悪役万歳!!



悪役のレゾンデートル

 如何なるジャンルの物語にも「悪役」の存在は欠かせない。
 例え、「悪人キャラ」のいない物でも、主人公達と対立する存在として「悪役」は設定される。ま、正確には「敵役」な訳だが。
 殊に刑事ドラマは時代劇や特撮と同様に勧善懲悪である。必然的に「悪役」はその存在を必要とされ、また架空の話となれば名誉毀損の心配もないので、「悪役」はやりたい放題である(笑)。
 勿論一口に「悪役」と云っても千差万別である。黒幕的存在、知能犯、チンピラ、普通の人の突発的悪役、…etc。そしてその「悪役」の在り様は刑事ドラマの展開や意義に大きく影響する。故に「悪役」は非常に重要な役柄である(勿論主役にも脇役にもチョイ役にもエキストラにもそれぞれの重要性があり、どれが欠けてもいいものではない)。
 こう考えると、俳優達の中に悪役専門の俳優がいることの意味がよくわかる。例え同じチンピラ役でもストーリー的に背負っている物や、関連する対人関係によってそのカラーは何様にも変わり得る。
 半端者の役者を「悪役」にしては番組を殺しかねないし、理想的な「悪役」は主役の魅力を何倍にも高める。単に冷酷だったり、単に狡賢かったりすればいいというものでは勿論ない!故に真に「悪役」を演じこなす俳優は紛れもなく名優である。
 善玉俳優が「悪役」を演じると視聴者からの抗議が多く、特に特撮ヒーローの主役を張った俳優などは何年もそれに悩む(米国では初代スーパーマンはそれに苦悩した末に自殺している)。だが、逆に悪役俳優が「善玉」を演じても殆ど違和感がないどころか、ただの善玉俳優に出せない独特の味まで出す。実に興味深い。
 そこでこの項では代表的な悪役俳優の芸風と印象深い善玉役を紹介し、架空の世界の「悪役」を通じて現実の「悪」に何が訴えられているかを検証したい。


悪役列伝 (順・全くの思い付き。解説担当:リトルボギー、所見担当:三白眼)


長門裕之
生没年昭和9(1934)年1月10日〜平成23(2011)年5月21日(京都府出身)
一押し悪役東久雪(『少女に何が起こったか』)
印象に残る善玉役蒲生警視(『特捜最前線』)、他多数。
リトルボギーの解説……道場主が最初に長門裕之氏をTVで観たのは大河ドラマ「徳川家康」の本多作左右衛門役だった。その時は長門氏の名も、役所も覚えず、はっきりと悪役としての長門氏を覚えたのは1984年の「少女に何が起こったか?」で東音楽大学学長の娘婿にして悪徳教師・東久行を演じた役だった。
 当時キョンキョンのファンだった道場主はキョンキョン演じる雪を苛める久行先生に怒りを感じていたわけだが、その悪役振りを演技とは信じられず、「長門裕之は実生活でも悪人に違いない!」と思ったほどだった(苦笑)。
 そしてそれから約4年の後に「プロゴルファー祈子」や多くの番組で悪役としての長戸氏に慣れ切っていた道場主は「特捜最前線」の再放送で神代警視正(二谷英明)の親友にして、警視庁の窓際警視・蒲生大介役の長門氏を見て愕然とした。
 そこに居たのは、アクの強さは相変わらずながら(笑)、真に弱き者に味方し、友情に厚い、一人の初老の傑物だった。警察内部では窓際賊扱いされながらも時々の登場で、莫逆の友である神代及び彼の部下達を陰から支え、最期には娘の敵討ちの渦中で壮絶な死を遂げた一連の熱演は、かつての道場主をして、彼の人を見る目のなさを痛感させた。
 だが、こういっては些か自己弁護的だが、若き日の道場主がそれほどまでの偏見を抱いたのも、彼の人間的未熟に加えて、アクの強さを抱えつつもそれぞれの演技になり切る長門氏の演技力の凄さ、とリトルボギーは見ている。
 時には夫人の南田洋子さんとコンビで「ミュージックフェア」の名司会を務めたりもした長門氏の最近は時代劇での出番が多く、殊に「水戸黄門」では人殺しの武器である鉄砲鍛治から人々の役に立つ為に転職した包丁職人、夫役の過失から無礼討ちにされた息子の敵討ちを狙って井伊家の家老(これも悪役の中田博久氏)に挑もうとした熱血親父、世の騒乱を憂いて黄門様(石坂浩二)の良き相談役を務めた鍋島元茂、悪代官に反抗して廃寺に潜む人のいい生臭坊主、と実に多彩だが、物静かな役が一つもない上で多彩だから逆に凄い(笑)。
 逆に悪役時には不気味なまでに物静かで、黒幕的存在を見事に演じ切る長門氏の今後の活躍に期待したいも勿論だが、長門氏のそんな悪役芸風を受け継げる若手俳優の育成も期待したいものだ。


