別段芸能の世界に生きた訳じゃないが、理屈で考えを重ね、何度も正論を主張しても、大勢の人を引っ張ったり、多くの人を感動させたり、大衆を大爆笑させたりした経験をついぞ持ち得ていないダンエモンはこの歌詞に悔しいながらも納得させられるものを感じた。いくら高尚な言葉、含蓄ある単語、格調ある表現を用いても、大衆・同じ集団にいる面子・世間様が何を求めているか、どんな価値観を抱いているか、一顧だにせず自己満足的に自分の中で「最高!」と云うものを並べ立てていたに過ぎなかった訳で、本当に「感情が無いなら 機械でいい 音楽もただのDataだ」の歌詞は、音楽とは違うジャンルでも身につまされた。
少し話は逸れるが、凶悪犯罪を巡る裁判で、裁判員裁判が事件に怒り、死刑判決を下しても、控訴審で「判例と異なる。」と云う理由で減刑されることがめちゃくちゃ多いことに対し、被害者の感情や裁判員制度よりも判例を重視するなら、「感情が無いなら 機械でいい」という気持ちを抱くことがある。
閑話休題。
悔しい想いと云えば、ダンエモンの洋楽無知が引っ掛かって来る。
歌詞中に「ボブ・ディランと“Blowin’ In the Wind”」と「ボブ・マーリーと“No Woman No Cry”」と「ビートルズと“Let It Be”」というものが出て来るが、普通に前者が歌手で、後者がその代表曲であることは想像がつく。そして、「ボブ・ディラン」や「ボブ・マーリー」が洋楽音痴のダンエモンでも名前ぐらい聞いたことあることを考えると、その後の「“Blowin’ In the Wind”」も「No Woman No Cry”」も相当有名な曲であることが想像出来るが、それさえも分からないのは本当に悔しい。
一流の生物学者になろうと思えば化学も物理学もある程度は精通していなければいけない様に、一流の日本史学者になろうと思えば世界史にもある程度通じていなければならない様に、音楽もまたとあるジャンルで一流になる為には別のジャンルに無知でいる訳にはいかないと聞いたことがある。
摩季ネェの楽曲解説を秀逸なものにする為には他の歌手の存在や名曲、洋楽をもっともっと知らなければいけないことを思い知らされた気もした。
だが、この曲の歌詞は挫折の悔しさに呆然として終わる弱々しいものでは無い。
始まりの曲調こそどこか頽廃的だが、「Rockスターも 悩んでもがいてる」ゆえに、自分が今もがき苦しんでいることを夢の途上と捉え、「平和な国でハングリーでもない 反発する体制もない 君らのRockはファッションだと言われ 何も返せずに そう思おうとしたけど」という苦い過去から目を逸らさず、「運命や人生に立ち向かい 明日を変えたくて アタシが壊すのは社会じゃない 自分の中の不実 勇気を出しては結果に裏切られて 心から血を流し LOVE&PEACEを歌う それがうち等のROCKだ」として、本当に自らが目指したもの、進もうとした道を見つめ直し、それを諦めず、今も進もうとしている意志を漲らせているのが心地良い。
詰まる所、原点回帰をした上で、その想いを忘れず、諦めず、進み続ける為に「心の声を 叫べばいいのさ」と我が身を振り返り、周りにも呼び掛けているのだろう。
そんな歌詞と想いを重ねる意図があったかは分からないが、25周年記念ライブ終盤にて、この「東京ロケンロー」が歌われた際に、バックスクリーンにはライブに参加した全メンバーの名前が紹介された。まさに「一緒に叫ぼう 転がろう」としたメンバーとの想いが重ねられたのだろう。
摩季の間へ戻る 令和五(2023)年一〇月一三日 最終更新