運命なんかクソ食らえ−RUNNAWAY BLOOD−

         作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 NISHIHIRA AKIRA
解説 

出ました

出ました

出ました!

アルバム『RHYTHM BLACK』の7曲目に収録されているこの曲はダンエモンにとって「Cyber Love」と共に同アルバム収録曲中の最高曲の二大双璧である。
 この曲にはアルバムリリース前にそのタイトルを知ったときから期待が大きく、そしてその期待を裏切られることはなかった。というのも、ダンエモン、というか道場主は「運命」という言葉が大嫌いなのである!
 些か偏見が入るが、事故や病気などの不運な要素で夭折した人に対して「そうなる運命だった。」などと使われるように、この言葉が多用される時の背景にある諦観的な感覚が大嫌いなのである。
 それ故にそれに対して「クソ食らえ」と銘打ったこの曲への期待は始めから大きかった。それでは個人的主観を踏まえた上で(笑)、解説に本腰を入れよう。
 この曲が語るストーリーは大都会の大奔流の中でもがき苦しみながらもそれに負けまいとする摩季ソングの真骨頂が裏打ちされている。他の曲を挙げるなら「この闇を突き抜ける」「OVERDRIVE」になるだろう。
 「アラームふたつで起きる 冷えたコーラで目を覚ます ミネラルウォーター買うふりして コンビニで仕送りをする」「金曜の作戦会議 女子トイレはまた盛り上がる ミュールにネイル・勝負服 幸せには元手がいる」といった歌詞は独身OLの僅かなプライベートタイムへの執着が見て取れる。「生きるだけで精一杯で 何にもできない 真夏のOFFICE WORKER メイク直してNIGHT WORKER」「誰にも言えないことが 誰にでも必ずある 満たされている人ほど 苦労話を聞きたがる 優しさより仕事をちょうだい」といった歌詞に歌われるような状況だからこそこのままでは終わるまい、このままに捨て置いてなるものか!というそれこそ目の前にある「クソ食らえ」「運命」を打ち砕かんとの意志の強さと突進性が心地よい。これでいてこそ「大黒摩季」である!
 さて、この歌の歌詞には聞き捨てにできない、一考を必要とする部分が二ヶ所ある。一つは一瞬「おや?」とさせられるところで、それは「神様なんてどこにもいない みんな救うほどマメじゃない どんなに祈っても届かない 私の暮らしは変わらない」である。仏教徒であるダンエモンとしては神仏の否定は心苦しいのだが、私はこの歌詞は神仏の存在の否定とは見ていない。
「みんな救うほどマメじゃない」の歌詞に注目して欲しい。これこそが摩季ソングの持つ強さではないかと思う。不況から脱せず、潜在的なテロの恐怖が増したとはいえ、世界レベルではまだまだ平和で豊かな日本よりも不遇な状況にある人々は世界に大勢いる。神仏は「みんな」よりそんな真に苦しむ人々にその救いの手を差し伸べられるべきで、自力で戦える力がある、自力で戦いたいと思えば何者かに救いを求めるのではなく、自らの手で「クソ食らえ」「運命」を打ち砕かんとする―それゆえに敢えて「神様なんてどこにもいない」と歌い上げているのではないか?ダンエモンは自らの信仰心もブレンドさせてその様に解釈している。
もう一つは「夏休みなんかクソ食らえ ビキニなんか捨ててしまえ」である。ビキニを捨てて欲しくありません、摩季さんが着ているところを私は是非見てみたいです(笑)。はい、ただそれだけです(笑)。
以上を見てきて思うだが、やはりダンエモンが一番好む歌詞は「瞬く笑顔守り抜いて 本当の幸せになる 薄汚れた日々だとしても 愛を刻んだエンブレム」である。前半には如何なる「運命」にも負けず、最後には勝利をつかむ、幸せにあるとの飽くなき意志が、後半にはそんな決意で生きるから不遇の比喩とも言える「薄汚れた日々」さえもが人生の大切な一コマ―「愛を刻んだエンブレム」となり得る、との人生全体の重視が描かれている様が堪えられない。
 今後の人生において、不幸に見舞われる度に私は心の中で叫び続けるだろう「運命なんかクソ食らえ」と。
摩季の間へ戻る