田口計
生没年昭和8(1933)年1月10日〜(長野県出身)
一押し悪役(「特捜最前線」)、他時代劇、刑事ドラマで数え切れず。
リトルボギーの解説 はっきり云って、善玉としての田口のおっさんを俺は見た事がねぇ。時代劇では悪家老、悪代官、悪徳商人。現代劇では暴力団の影のボスや悪徳代議士、とジャンルを問わず、知的な悪役が殆どで、自ら暴力を振るうシーンもまた皆無に近い。
 それゆえに田口氏の演ずる悪役キャラの悪辣振りは本気で腹を立てたくなる。ゴロツキ、チンピラを操り、人の弱みに付け込み、大金と暴力ちらつかせて自らの手を汚さないやり方は卑怯千万で、そのやり方が法廷で裁かれる時には「共同正犯」として実行犯以上に厳しい罰が課せられる悪質なものである。
 田口氏の決して自らが動かない悪辣振り(演技)を見た時、現実の世界の悪事に、自らの手を汚さず、裏で糸を引き、悪事に苦しむ人々の姿を正視せず、苦悶の声に耳を傾けない黒幕的な悪人どもが如何に卑劣な存在であるかがよく分かる。
 現実の暴力団やダークカルトが絡んだ殺人・暴行事件でも実行犯より裏で糸引く組長・若頭・教祖・幹部等に対しては前述した様に法律も厳しい態度で以って臨んでいる。その視点で見ると、田口氏の怪演はそれがフィクションである事に心底ホッとするほど見事で、同時に氏の怪演にダブルような現実の悪人がなかなか捕まらず、その裁きにも異常なまでの長い時間がかかる日本の裁判に腹立たしいものを感じる。


神田隆
生没年大正7(1918)年4月14日〜昭和61年7月13日(東京市出身)
一押し悪役木佐崎竜山(『特捜最前線』)、他時代劇、刑事ドラマで数え切れず。
印象に残る善玉役高倉長官(『ウルトラマンレオ』)
 東大(正確には東京帝大)出身のインテリ俳優で、故天本英世氏とは同じ東京帝大出身悪役俳優の二大双璧だったと云っていい。過去形で示されるように二人とも故人であることが惜しまれる。
強面・がっしりした体格・重厚感のある声と佇まいを持ちながら以外に神田氏にはヤクザの組長といった役所が見られない。刑事ドラマでは悪徳政治家・悪徳商人、時代劇でも悪徳商人・悪代官といった役所が多く、まずは自ら暴力を振るうことはなく、辛辣な意見を浴びせたり、一段高い所から立場的弱者に絶望的な嫌味を浴びせることが多い。
 これは意外に善玉役が多い子供向け特撮番組でも共通し、MACの高倉長官などはその最たる物だが、決して嫌味なだけの人物では終わっていないところに神田隆という俳優の魅力がある。
 悪者であっても、自らの悪事が完全に露見して云い逃れ不能になった際に神田氏演じる悪役は意外に潔く、肩を落とした表情・佇まいが多いものの、開き直ったり・逆ギレしたりすることはまず少ない。さりとて謝罪したり、反省したりするわけでもないのだが、前述の高倉長官を演じた際には自らの認識の間違いを認めるや自分よりかなり格下の部下にしっかりと頭を下げ、自らの間違いを是正してくれたことに感謝の意を露わにしていた。
 現実に神田氏が演じるような悪者が裁きの場にかけられた時はどうだろうか?謝罪も悔悛も殊勝な態度も、「演じている」と見る事も出来れば、相手に対する嫌悪や憎悪から真摯に謝罪・悔悛・殊勝に努めていてもそれを認めたくない、認めまいとする事もあるだろう。
 勿論許す許さないは別個として本気で謝罪・悔悛・殊勝に努める事は大切だ。例え助命や減刑を求める為の誠意の伴わない上辺だけの物だとしても、小学校に乱入して罪なき児童を多数殺傷した鬼畜野郎(既に死刑執行済み)の様な、遺族の心の傷を抉り、逆撫でする態度に比べればマシだ(それ以前の問題という気がするが…)。
 勿論裁判官はエスパーじゃないから読心術なんて使えないし、使えた所で証拠になる筈がない(客観的証拠として立証し得ないから)。だがリトルボギーはやはり罪人達に謝罪し、悔いて欲しい。神田氏の自らの手は汚さずとも、悪のリーダーとして云うべき暴言・侮蔑を吐き、それが崩壊した際に消え去ったかのように力を落とす演技は現実の悪の滅び方もそうあって欲しいと思わせるものがあり、同時に善玉としての改心振りを合わせてみると、許す許さないの次元を超えた罪と償いへの体面が人間にとっていかに大切であるかが学ばされる。
 故神田隆氏の御冥福を祈りつつ、「悪」の色の絶頂と崩壊にある人としての在り様に教訓をくれる名優振りに今更ではあるが献杯したい。


