殿の両腕は俺達だ

 組織の長や、優れた人物の側近くで有能さを発揮する人物を指して、「○○の右腕」や「○○の両腕」と表現する例が数多くある。
 如何に組織の長が優れた人物でも、組織が大きければ大きい程、運営する対象が大きければ大きい程、一人の能力では賄い切れない(野球やサッカーで弱小チームに天才的プレーヤーが一人いるだけでは強豪チームに勝てないのを考えれば分かり易いと思う)。
 歴史に高名を残した人物の多くはそれなりの功績を残した訳だが、当然それを支えた「配下」がいた。勿論「配下」とて「主君」が彼等を巧みに使いこなしてくれたことで功を為し、名を挙げた。

 当然、両者の間における信頼度・委任度・忠誠度・好悪は千差万別である。
 主君は主君で配下に対して「能力は信用しても人間的には丸で信頼していなかった(またはその逆)。」、「使い勝手が良いから使っていただけ」、「全幅の信頼を置いていた。」、「累代の付き合いで用いていた。」、「自分でやるのが面倒臭いから丸投げしていた。」と様々なケースがあった。
 一方、配下は配下で主君に対して「無条件の絶対的忠義」、「仕え甲斐・生き甲斐」、「心底からの惚れ込み」、「他に行くところが無くて」、「頼りなさゆえに自分がやらなくてはならないとの義務感」とこれまた様々なケースがあった。

 当然のことだが、双方の感情や思惑がどうあれ、主君と配下の歯車が上手く噛み合うと「1+1」は5にも10にもなるが、噛み合いが酷いと「100+100」ですら50にもならない。
 中国史の例を出せば、漢の高祖・劉邦は頼りなく、酒と女にだらしない人間だったが、不思議と老若男女問わず人に好かれ、三傑(蕭何張良韓信)を初め多くの部下がこれを盛り立てて漢王朝成立を成し遂げた。
 逆に秦の始皇帝や蜀の諸葛孔明は有能過ぎた故に「部下に任せる」ということが出来ず、些細な刑罰まで自ら決せずにはおられず、過労で(他にも要因はあったが)寿命を縮め、その死後に国は大きく衰退し、やがて滅亡した。

 ただ、いずれのケースも現代を生きる上において「上司とどう接するか?」、「部下とどう接するか?」に対する大いなる参考となる。
 話は逸れるが、薩摩守は歴史嫌いの人達から「暗記物の歴史をよくそこまで覚えられるなあ……。」と云われることがある。だが、「歴史=暗記物」というのは厳密には正しくない。学校のテストで高得点を取るだけなら、確かに優れた記憶力があれば可能である。だが、それでは歴史学をマスターしたとは云えない。
 歴史学は人間を対象とした大いなる科学でもある。出来事の背景や、携わった人間に関する考察を抜きに理解は不可能だし、そもそも面白くない(笑)。勿論、そんな学び方をしていては「暗記物」という名の苦痛を感じることになる。
 また、その点を理解してこそ歴史学は現代に生きるのである。

 故に今回、薩摩守は主君が配下を「自らの両腕」として信頼を置き、重用し、配下もそれに良く応えた数々の例を考察したくて本作の制作に掛かった。
 勿論、主君が部下を「両腕」とした深い信頼関係も千差万別だから歴史は面白く、参考になる。
 第壱頁 武田信玄with板垣信方&甘利虎泰……両腕喪失と飛躍
 第弐頁 織田信長(少年期) with平手政秀&林通勝……師傅に従う珠にあらず
 第参頁 徳川家康(壮年期) with本多作左衛門&石川教正……直言居士と汚れ役
 第肆頁 羽柴秀吉with竹中半兵衛&黒田官兵衛……軍師らしき軍師、羽柴の「二兵衛」
 第伍頁 徳川家康(初老期) with本多正信&大久保忠隣……優れた故に派閥争いへ
 第陸頁 武田勝頼with跡部勝資&長坂釣閑斎……嫌われ者が殉じた皮肉
 第漆頁 北条氏政with松田憲秀&大道寺政繁……主家と共に滅びた二大宿老
 第捌頁 石田三成with島左近&蒲生郷舎……戦嫌いを最後まで支えた戦巧者
 第玖頁 徳川家康(最晩年) with南光坊天海&金地院崇伝……過渡期を担った二人の怪僧
 第拾頁 黒田如水with栗山善助&井上九郎右衛門……救助も野望も共に
 第拾壱頁 加藤清正with飯田覚兵衛&森本義太夫……恨み言を述べつつも再仕官せず
 第拾弐頁 徳川秀忠with榊原康政&大久保忠隣……不人気若様を征夷大将軍に
 第拾参頁 伊達政宗with伊達成実&片倉小十郎……独眼竜を支えた「武」と「智」
 第拾肆頁 徳川義直with成瀬隼人正&竹腰山城……附家老に始まって
 第拾伍頁 徳川家宣with新井白石&間部詮房……金と色に惑わされなかった両輪学者
 第拾陸頁 徳川吉宗with加納久通&有馬氏倫……捨て子→藩主→将軍への道を共に
 第拾漆頁 徳川斉昭with藤田東湖&戸田忠太夫……無念の震災死を遂げた「水戸の両田」
 最終頁 側近は一人でない方が良い?


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令和三(2021)年六月九日 最終更新