最終頁 側近は一人でない方が良い?
独裁と多頭政治
例によって、独断と偏見で「君主」とその「両腕」となった配下を選出し、彼等に対する考察を論述した。
取り上げた主君の名を並べると、前半は武田信玄、織田信長、徳川家康、羽柴秀吉、黒田如水、加藤清正と云った風に乱世の終息・天下統一に大きく関わった面々が、後半は徳川将軍家の身内が目立った。
一方で、「両腕」とした面々には、板垣信方、甘利虎泰、平手政秀、林通勝、本多作左衛門、石川教正、竹中半兵衛、黒田官兵衛、本多正信、大久保忠隣、南光坊天海、金地院崇伝、榊原康政、島左近、伊達成実、片倉小十郎、新井白石、間部詮房、藤田東湖といった有名な名臣・猛将・ブレーン達が名前を連ねる一方で、跡部勝資、長坂釣閑斎、松田憲秀、大道寺政繁、蒲生郷舎、栗山善助、井上九郎右衛門、飯田覚兵衛、森本義太夫、成瀬隼人正、竹腰山城、加納久通、有馬氏倫、戸田忠太夫等の様に、本作の様な主旨が無ければまず取り上げられなかったであろう人物も目立った。
いずれにせよ、単一のパターンでくくれるほど単純な話ではないのだが、並べてみると、「相当統率力・行動力に優れた主君でも独りでは国や御家を治め切れないこと」や、「「主君=頭」:「側近=両腕」にも実に様々なパターンがあること」に改めて気付かされた。
「両腕」として世に名を成した者達も、主君のカラー次第では有象無象の名もなき人物として歴史に埋没した者も多かったであろうし、主君にしたところで、「両腕」次第では史上における成否やその命運を大きく変えた者も多かっただろう。
日本史上には、アドルフ・ヒトラーやヨシフ・スターリンの様な独裁者は極めて少なく、蘇我馬子、源頼朝、後醍醐天皇、足利義満、足利義教、織田信長といった、自分に刃向かう者には容赦の無かった者とて、政治的に好き勝手し続けた例は少ない(一時的な意味では多いが)。
政治のみならず、企業の経営やスポーツでのチームワークにも云えることだが、「頭」と「両腕」の連携が如何に大切であるかが歴史上には溢れていると云えよう。
真の民主主義はいまだ遠いか?
史上における主君とその配下を観て、「頭」と「両腕」に例えられるのも、偏に政治というもの(国政にせよ、家政にせよ)が一握りの者達によって担われてきたからである。
人類の歴史を顧みると、そのほとんどの時間が帝政や王政の下に治められてきた。選挙によって民の代表たる為政者が選ばれ、治める様になって三〇〇年も経たず、それどころか民主主義をどう行っていいか分からず、大権を手にした大統領や首相が帝王の如く振る舞っている例は枚挙に暇がない。
否、或る意味、現代日本とて例外とは云い切れない。
一応は選挙によって選ばれた国会議員の中から内閣総理大臣が選ばれ、同様にして選ばれた国務大臣とともに行政を担うが、利権や地方の票田を握った議員が当選する例が多く、大名でもないのに選挙地盤が「世襲」された二世議員も多く(勿論そのすべてを無能呼ばわりするつもりはないが)、どんなに汚職や失言を繰り返しても「おらが町の先生」という価値観の下に国会議員として当選し続ける者も多い。
そしてかかる背景で政権に居座り続けている者が真に民意を反映した政治を行っているか?と問われれば、甚だ疑わしいと云わざるを得ない。
つまるところ、日本国もまた、「お殿様」に頼る気質が国民レベルで抜けきらず、そのことが政界以外の世界(財界・業界・法曹界・角界等)でも引きずられ、暴君が弱者を虐げる図式をまだまだ根深いものにしている様に思われてならない。
となると、「頭」を選んで丸投げするのではなく、「両腕」に対しても、そして可能である限り「歯車」や「枝葉末節」に対しても適材適所と民意を反映させた人選が日本社会を真の民主主義にするのではなかろうか。
二人よりは三人、三人よりは四人………。
本当に収拾がつかないほど乱れ切った世の中に最低限の秩序をもたらす為には、独裁や独断専横や強権発動などが止むを得ないケースは確かに存在する。
そういう意味では薩摩守は大嫌いな源頼朝や織田信長もその歴史的功績は否定していない。だが、問題はそうやって強引な手法で統一や秩序をもたらした英雄が、英雄のまま留まらずに暴君になる傾向が強いことである。新しい例では平成二九(2017)年末に大統領の座を追われるまで三〇年以上独裁者であったジンバブエのロバート・ムガベが記憶に新しいところだろう。
何せ独裁者が生まれている状況とは、大権力者にストッパーが存在しないことを意味する。故に敵を失くして力を持て余した際の暴走や、守りに入った際の猜疑心による功臣粛清が始まった際に歯止めが効かなくなり、世の中は再度地獄に逆戻りしかねないことになる。
権力とは腐敗し易く、君子とは豹変するものなのだから。
故に、どんなに有能な主君でも、様々な意味で補佐する人間が最低一人は必要と云える。
また、たった一人では場面によって主君の能力が側近のそれを大きく凌駕する為に歯止めが効かなくなることが起きたり、両者の間柄が険悪になった際に良好なコミュニケーションが取れず却って互いが意地や感情の為に悪しき行動に出たり、といったことも有り得る。
そして最悪なのは、主君と側近が悪しき意味で意気投合して暴走することである。実際、称徳天皇&弓削道鏡、醍醐天皇&藤原時平、後白河法皇&平清盛、源頼朝&北条時政、足利義満&細川頼之等が蜜月状態を保ったまま、暴政・悪政を敷いたら、政界も世間一般も容易に地獄と化していただろう。
だが、幸いにも弓削道鏡には藤原一族、藤原時平には賜姓源氏、北条時政には有力御家人衆、細川頼之には有力大名衆といった抵抗勢力があったり、主君と側近の蜜月状態も短命に終わったり、で深刻な独裁暴走はすんでのところで防がれたケースが多い。
同時に、本作で採り上げた主従の場合、「片腕」ではなく、「両腕」であったことが片方の暴走を止めたり、片方が止められなかった主君の暴走をもう片方が止めたり、双方が大切にされたことで双方の意見を尊重した冷静な間が持たれたり、でそこそこ理想的な主従関係、独裁・暴政阻止が可能だったと云える。
そういう意味でも、「頭」に対して、「片腕」・「右腕」が大切だが、「両腕」があることが望ましいと云えよう。もっと理想を云えば、毛色の異なる、優秀な「腕」が阿修羅像の如くであればと思うのだが、千手観音状態だとまずまとまりがつくまい(苦笑)。
個人が暴走する独裁も好ましからず、まとまりの持てない衆愚政治も好ましからず、とあっては有能な「頭」と、毛色の異なる「両腕」が如何に大切であるかが歴史に見て取れることに触れて、本作を締めたいと思う限りである。
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戦国房へ戻る令和三(2021)年六月一〇日 最終更新