安倍徹
生没年大正6年月日〜平成5(1993)年7月18日(福岡県出身)
一押し悪役(『水戸黄門』)、他時代劇、刑事ドラマで数え切れず。
印象に残る善玉役桜井正規弁護士(『特捜最前線』)
 時代劇にて悪家老を演じる筆頭といっていい。先の神田隆氏同様、自らは暴力を振るわず、黒幕として裏で糸を引く役柄が多いのと同時に、表向きは最高権力者の直下でそれなりの信頼を勝ち得てる事が殆どなので、安倍徹氏の演ずる役柄には随分腹を立てたものである。
 意外と云おうか必然と云おうか、安倍氏は実に上手く笑顔を作る。何せ権力を握るものとして表向きのフレンドリー且つ、世の為人の為主人の為粉骨砕身勤めるクリーンな笑顔と、下司の親玉として弱者から富と権力を貪った嫌悪極る笑顔の両方を求められ,演じこなすのだから。見た目のイメージに胡座をかいているだけの中身のない俳優には絶対無理な役所だ
 安倍氏の低くもよく通る声は、悪事が露見し、いよいよに追い詰められた際に、往生際悪い醜態を見せるにも、大物らしく堂々連行されるにも、うってつけであり、それが様になるのもそれ以前の悪役振りが映えればこそである。
 圧巻なのは『特捜最前線』の最終回三部作の残り2話で演じた桜井正樹弁護士役だ。桜井弁護士は桜井刑事(藤岡弘)の父親で、冷徹な弁護士として、前半では悪徳政治家や悪徳企業主に追随する悪徳弁護士であるかに見えた。実の息子である桜井さんにも「哲夫」ではなく「桜井刑事」と呼び、黙殺に近い態度を取り続けた。
 だが実際には桜井弁護士は三男にして末っ子である哲夫を溺愛していて、その溺愛が息子の仇になる事を恐れる余りに必要以上に冷厳な態度をとった事、自らの職務に熱中する余り、何時しか「弱い者の味方」という自らの初心から遠ざかってしまっていた現実を悔いており、桜井さんに冷たく振る舞ったり、捜査を妨害しているかのように見せて、実は巨悪に近づいて桜井さん達にヒントを示し、最後には自ら証拠隠滅の現行犯で桜井さんに捕まるように仕向けた。
 事の真相は最終回で明かされ、保釈の身で息子と相対する桜井弁護士は完全に父親の顔で、真実も偽りも全て自然に映った安倍氏の好演はサイドストーリーでありながら長期放映の「特捜最前線」最終回の盛り上げに大いに貢献した。安倍氏の役者としての技量にこれ以上の批評は野暮という物だろう。
 現実の世界における安倍氏が演ずるような悪者は極めて狡猾だ。質の悪い事に、「あいつが黒幕に違いない。」、「あいつが指示したに違いない。」とは云われつつも、余程大きな権力か世論が動かない限り、木っ端役人や個人的被害者のレベルではいかんともし難い奴であることが大半だ。
だが、この手の悪は既得権益の上に立った者が多く、それを手放さない為には如何なる毒手も醜態も辞さない。大きな権力を握る事はその喪失による破滅の大きさとも背中合わせだ。弱者に向ける有力者の笑顔がその権力への執着に歪む時、そこに隠される悪を決して見逃してはならないだろう。その裏に隠された多くの罪なき涙とともに。


大谷朗
生没年昭和23(1948)年12月7日〜(大阪府出身)
一押し悪役殺人犯(『特捜最前線』)他、刑事ドラマで数え切れず。
 道場主が大谷朗氏を覚えたのは『特捜最前線』においての事である。とにかく厳つい顔でもって、暴力をちらつかす、または実際に暴力を振るう役が多く、チンピラや乱暴者として傷害・殺人・強姦で特命課の面々に捕まる役所が多く、同時に殺される役所である事も多かった。
 体格も立派で、眼光も鋭い大谷氏は「特捜最前線」に何度も客演し、体を張ったアクションを期待されてか、腕っ節に訴える役が大半で、派出に暴れたり、乱暴者の持つ威圧を出す役所が大半で、黒幕的存在を行う事は全くといっていいほどなく、大物に絡むとすればその私設秘書兼護衛で、それを反映してか、悪としての最後は逮捕か殺されるかで、取調室で大谷氏が姿を見せる事は殆どなかった。
 だが、上記が大谷氏の全てでは勿論ない。『はぐれ刑事純情派』にて表向き金融会社社長・実質安浦刑事(藤田まこと)の顔見知りの暴力団幹部を演じた大谷氏はヤクザの役所としての格だけではなく、役者としての技量も向上させており、若手組員の麻薬密売(勿論組の命令)を惚け様として、やっさんのビンタを食らった際に色めき立つ組員を表情・口調を全く変える事なく、「静かにしろ!」の一喝で大人しくさせた。配役だけでなく、悪役として長年慣らした大谷氏の精進の賜だろう。
 現実の世界の大谷氏が演じるタイプの悪人はとにかく関わらないに限る。勿論事勿れ(主義)に走れと云う意味ではなく、自ら(好奇心等に目を曇らせて)近寄ったりするものではない、と云う事だ。
 この手の悪人は筋者ならこちらから近寄らない限り恐れる事はない。架空の世界のイメージとは違って彼らは金や上層部の命令が関連しない限り堅気に暴力は振るわない。「殺すぞ!」という恫喝や、刺青を見せての自慰示威行為さえ「脅迫罪」で逮捕され、上納金を納めることも不可能となる事で彼等自身、組内部においても処罰対象となる。
 むしろ厄介なのは組織に属さないチンピラで、大谷氏の演ずる役も、そう云うタイプほどすぐに暴力に訴えては即逮捕か逆ギレ返り討ちに遭っていた。つまり失う物がなく、管理する者がいない分何をするか分からないのである。
 そう云う時は迷わず警察様の出番だ。恥じる事はない。そしてこれは学生の世界の虐めにも云える。道場主はかつて虐めに苦しんだ事があった。そんな時に道場主が取った選択は職員室に駆け込む事だったが、好き好んでそれを選んだのではない。
 道場主とて男で、武の道に身を置いていた以上、自らの手で報復したかったし、先生方に泣き付く様に頼る事で自らの弱さを認めたり、「チクリ」の汚名を着せられ、更なる報復や嘲笑に曝される事に耐え難い悔しさがあった。だが、大人の社会において傷害・殺人・誘拐・強姦・強盗・窃盗等において警察に通報して汚名を着る謂れはない。学生の世界も然りだ。百歩譲って「チクリ」が卑怯でも、暴力や示威で人の口を封じ、尊厳を踏み躙る方がよっぽど卑怯である事を経験上道場主は断言する。
 大谷氏の演ずる悪役は報復をちらつかす事で警察への通報を封じたりする事も多かったが、法や社会はそんな卑怯者には厳罰でもって臨むし、脅迫に屈して被害が治まった試しが無い事もまた大谷氏の演ずる悪者達は教えてくれる。


