規制対象その1 レイプ物………性犯罪を助長するな



言及1 まず「強姦」を軽く見るな
 日本人はどうも、酷い内容の単語でもそれを、英語を初めとする外来語に置き換えるとそれを軽く捉える悪しき傾向がある様に思われてならない。
 例えば、「麻薬を打つ」と云う物凄く危険な行為も、「ドラッグを決める。」と表現すると一種のカルチャーみたいに捉えると云う風に、舶来コンプレックスか何だか知らないが、外国語に置き換えた途端に「悪い」が「カッコいい」になるパターンに俺は眉を顰める。
 そしてそんな傾向を思わせる単語に「レイプ」という物がある。

 AVの数あるジャンルの一つに「レイプもの」と云われるものがある。「レイプ」とは要するに「強姦」で、昨今では「不同意性交」等と呼ばれるようになったが、どんな単語を用いようと嫌がる相手に性行為を強要し、強引に行い、相手の心身に筆舌に尽くし難い屈辱をもたらすものであることに変わりはない
 恐らくAVショップやレンタルビデオ店のアダルトビデオコーナーでジャンルを示す札を「レイプ」から「強姦」に書き換えたら多くの人々が嫌悪感を示すと思う。逆を云えば、「商品」に悪いイメージを抱かれたくない、悪いイメージを軽減したい、という想いがあって「強姦」よりは「レイプ」を選んでいると思う。
 いずれにせよ、単語の問題に限らず、強姦と云う悪行が軽く語られ、イメージされることには強烈な不満を俺は抱いている

 いずれにせよ、かかる悪行は被害者となった女性(とは限らないが)の心身を著しく傷つける。強姦は別名「魂の殺人」とすら云われる。昭和50年代から平成初期にかけてのドラマでは強姦された女性がショックのあまり自殺してしまうと云うストーリーも珍しくなかった。
 昨今では「強姦されたことで自殺した。」との話を耳にしないが、単に俺の耳に入らないだけなのか、被害者の名誉のために伏せられるだけなのか、被害者へのケアが充実して未然に防がれているだけなのかは分からない。
 もっと根本的なことを云えば、痴漢に遭ったことで深く傷つき、電車に乗れなくなる人もいると云う。正直、俺は強姦されたことはないので主観的には想像し難い。男色家に無理矢理ケツを掘られたら……………と想像するそのとんでもなさを少しはイメージ出来るが、それでも実際に遭うのと遭わないのとでは大きく違うのだろう。ちなみに道場主の馬鹿は二度痴漢に遭ったことがある(実話)。それゆえ、痴漢の卑劣さ・悪逆振りをそれなりに実感している(その時駅員に聞いた話では、昨今では若い男性の痴漢被害も珍しくないらしい)。

 話が逸れるが、もし、強姦が如何に罪深い、人の心身を激しく傷つける悪行であるかを認識したいのなら、個人的には『さすらい刑事旅情編W』第18話の閲覧をお勧めしたい。
 この話においてレギュラーである風見愛子警部補(河合奈保子)が主演となった回で、彼女の先輩刑事として篠塚勝氏の演じた岩下健太郎刑事が登場するのだが、岩下刑事は性犯罪に遭った女性が如何に心身傷ついているかを、同時に加害者の多くが如何に無反省で常習性のある存在であるかを語っていた。
 一度見ただけなのでうろ覚えなのだが、岩下刑事が語ったところによると、彼は数々の性犯罪に対処し、被害に遭った女性が自殺を図ったり、外出する事すら恐ろしくなったり、周囲の奇異の目に耐えられず引っ越しを余儀なくされたり、と一生引き摺るであろうトラウマを迫真な演技で語っていた。
 同時に加害者の大半が(捕まったことを)「運が悪かった。」程度に捉え、無反省で、罪悪感の欠片も抱かず、自分が害を為した相手の心情など一顧だにしていないことを、怒りを滲ませて語っていた。

 まあ、フィクションの内容なのですべてを鵜呑みにするつもりもないが、それでもかかる作品が生まれたこと自体、そんな悲惨な性犯罪と、その後の被害者が抱く傷ついた人生とが世に溢れているからだろう。
 加えて、性犯罪は被害者の事を思えば大っぴろげにし辛いと云うこともあった。被告人を裁判所で裁く為には、法廷にて被害者が如何なる目に遭わされたかを裁判官、検事、弁護士、当の犯人、多くの傍聴人の前で展開される故、少し前まで、強姦罪は親告罪で、被害者が告訴しなければ加害者が裁かれることはなかった(ちなみに現在では刑法が改正され、強姦、改め不同意性交等罪は親告罪ではなくなっている)。
 勿論、法廷で掛かる目に遭うことに耐えられず、泣き寝入りを決めた被害者は星の数程いるだろう。漫画『ふんどし刑事ケンちゃんとチャコちゃん』の第1話に登場した強姦魔は、被害者が法廷に立つのを拒むことを見越して、女子高生をターゲットとし、刑事を前にしても、「これからも何人でも犯してやるぜ。悔しかったら裁判で有罪にしてみな。」と開き直り、嘲笑っていた。
 ちなみに、この犯人に対し、主人公の一人・茶屋刑事は法を破って殺そうとしたが、もう一人の主人公・剣崎二郎警部(←男色家)が犯人のカマを掘り、犯される者の気持ちを叩きこみ、男は強姦を辞めた………………が、反省したと云うよりは、あっさりネコ(同性愛の受け手)に目覚めたといった方が正しかった(苦笑)。

