作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 柴田敏孝
解説 摩季ネェのデビュー30周年記念ベストアルバム『SPARKLE』Disc.1「New Songs」の8番目に収録されている。
出逢いに感謝する曲は世にごまんと存在するが、人間の弱さと強さに裏打ちされていたり、一時的な別離があったであろうことを匂わせていたりするところが何とも秀逸である。
冒頭、「思い出してたの あなたと私の“はじまり”を 偶然 同じメロディー 口ずさみながら」とあることから、劇的な出会いや、当初から親密な出会いだった訳ではないことが伺える。そして続く歌詞に、「心だけで繋がってた」とあることから、主人公と「あなた」の接点は希薄なもので、確かな絆になるまでにはそれなりの時間を要したことも伺える。
だが、距離や接点的な意味で希薄でも、「それだけで良かった でも 会いたくて どこか怖くて 時ばかりが過ぎて行った」とあることからも、主人公にとっては、只々失うことだけが怖い、かけがえの無い存在だったことが断言出来る。
何より、「あなたがいたから ひとりぼっちでも 独りじゃないと思えていた 自分を捨ててしまわず いられた あなたがいてくれるだけで 強くなれたの」とあるように、自分が自分であることの礎となる存在であることが大きい。
歌詞の内容からは主人公と「あなた」の関係を明確に捉えることは出来ない。ただ、出逢ってからの時間はそれなりにあり、全くの他人でないことは推認出来る。
同時に、「やっと会えた日は 嬉しくて 緊張して 強がって あなたが描く私にならなくちゃ そればかりで」や「愛しさや恋しさより 認めて貰うことばかり いつの間にか 距離を保って 独りよがりの義務感から逃げた」の歌詞からも「あなた」への想いの強さ故に主人公がかなりの無理をし、手段が目的化した様な愛情に苦悩した様子も伺える。
詰まる所、主人公は「あなた」を想うが故に、強くも弱くもなっている。
「あなたがいたから ひとりぼっちでも 独りじゃないと思えていた 自分を捨ててしまわず いられた あなたがいてくれるだけで 強くなれたの」との歌詞からは強くなる様が、逆に「あなたがいなくちゃ ダメだとわかってたのなのに離れて本当にごめんね 」の歌詞からは「あなた」を失うことを恐れ、去られてしまうと弱くなる様が赤裸々に表されている。
そんな主人公の「あなた」への想いは、言葉では表しきれない様で、そんな気持ちを現した歌詞が、「Just you, Just me… ありがとう 言うと軽くなるね」と「From you, From me…約束する と苦しくなるから」であろう。
言葉ですべての想いを伝えるのは不可能である。否、言葉ですべてが伝われば、それしきの想いでしかないというべきか?それでも想いを伝えたくて選ばれたのが、タイトルでもある「Whenever」=「如何なる時でも」ともに居たいという歌詞なのだろう。
常に共にいるということは、決して幸福な時間だけではなく、ときとして苦難を共にすることも必ず出て来る。変な話、楽しい時間であれば少々嫌いな奴とでも良い気分を味わえなくもない。だが辛い時間はそうはいかない。逆を云えば、辛い時間も共に過ごせてこそ本当の想い人なのだろう。それを端的に表した歌詞は、「弱さを見せることは 負けることだと思ってた でも揺るぎない絆があれば その弱さこそ 大切な居場所 抱き締めたい」だろう。
敗残の身をどうあっても晒せない相手は、決して良好な関係ではない。逆にそんな相手とは常に=「Whenever」では共に在れないだろう。「Whenever, Whenever… ありのままの 私でいるね」と断言出来るからこそ、「Whenever, Whenever… これからも そばにいて」と求めることが出来るのだろう。
興味深いのは、この曲の歌詞が、ファンと摩季ネェの関係にも置き換え可能ということである。
摩季ネェを敬愛する多くのファンは残念ながら摩季ネェにその存在を認知されない。中には一度もライブに参加せず、「生摩季」を生涯見る事の無い方も存在するだろう。だが、接点・接触が無いからと云って、その人の中で摩季ネェの存在が軽いか重いかなど、その人でないと分からない。
摩季ネェがTVの向こう側の存在、云い換えれば「雲の上の人」でも、常に、それこそ「Whenever」で心の中に宿し、人生・趣味・生業・その他の戦いにおいて勇気づけてくれる存在にして、かけがえの無い存在としているファンも多い筈である。
そう考えると、「同じ時代を共に駆け抜けて 同じ歌を歌いながら 生き抜いてきた 家族よりも深く心で繋がっているSoul Mate 戦友 かけがえのない Refuge」の歌詞はファンの心情を代弁したものとも取れる。
ここから先は少し自慢話が混じるが、ダンエモンはファンになってから10年以上の時間が掛ったものの、幸いにして摩季ネェに自分という存在を認知してもらうことに成功した。
道場主が最初の大黒摩季という存在を意識し出したのはパチンコ店でのことである。当時パチンコ店の設備関係の仕事をしていたので、パチンコ店内に張り付くことが多く、店内にはその当時の流行歌が常時流れていた。その中に「熱くなれ」があり、知らぬ間に摩季ネェへの想いが増幅されていた。
そして取引先のある女性から「今日、大黒摩季のライブに行くので早引きします。」と云われ、電話を切った瞬間に得も云えぬ羨ましさに囚われ、初めて自分の中で大黒摩季という存在が大きなものであることに気付き、CDを借りる様になったことからファンとしての人生が加速した。
そして平成12(2000)年に摩季ネェがプライベートHPにBBSを設置し、「ダンエモン」を名乗り、初めて摩季ネェの綴った文章に「ダンエモン」の名を見たとき、楽屋招待でついに直接会話や握手を交わし、ツーショット写真を撮影したとき、チャットで「ダンエモンさん、いつもありがとう。この名前を見るとホッとするのよね。」と云われ、感涙に咽んだとき、摩季ネェの50歳の誕生日に至近距離で直に本人に告白したとき、といった日々を経て現在がある(←完全実話である)。
残念ながら摩季ネェの彼氏や旦那にはなり損ね、三流サラリーマン故にすべてのライブやイベントに参加という訳にはいかず、さすがに四六時中の一分一秒も欠かさず摩季ネェを想っている訳ではないが、それでもダンエモンにとって摩季ネェが「Whenever」な存在で、摩季ネェもファンや仕事仲間や家族や愛猫達に対して「Whenever」であることを確信してこの解説を閉めたい。
摩季の間へ戻る 令和八(2026)年八月三一日 最終更新