小沢象
生没年昭和15(1940)年10月30日〜(愛媛県出身)
一押し悪役(『はぐれ刑事純情派』)、他時代劇、刑事ドラマで数え切れず。
小沢象氏が演ずる悪役は企業で云えば重役・部長、やくざで云えば末端組織の組長、時代劇では悪家老、警察で云えば悪徳キャリア組、と自らの職権(?)を乱用して尊大に振るまい、明らかに嫌う部下がいるケースが多い。勿論格上には弱い(笑)。
 印象的だったのは「はくれ刑事純情派」に何度かゲスト出演した時の二回で、小沢氏は会社部長とヤクザの組長を演じ、弱い者に強く、追い詰められた時は情けないほどに弱い理想的な悪役を演じていた。
 前者では女性派遣社員に強引に関係を迫って飽きると無能呼ばわりして派遣元に追い返すと云う冷血漢を演じ、キレた女子社員にガソリンをぶっ掛けられてライターを突き付けられるや土下座するは、悲鳴を上げるは、「金なら幾らでも出す!」とお約束の台詞を吐くは、で無様な命乞いの果てに安浦刑事と田崎婦警こと晴ちゃん(岡本麗)に助けられるや、「馬鹿な事しおって…。」と嘲笑して晴ちゃんの強烈なビンタを食らっていた(勿論このビンタは違法である)。
 後者では野田刑事(ケイン・コスギ)を射殺した暴力団の幹部で、野田刑事の仇討ちに燃えつつも恐ろしいまでに感情を出さない安浦刑事に詰め寄られてあっさりと部下の潜伏先をやっさんに教えていた。当然やっさんが帰った後で「社長、どうして(潜伏先を教えたのか)?」と問い詰める部下に小沢氏は震えながら、「お前らなぁ〜、あの人が本気になった時の恐ろしさを知らないんだ!」と怒鳴っていた。「はぐれ刑事」が終了した現在、本気になった安浦刑事の恐ろしさの詳細は不明だが、相手の強弱で態度をコロコロ変える小沢氏の好演は皮肉なまでに強きに諂い、弱気を侮る人間の悪性を良く表してくれている。小沢氏の演ずる悪者を完全に笑う事の出来る人間が何人いるだろうか?
 壮年の恰幅、強きも弱きも程よく演じる野太い声、あたかも表面上は普通の社会的地位ある人物として振る舞える豊かな表情、それらを駆使して演ずる小沢氏の役所は相手の立場で態度が見事なまでに変わる。となると、相手の立場の強弱で表情・態度・声色がコロコロ変わる人間は用心して付き合うべしと云う事が類推される。
 だが、上記を鵜呑みにしてはならない。小心故に態度が変わったり、虚勢を張ったりしてしまうだけで決して悪意があってそうなるわけではない人も現実の世の中には多いから。また、もう一つ注意しなくてはならないのは、小沢氏が演じるようなタイプの悪人は悪人といっても罪人とは限らない、という事である。法を厳守していても社会的地位や職権で人を虐げる者は存在する。逆を云えば相手にそれらの優位性があるときはこちらは雌伏を強いられるだろうが、その余裕が崩れる時にこそその悪を砕くヒントがある事を小沢氏の怪演は教えてくれる。


堀田眞三
生没年昭和20(1945)年10月20日〜(熊本県出身)
一押し悪役ゼンネラル・モンスター(『仮面ライダー(スカイライダー)』)他時代劇、刑事ドラマで数え切れず。
  独特のだみ声と厳つい容貌(←褒めてるんです、念の為)、身長178cm体重71kgとそれなりに恵まれた体躯と特技の殺陣アクションとでジャンルを問わず幅広い悪役をこなし切る名悪役。
 自ら動いても威圧と悪辣さを為し、悪役達のリーダーとしていぶし銀的な悪役も、悪事の上前をはねる黒幕側近的な悪役をやっても良しで、唯一、年齢を感じさせない闊達さから老練な黒幕張本人だけが余り演じる姿を見かけない。
 特撮ファンのシルバータイタンとしては「仮面ライダー」のトカゲロン、『仮面ライダーストロンガー』特番の暗黒大将軍、「仮面ライダー(スカイライダー)」のネオショッカー大幹部・ゼネラル=モンスターを演じた忘れ様にも忘れ得ぬ悪役俳優である。
 また、薩摩守に語らせると『水戸黄門』を始めとする時代劇において堀田氏は用心棒・ゴロツキ・剣客・浪人・悪家老と何でもござれであり、真摯に仇討ちに燃える若侍役も見たことがある。この俺・リトルボギーが語るなら数々の刑事ドラマでヤクザの若頭をメインに様々な悪人をこなしたが、特に印象に残っているのが「はぐれ刑事純情派?」の最終回で覚醒剤を密売する喫茶店のマスター役を演じた堀田氏だ。
 暴力団と単独で繋がりを持ち、学生達に麻薬を密売する極悪人の表向きは古都・京都の愛想のいい喫茶店のマスターで、あの顔と声(←くどいですが、褒めてます)で接客業の役に丸で違和感がなかったのは悪役俳優に留まらない堀田氏の役者としての技量である事に疑いの余地はない。
 ちなみにこの時、熊本県出身の堀田氏が見事な関西弁を使いこなしていたが、これは大阪市立大学在学中にマスターした可能性がある(笑)。ちなみに道場主はかつて同大学の受験に失敗しており、チョット堀田氏にヤキモチ(苦笑)。
 堀田氏の悪役振りと、現実の悪人を考えた際に考えてしまうのが、強面人相と実際の悪人度の関係である。「人は見かけによらない。」という言葉にあるように優しそうに見える悪人、怖い顔の善人は幾らでもいる。その観点から云うと強面で人の人格をどうこう云うのはナンセンスである(常識的に考えて失礼な話だ)。
 だが、強面を武器に悪事を為す悪人がいるのもまた事実なのである。簡単に云えばヤクザっぽい奴に人は近寄りたがらない、自然と恐れる真理に突け込む悪人である。
 派手なスーツに髪型やサングラスや徒党で周囲を睥睨しながら街中を練り歩く輩には大半の人が目を逸らす。一言で云うと「関わり合いになりたくない。」と考える。そしてそれに突け込み、組織や暴力を(直接口には出さず)ちらつかせる事で面倒を呼びこむぐらいなら、と心理的圧迫をかけることでそれなりの額の金銭を差し出す事で厄介払いを図らせようとする−人の恐怖心に突け込む極めて汚い輩が実在する。
 堀田氏の演ずる悪役は大抵ロクな終り方をしない。暴力を振るうことが多い一方で、それは一方的であることが多く、実際に暴力的報復やより強い力(岡引や警察などの国家権力)にはからっきし弱い事が多い。
 様々な意味で人間の容貌は武器になる。だがその容貌に惑わされない確たる力と手段を持つことで、中身のない存在に決して負ける事がないのも人間社会の常である事を堀田氏の演技は教えてくれるのである。


