終章 必殺技とは?
2011年2月17日現在、アラフォーの身になって、第1期・第2期ウルトラシリーズの再放送を、第2期・第3期の仮面ライダーシリーズを夢中になって見ていた頃を思い返して切に思う。
自分自身を含め、子供だった当時は「ひねた見方をしていたなあ・・・。」ということを(苦笑)。
物心ついた頃から、ウルトラ兄弟や仮面ライダー達が憧れの存在であったことに間違いはなく、最終的にヒーローの勝利と悪の組織の壊滅を心の底から願っていたことも間違いなかった。
それでありながら、「毎週ウルトラマンや仮面ライダーばかりかって、つまんねーよなー。」、「たまには怪獣や悪の組織が勝った方が面白いのに…。」と考えたり、悪友達と軽口を叩いたりすることもしばしばだった。
それでも、特撮ではストーリー上、死傷が出ることもしばしばあった為、本気で「悪が勝って欲しい。」と思っていた訳ではないが、死傷者が出るとは思えなかったタイムボカンシリーズなんかは真剣に「たまには悪が勝って欲しい。」と思ったこともあった(苦笑)。 早い話、飽きっぽいのである子供は(苦笑)。
それ故、飽きに対する不平の矛先はワンパターンな必殺技に向いた。
「またスペシウム光線?」、「どーせまたスカイキックか…」、「おいっ!4人になってゴレンジャーハリケーンが使えないだけでカンキリ仮面の勝ちだと?!」という愚痴めいた台詞が口をついた。
成長して、知識が増えるとツッコミはエスカレートした(笑)。
「ウルトラ5兄弟とウルトラの父を破ったヒッポリト星人がいつものメタリウム光線で殺られていいの?」、「サイダンプがスカイキックに耐えたんなら、その後のネオショッカー怪人がスカイキックで殺られんなよ!科学は常に発展してんだろ?!」、「光線技出せたの?レオキックとの立場?というよりあの特訓は何だったの?」と、中途半端な知識で上げ足を取る、成人手前の少年ほど厄介なものはない(苦笑)。
成人し、レンタルビデオ・数々の専門書・ネット情報・学生時分とは比較にならないほど増えた特撮ファンの知人を通じ、一見ワンパターンに見えた存在にも、単発に終わった存在にも意義があることや、当時の社会情勢や、まだまだ特撮がジャンルとして試行錯誤の連続であったことや、TV局の事情などで様々な設定が画一化や、逆に消化不良を余儀なくされたことも今ならよく分かる。
そんな想いを経て、現在、ヒーローの必殺技とは、
・ヒーローの代名詞である。
・ヒーローの力量を分かりやすくあらわすものである。
・それが破られることで強敵の存在が際立つものである。
・敢えて使用されないことで、敵の中にも同情すべき物がいることを証明するものである。
・他の技と程好く併用されることで一層番組を盛り上げるものである。
・etc
と様々な認識を抱くに至っている。
ヒーロー番組の必殺技は、そのすべてに人気があったり、そのすべてが番組に貢献したりしている訳ではない。
しかしながら、時を経てその不動性に驚かされるものも多い一方で、見直されたものが多いことにも驚かされる。如何に多くの人々が特撮を愛しているかということとともに。
殊に、『ウルトラマンメビウス』や『仮面ライダーSPIRITS』を見ていると、スペシウム光線・アイスラッガー・メタリウム光線・ストリウム光線・レオキック・サクシウム光線・各種ライダーキックが不動の人気を誇る一方で、ウルトラVバリアー・流星キック・ウルトラダイナマイト・ウルトラレイランス・ライダーきりもみシュート・逆Wタイフーン・ネットアーム・真空地獄車・ウルトラサイクロン・大回転スカイキック・梅花の型・etcが数少ない出番でもファンの心を如何に掴んでいたか、自らの好みと同じ好みを持つ人が多いかに喜ばされているものである。
日常、私達は必殺技を必要としない世界に生きている。40年以上の特撮の歴史における必殺技に快哉を叫んだり、ワンパターンにブーイングを飛ばしたり、懐かしの登場に対して感泣したりできるのも、日常が戦闘と無縁だからに他ならない。
しかしながら世界には争いが絶えず、社会に犯罪が絶えず、様々な武器・兵器のありようが語られている。それが不要とは言わないが、力の均衡だけにしか価値を見出せず、そこに血を吐きながら続ける哀しいマラソンを持ち込んでしまうことだけはないようにしたいものである。
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平成二三(2011)年二月一七日 最終更新