WILD FLOWER

作詞 大黒摩季 作曲 大黒摩季 編曲 板垣祐介

解説 大好きである!!(←この表現、何回目かな?)
 アルバム『すっぴん』の3曲目に収録されているこの曲は、同アルバム収録曲の中ではこの「WILD FLOWER」「IT’S ALL RIGT」とともに最も気に入っている曲の二大双璧である。

 タイトルの「WILD FLOWER」、日本語に直せば「野生の花」となるが、初めて目にした時、「裸の大将放浪記」の主題歌として有名なダ・カーポの「野に咲く花のように」が連想されたが、プライドも飾り気もなしに「ただ咲くためだけに 懸命に生きてる」様を歌った素晴らしさは「野に咲く花のように」に勝るとも劣らないと思っている(ファンの欲目かも知れませんが)。

 歌詞の概要は「あなた」との出会いをきっかけに恋のみならず仕事にも充実した日々を送る様になった主人公が、「愛するためだけに 生き」「あなたがすべて」で生きてきた日々の継続を望みつつも、「自分に目覚めて 欲張りにな」り、自分の進むべき道を進むことで元の自分に戻れないことに葛藤するもので、身体を繰り返し、悩む様を「振り子のような心」とした比喩もまた見事である。

 しかしながら、歌詞にもあるように、「答えは出てる」も同然である。「あなた」には悪いが、主人公は最後には「あなた」を捨ててでも己の道を進むだろう。
 それを裏付ける歌詞として、「満たされたフリって 悲しいよ」「頼るばかりの女に戻りたくない」「いつかは なりたい」等の歌詞が挙げられる。これらの歌詞は誤解を恐れず切り込むなら、過去を否定し、未来を見据えたものと言える。

 もっとも、半ば以上意志が決まりつつも、「あなたがすべて」「与えることだけを 喜」んでいた日々、を心の中で捨て切れず、「いちばん悩ましい」筈の「半端」に葛藤しているのもまた秀逸である。通常なら「優柔不断」、「じれったい」と言われるマイナス要因である筈なのに。
 それはやはり主人公の想いが、未来に進まんとする想いも、現状に留まりたいとする思いも壮大なものがあるからであろう。だからこそ「WILD FLOWER」「野生の花」の比喩は凄まじく的を得ている。

 よく、「野生の花」に対を為す表現として「温室育ちの花」という表現が用いられる。花でも動物でもそうだが、「温室育ち」は厳しい環境から守られ、成長に不自由しない。それに対して「野生の花」は厳しい環境や外敵の脅威に曝される中に生きねばならず、食=養分もその場にあるだけのものを周囲に負けずに摂取して生き残らなければ命が無い。
 同じように美しく育ちっても、温室育ちには守られて育ったひ弱さと、作られた感が拭えないが、一流の育ちを受けて輝く完成度は野生の追随を許さない。
 一方で、野生育ちはすべてを自力で為してきた強靭さと達成感に溢れているが、自力では如何ともし難い環境によって完璧から損なわれるものも多い。
 一概に温室育ちと野生育ちのどちらがいいとは決め難く、双方に一長一短あるが、意志の強さは環境に関係なく共通するもので、温室育ちには与えられたものから生まれるものだけの生き方をして欲しくないし、野生育ちには環境に厳しさに損なわれない意志の貫徹を期待したく思うものである。

 最後に触れておきたいのは、やはり主人公が「あなた」と供に在りたがっている様である。最後の部分で「気が済むまで 待って 光りをくれたなら」とあるが、主人公は「あなた」に待つだけ待って欲しいのだろう。
 そして直後に「頼るばかりの女に戻りたくない」とあるように、一皮剥けた自分が「あなた」とともにあることを望んでいるのであろう。
 主人公が真に「いつかは なりたい」と思っているのは、「ただ咲くためだけに懸命に生きるきてる 野生の花」のような強さと意志を持って、「あなた」とともに在れる日々ではなかろうか?

 尚、アルバム『すっぴん』の初回限定版付属Disc2に収録されている「セルフライナーノーツインタビュー」によると、摩季ネェはアルバムのタイトル通りに「ハートのすっぴん状態」で、タイアップも契約も意識せずに曲の創作に掛った際に、この曲が摩季ネェの中に出てきた際に、非常な嬉しさと供に「まだ枯れていないんだ私!」と思ったとのことである。

 また、摩季ネェは現代を「邪念の多い世の中」とし、だからこそ諸先輩に気に入られようとして、綺麗でも、完成度が高くてもどこか作られた「ドライフラワーになりかけた自分」への戒めと、「WILD FLOWER」になる為の環境の変化」にも触れ、このような曲が作れたことに「妄想万歳」とものたまっていた(笑)。

 「ただ咲くためだけに 懸命に生きてる」……どこか憧れる、それでいて極めて難しい生き方だから、ダンエモンは惹かれるのだろう。(摩季ネェとは全く関係ないが)塙団右衛門が「大将としての采配など出来ぬ男」と酷評した旧主・加藤嘉明を見かえす為だけに生きた後半生にも通じる故に。


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平成二三(2011)年七月三日 最終更新