中田博久
生没年昭和18(1943)年3月9日〜(東京市出身)
一押し悪役ゼロ大帝(『仮面ライダーアマゾン』)、他時代劇、刑事ドラマで数え切れず。
印象に残る善玉役本郷武彦(『キャプテンウルトラ』)、三好師範(『仮面ライダー(スカイライダー)』)
 中田博久氏は刑事ドラマ・特撮・時代劇とありとあらゆるジャンルにて悪役をこなす一方で稀に見せる善玉役が悪役に劣らず堂に入る名優である(ちなみに細君の新井茂子さんも悪役女優)。
 特撮の世界を『仮面ライダー』に限って見ただけでも、『仮面ライダーV3』にてバーナーコウモリ、『仮面ライダーX』にてキュクロペス、代表的存在とも云える『仮面ライダーアマゾン』のゼロ大帝、と云った重要悪役をこなしつつ、一方で『仮面ライダー』でキノコモルグのドクから人々を救った医学博士・小池、『仮面ライダー(スカイライダー)』で生身の人間でありながら改造人間の特殊能力にも屈しない子供想いの空手家・三好師範(主人公筑波洋の師匠でもあった)と云った善玉役も立派にこなしている。
 『仮面ライダー』だけでこれほど様々な役をこなしているのである。他のジャンルでも実に様々な役をこなしている。
 その大半が悪役で、黒幕に近侍する役が多いが、単独での悪役も多い。また悪人とは云い切れない、権力を傘に着て下々の苦労を省みない横暴役人、と云った嫌われどころもまた多い。
『水戸黄門』では井伊家の大名行列にて井伊家のシンボル大槍を地面に倒してしまった夫役を無礼討ちにする重臣役を演じ、斬り捨て御免を職務上の行為として咎められなかったものの、その夫役の父親(長門裕之)に同情した水戸光圀(佐野浅夫)に主君・井伊直興が父親に労わりの言葉をかける様に諭された為、非常に気まずそうにしていた中田氏が印象的だった。
 中田氏は屈強な体格、重厚感に多少欠けつつも絡みつくような口調が不気味な威圧感を持つキャラクターと相俟って「絡まれたくない!」と云う嫌悪感を物の見事に視聴者に与えてくれる。
 現実に中田氏が演じるような悪者に対しては?という疑問に答えるのは極めて難しい。対象が多過ぎて(苦笑)。それほど中田氏が演じる悪役は幅が広いのだ!
 それ故にここで敢えて注目したいのは善玉役としての中田氏だ。中田氏が『キャプテンウルトラ』の主人公・本郷武彦を演じたのは余りにも有名だが(えっ?特撮ファンにしか分からないって?)、それに代表されるように善玉役も多い。そしてその善玉役も中田氏は見事に演じているわけだが、一つ、注目したい役所がある。
 それは『仮面ライダー』の第25話で、中田氏は一文字隼人(佐々木剛)の友人の小池博士の役を演じ、ショッカー怪人・キノコモルグの毒から人々を救う解毒剤の精製に勤しんだのだが、再放送でこの話を始めてみた当時、道場主と道場主の妹は小池博士の口調・表情・眼光から、彼を悪玉としか思えず、「ショッカーと通じていて、途中で一文字を裏切りそう。」と予測していた(「仮面ライダー」では本郷猛(藤岡弘)の親友早瀬が、「仮面ライダーV3」では風見志郎(宮内洋)の親友高木(三井恒)が、ひそかに敵組織の改造人間になっていて主人公を裏切った)。
 だが、小池博士は一文字を裏切る事もなく、一科学者として解毒剤を精製し、多くの人々の命を救って降板した。道場主は拍子抜けするとともに自らの偏見を戒めたのだが、大切なのは善玉役を演じて全然違和感のない筈の中田氏のこの時の演技を何故かつての道場主は「悪者」と見誤ったかである。
 今思うに、それは中田氏の役柄に対する徹底振りがあったのではあるまいか?と考える。解毒剤の精製に挑む小池博士に時間的な余裕があろう筈がない。詳細は描かれていないが、恐らくは不眠不休で寸暇を惜しむ科学者を演じる事が中田氏に求められた事だろう。では、何かに徹する姿を演じた時、中田氏の演技に表立って現れたのは何か?それが日頃の悪役としての徹底振りではないかとリトルボギーは考える。何かに徹する役への演技に没頭したからこそ、演技中の中田氏の一挙手・一投足に悪役俳優としての中田氏の真骨頂がオーバーラップしたとの見解である(かなり強引な説を練っているのは認めます)。
 ここで本題に戻る。中田氏の悪役に学ぶのは、何かに執着した時に現れる人間の本性である。道場主の信仰する仏教は執着こそが「苦」の根源で、「菜根譚」も何かに囚われそうな時ほど、それに相対するものを感じ、楽しむ余裕の大切さを説いている。
 人間、良識・常識を弁えた人でも、「絶対にこれを無くしたくない!」と感じるものの為にはその良識も飛ぶ事が珍しくない。自らの苦痛には幾らでも耐え、決して悪事に走らない人間でも、大切な身内の生命・財産・誇りの崩壊の術を誰かに握られた上で協力を強要された時には抗えず悪に荷担する事もあり、もっと恐ろしいのは自らの信仰・信念に執着した時で、そんな時の人間はその信仰・信念に敵対する人間には極めて攻撃的になる。
 犯罪にまで至らなくても、学者は自らの学説にそぐわない学者を平気で馬鹿呼ばわりし、民族主義に執着すると簡単に外国人を侮蔑・憎悪し、「死ね」という暴言を浴びせる事も珍しくなく、死刑問題を巡っても、存置派は廃止派を犠牲者・遺族の心根を理解しない冷血集団と決め付け、廃止派は廃止派で存置派を人権無視の野蛮人と決めつける傾向も根強い。
 何かに執着するが為に他者に攻撃的になった時に。自らが大切に思う人・教義・仲間はそんな攻撃的になる貴方を望むかどうかを考える心の余裕を、恐ろしい悪役にそれ以上に恐ろしく徹する中田氏の演技に学びたいものである。


石山律雄
昭和17(1942)年2月2日〜(千葉県出身)
一押し悪役人身売買組織幹部(『特捜最前線』)、他時代劇、刑事ドラマで数え切れず。
印象に残る善玉役相原教授(『仮面ライダーBLACKRX』)
 石山律雄氏は現在の芸名を「石山輝夫」というが、道場主にとっては律雄として親しんできた時間の方が圧倒的に長いので、石山輝夫氏に「石山律雄」を超える今後の名演を期待する意味からも、本頁では敢えて「律雄」で統一するので、御了承願いたい。
 石山氏もまた中田博久氏、浜田晃氏に負けず劣らず様々な悪役を様々なジャンルの番組にて演ずる。一見厳ついわけでもなく、必然、チンピラ・ゴロツキの類は類は少ない。となると役所は現代劇では悪徳経営者やインテリヤクザ、時代劇では悪徳商人・悪代官が大勢を占める。
 善玉・悪玉を超えて石山氏の演技に見られるのは「熱さ」である。殆ど暴力的なシーンがないにもかかわらず石山氏は感情的になる演技が多く、冷静な役をやっていても腹の底に秘めた激情は容易く見抜け、悪事が露呈した際に逆ギレする事も多い。
 そんな石山氏の悪役振りについてもう少し踏み込んで見てみると、最後の往生際の悪さや開き直りが挙げられる(その点が大谷朗氏とは好対照だ)。特に印象に残っているのが「特捜最前線」で東南アジアからの人身売買を斡旋する悪徳商人を演じた時で、東南アジアからきた女性達の大半がオーバーステイで当局と関わり合いになる事を恐れる所に突け込んで売春を強要する悪徳振りを演じ、最後にはフィリピン女性の密告により逮捕された。
 この時石山氏は手錠をかけられ、連行される際に罪人として国外退去になった密告者を嘲笑いながら、特命課の面々を睨みつけながら護送車に乗せられた。勿論そこには自らが不幸に突け込んで私腹の為に更なる屈辱を与えた女性達への罪悪感はカケラもない。大物にもなり切れず、かと云って善にも戻れない悲哀を演じるにも石山氏はうってつけだ。
 視点を変えて時に善玉を演じる石山氏を見たいのだが、基本的に心底に持つ「熱さ」は変らない。『水戸黄門』では公儀隠密の役を背負いながら地元の恋した女への想いを断ち切れない下忍を、『特捜最前線』ではマインドコントロールセミナーに半ば拉致同然に参加させられ、詐欺に間接的に加担させれそうになりながら残された家族・ともに拉致されてきた仲間への思いやりを忘れない中小企業の社長を演じていたのが印象的だったが、道場主の一押しは『仮面ライダーBLACKRX』の第19話で登場した相原教授である。
 この回で、主人公・南光太郎(倉田てつを)の宿敵であるクライシス帝国は人工太陽なる物で異常気象を起こし、日本政府に降伏を迫ったのだが、石山氏演ずる相原博士は人工太陽を破壊できる磁力砲を完成間近である事を科学者会議で伝えようとしたが為に二人の子供をクライシスに誘拐され、磁力砲の引渡しを要求される。
 光太郎はクライシスが約束を守る筈がないから脅しに屈しず、磁力砲を完成させ、人工太陽を破壊するよう説いた。相原博士は光太郎の説得に応じた振りをして磁力法を完成させると光太郎の隙を見て、光太郎の好意に感謝しつつも二人の子供を見捨てられない気持ちを綴ったメモ書きを残し、約束反故を承知の上で取引の場に単身向かった。
 果たしてクライシスは約束を反故にし様としたが、二人の子供と束の間の再会を果たした相原教授を殺そうとした怪魔ロボットには仮面ライダーBlackRXが立ち向かった。その間隙をぬって磁力砲をもって人工太陽を破壊しようとした相原教授はロボットの攻撃に磁力砲を落としてしまい、足も負傷して身動きがままならなくなった。
 が、そこに父である博士の想いを受けた長女が弟を押し留めて砲撃されかねない危険の中磁力砲に走り、父の元にそれを持って駆けつけ、父娘の協力で異常気象の現況は破壊され、それによって力を失ったロボットもRXに倒された。
 この時もやはり話全体を通して二人の子供を思う相原教授へのなりきり振りが光る石山氏の好演だった。そんな石山氏の演技を見ていると、善玉にしても悪玉にしても人間の持つ感情、というものを考えさせられる。
 現実の世界で罪人として法廷の場に立つ悪人の中には丸で感情を見せない(更にはそれを通り越して他人事のような態度を取る)者もいれば、「不当判決」と牙を剥いて激しい怒りを表す者もいれば、取り返しのつかない事態を改めて思い知らされ号泣・嗚咽する者もいる。
 基本的にそれらの感情は後の祭でそんな激情に苦しむぐらいなら最初から悪事を為さなければいい、と云いたくなるが、それでもリトルボギーは感情を露わにする悪人の方が感情を失った悪人よりマシな気がする(許すかどうかは全く別の問題)。
 人間は感情の生き物である。感情に溺れるのも良くないが、かと云って感情を完全に殺したり、隠したりする事には人間であることを放棄する自然の摂理への反逆をリトルボギーは見てしまう。まして自己の感情すら大切にしない人間が他人への思い遣りを持てるとは到底考えられない。犯罪の被害に遭うにしても相手が自分に害意を持っても無理はないぐらいの感情を抱いていたり、人間として無理のない激情に駆られた物なら法も判決も和解にも手心を加えたくもなるが、さすがに腹の内を見せない者に対してはそんな気にならず、同じ人間であることすら認めたくなくなる。
 そんな無情とは無縁の如何にも人間らしい悪役を演じてきた石山律雄氏には今後も冷厳な悪人の表情に隠した激情を演じる悪役俳優・石山輝夫であって欲しいものである。


浜田晃
生没年昭和16(1941)年10月28日〜(神奈川県出身)
一押し悪役一つ目タイタン(『仮面ライダーストロンガー』)、他時代劇、刑事ドラマで数え切れず。
印象に残る善玉役警視総監(『さすらい刑事旅情編』、病院院長『仮面ライダーOOO』)
 トリを務めるのは道場主一押しの悪役俳優・浜田晃氏である。特撮房の案内人、シルバータイタンが『仮面ライダーストロンガー』にて浜田氏が演じた一つ目タイタンに由来している事からも道場主の思い入れがうかがえる事と思う(笑)。
 浜田氏の悪役としての幅は広く、登場するジャンルもまた広い。浜田氏が演じる役はヤクザの親玉・悪徳商人・ゴロツキといったオーソドックスな悪役から、悪家老・悪刑事・悪代官といった権力を傘に切る悪者、更にはタイタンを始め、妖術師や忍びと云った現実離れした悪者をも演じる。
 それなりにがっしりした体格、適度な低さで不気味さも、威圧的迫力も、観念した際の情けなさも演じこなす声、は脅迫、恫喝、弱者への侮蔑、驕慢、と人間の持つ悪辣さのいずれにも打ってつけな一方でどこか寂しさ漂う表情もまた見逃せない。
 そう、浜田氏は憎むべき悪役を−見ている方が本気で腹を立てるぐらいに−演じる一方で、生まれついての根っからの悪を否定したくなると同時に人間を悪に駆り立てる要因について考えさせられてしまう。
 それを見るのに打ってつけなのが、『特捜最前線』で端役として何度も客演した浜田氏である。この長期放映ドラマにて浜田氏は何度も客演し、悪役以外の役を演じたのも勿論だが(別の刑事ドラマ−『さすらい刑事旅情編』−では警視総監を演じた事もあるのだ!)、一口に悪役と云っても在り来たりの悪役だけではなく、一般人が心ならずも悪に走ってしまったケースも見事に演じ切る。それは「弱さゆえの悪」をも見事に演じる浜田氏独特の静かな熱演である。
 浜田氏の演技の根底を知る為に二人ばかり、浜田氏の『特捜最前線』にて演じた「悪人」を紹介したい。一つは第239話「神代警視正の犯罪」にて神代警視正(二谷英明)のかつての部下・松田を演じたものである。
 神代課長の同僚・蒲生警視(長門裕之)の話によるとニ十数年前の神代課長は捜査の鬼で、半年以上家に戻らず捜査に専念する事がざらで、礼子夫人(小林かおり)は寂しさから神代課長の部下(どこの署でも厄介者扱いされていたのを神代課長が引き取った)・松田と過ちを犯し、礼子夫人の一時の気の迷いと読み切れず本気になった松田は神代課長に礼子を所望する旨を告げ、神代課長は腸煮え繰り返る思いに耐えながら二人を許し、「二度と俺の前に姿を見せるな」と云って二人に海外行きの飛行機のチケットを渡した。
 二人は手と手を取り合って、旅立ったが、その飛行機が事故で墜落し、多くの乗客の死体が確認出来ず、礼子夫人も松田も死んだと思われていた。
 ところが実際は神代課長に惚れ抜いていた礼子夫人は飛行機に乗らず,松田もまた飛行機に乗らなかった。礼子夫人は密かに片田舎で松田との間に出来た娘を産み、行方を暗まし、松田も死人を装いながら礼子を追い続けた。
 松田と礼子の娘・怜子の育ての親が自分が余命幾ばくもないことから神代課長に礼子が産んだ子である事を告げ、一方で松田も娘の存在を知り、その娘を拐わかした。ホテルの一室に追い込まれた松田は気を失った娘を人質に室内から発砲して立て篭もった。
 神代課長がホテルの内線で松田に投降を呼びかけると松田は「俺は何をやってもあんたに勝てなかった。だが今度ばかりは俺の勝ちだ。この子は俺の娘だ!」と云って、仕事でも、礼子夫人の本当の愛情を巡っても神代課長に勝てず、死人を装いながら礼子と娘を追い続けた男が愛する女性との間に出来た娘を持ってささやかな勝利を宣言せずに入られなかった哀れな男の意地がそこには在った。
 尚も説得を試みんとする神代課長の耳に受話器越しに銃声が轟き、一刻の猶予もならないとして特命課の面々が飛び込んだ室内にいたのは眠り薬に眠らされ続けていた娘と、こめかみを拳銃で撃ち抜いて絶命していた松田だった…。自らの仕事への信念・惚れた女性への愛情に愚直な余り周囲と融和出来なかった一人の不器用な男の意地は単純な悪役では決しなく、それを演じ切るには質量ともに様々な背景を持つ悪役を演じてきた>浜田氏ならではのものだろう。

 もう一つの注目すべき役は一流企業にてそれなりの役職を持つサラリーマン・大村で、大村の犯した罪とは業務上過失致死と偽証だった。
 大事な会議に遅れまいとした大村は超過速度で車を運転し、歩道を渡る男性に気付いたものの急ブレーキも間に合わず、男性・秋本氏を撥ねて死なせてしまった。大村は他に目撃者がおらず、ただ一人事故を目の当たりにした秋本氏の長男・忍君がまだ幼いのをいい事に裁判で自分は信号を守っていた、事故は信号を無視して歩道を渡った被害者の過失による不可抗力、と主張し、裁判官も忍少年の証言を幼さ故に証言能力なし、として退け執行猶予付の温情判決を勝ち取った。
 ところが、この事件に関して忍少年に味方し、秋本氏の無実を証明せんとして特命捜査課の津上刑事(荒木茂)がその旨を忍君に約束していた。ところがこの直後に津上は殉職し、四年後に津上がこの世にいないことを知らない忍君が津上宅や特命課に脅迫手紙を送り続けた事から特命課の面々の知る所となり、特命課の面々が津上の遺志を継ぐことを忍君とその姉に約束した。
 話は殉職した津上だけでなく、特命課を退職した高杉保護監察官(西田敏行)、ラーメン店店主滝(櫻木健一)をも加えたそれまでの特命課メンバーのオールスターキャストとなった。
 こんな面々を敵に回して大村に勝ち目がある筈がなく(笑)、信号機を制御するコンピュータサイクルの逆算から秋本氏が撥ねられた時、秋本氏の歩んでいた歩道は青信号であった事が証明された。
 自らの偽証が発覚する直前にも、「止めてくれ!何だってあんた方特命課がここまでするんだ?たかが交通事故じゃないか!」と云っては「その『たかが交通事故』のために父親を失った幼い兄弟はどうなる!?」と詰め寄られたり、すべてが発覚した後に「何で!?何で今頃になって!?あの日は会社で重要な会議があって急いでいてブレーキを踏んだけど間に合わなかったんだ!」と云って半泣きになって脱力した。その姿は心ならずも人を殺めた人間が何とか罰を逃れたいとうろたえる姿が痛々しかった(余談だが、津上刑事を演じた荒木茂氏は『仮面ライダーストロンガー』の主人公・城茂ととして主演し、浜田氏の演じるタイタンと干戈を交えている事と因縁めいていて興味深い(笑))。
 実際、この大村は滅茶苦茶悪人というわけでもなく、父を失った姉弟には多額の見舞金も払っていたし、執行猶予期間も法的に社会的に何の問題も起こさない日々を送っていた。「そんなの当たり前じゃないか!?」といわれればその通りなのだが、同じ様なケースでも轢き逃げしたり、賠償責務を無視したり、執行猶予中に新たな罪を犯したりする罪人が多い事を考えると、人間が心ならずも罪を犯してしまった場合とその後の身の処し方について考えさせられる。これは決して他人事ではないのだ
 浜田氏の演技は見た目も佇まいも仕草も一般人のそれを基調に善も悪も卒なくこなす。そんな浜田氏の演ずる悪役にこそ、人間が悪に走る際の主要因が見え隠れしている事、犯罪・触法の恐ろしさはそこにこそあるのかもしれない。


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令和五(2023)年九月一五日 最終更新