 いずれにしても、人として強姦に嫌悪感を抱くなら、掛かるジャンルのビデオを制作することに躊躇いを覚えそうなものだがな。


言及2 一応の警告はあるのだが………
 では、何故「レイプもの」なんてビデオが存在するのか?残念ながら「需要」があるからだろう。

 嫌がる相手を無理矢理犯すなんて、真っ当な人間の心を持っていれば心が咎める筈である。だが、「嫌よ嫌よも好きの内」的に次第に相手が喜ぶと云うシーンを盛り込むものもあれば、「嫌がる相手を無理矢理」を喜ぶ非人道的な輩も残念ながら実在する。
 そしてそれを実践すれば犯罪になる故、フィクションの世界にて代替するのだろう。風俗店で強姦プレイを希望する者がいるのも、プレイのオプションにパンスト破りなんてものがあるのも、「現実にやったら犯罪になるので、芝居の上でも行いたい。」との「需要」があるからで、「需要」が無ければ「供給」としてのオプションは存在しない。
話が飛躍するが、『必殺仕事人』シリーズや『ブラック・エンジェルズ』という、法で裁けない外道を自裁で殺害する「正義の殺し屋」(と云うと語弊があるのだが……)的なフィクションが受けるのも、「度腐れ外道をぶっ殺したい!」という「需要」があるからだろう。勿論レイプもののAVにせよ、殺し屋的な時代劇・漫画にせよ、現実において実践すれば重罪で、厳罰対象である(ちなみに『ブラック・エンジェルズ』の作者・平松伸二氏は、フィクションとはいえ、人を殺す描写を続けることに苦悩し、同様の想いを主人公・雪藤洋士が何度となくその想いを代弁している)。

 謂わば、強姦物のAVは、「現実に行えば犯罪だから、せめて空想の中で楽しむ」という「需要」に応えた、ガス抜き・防犯的な側面もあると云う事だ。実際、性風俗産業が古来より形を変えつつも存続してきたのも、これらの産業が性犯罪や不義密通を軽減させてきたのは否めない(夫に対して、「浮気をするぐらいなら、風俗に行ってくれ。」と考える妻は少なくないらしい)。
 強姦物のAVを制作する業者だって、何も「強姦件数を増加させたい!」という狙いでその手のAVを作っているとは思わない(もしそんな狙いで作っているのであれば、法倫房刑法(←勿論フィクション)的には八つ裂き対象である)。それゆえ、その手のビデオでは「女優の同意を得て制作されたフィクション」「現実に行えば刑法による厳罰対象。真似をしない様に。」と云ったテロップが入る。
 道場主の馬鹿が初めて見たレイプもの(ストーリーは完全な犯罪)では最後に「真似しないで下さい。」というテロップが出ていて、既にすることをして「素面」に戻っていた道場主の馬鹿は、「阿呆か!(テロップを)最初に入れんかい!」と激昂した過去がある。まあ、AVを見ながらすることをしたらその時点で鑑賞を終える野郎も多いだろうから、警告テロップは最初に入れないとスルーされる恐れがあると思う。

 詰まる所、制作サイドでは強姦物は本来なら法的にも許されない行為であるとの認識があり、真似する事のないようにとの警告は義務的に為すのだが、やはり「真似する奴が現れるのでは?」との懸念は拭えない。本能・願望自体が顕在する故に………。

 勿論、警告があろうと無かろうと真似をすれば、真似をした奴が罪人として裁かれる。『必殺仕事人』を見た奴が同作に触発されて悪人とされる人間を殺害して通るか?と云えば論じるまでもない。
 ただ、性的なものは本能に根差した欲求故に、殺人に比べれば衝動的に犯行に走る可能性が高い。同時に特定の個人に執着した場合、「如何なる手段を取ってでも想いを遂げたい!」と考えるケースもある。
 道場主の馬鹿自身、振り向いて貰えなかった想い人に対して、「やりたい…やりたい……願いが叶うならいっそ、犯罪でも………。」という邪心が脳裏を過ったことが何度かあるし、ある日夜行バスに乗ったとき、隣席の女性(←普通、隣席は同性なのだが)が物凄く良い体をしていて、毛布の上からも体のラインが丸分かりで、寝息と匂いに興奮し、犯罪をやらかさない為に理性総動員で性欲と戦った結果、一晩一睡も出来なかったと云う馬鹿な記憶が……………ぐえええええええぇぇぇえっぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええ……………(←道場主のシュメッターリングキャメルロックを食らっている)。

 痛てててててて……………まあ、色々述べたが、「真似する奴が現れたらどうすんねん?」との懸念・憤りは拭えない。勿論、真似する奴が全面的に悪く、責任は真似したそ奴等が取るべきだが、制作陣も人の心があれば、自分達の作った作品が性犯罪を誘発して気分良くはない筈だ。
 そして残念なことにこの世には、自らの欲望を満たす為に他者の痛みを一顧だにしない輩が存在する。勿論そんな輩でも多くは、「捕まったら真っ当な人生を送れなくなる。」との冷静な計算から悪心に歯止めが掛からずとも、悪行には歯止めを掛ける。だが、その一部に、罪を犯すことのリスクを全く考えずに衝動的な行動に出る愚か者や、「捕まらなければ問題ない。自分は捕まらない。」とする思い上がり者が存在する。
 そんな輩には強姦物のAVは悪しき教科書になるのでは?との懸念が付きまとう。まあ、そんなことを云い出せば、喧嘩やギャンブルを題材にした漫画やドラマも描けなくなってしまうから、そこまで云いたくないのだが、せめて卑劣な手段を取るものは控えて欲しい。

 それこそ真似する大馬鹿野郎が現れたら困るので簡単に一例を挙げるが、襲った女性の裸体・痴態をビデオなどに収め、「訴えたり、逃げたりしたらばら撒く!」と恫喝する手合いの物は、「実際に真似してる奴がいるのでは?」と思われてならない。
 何せ、実際に宮崎県の個室マッサージ店で、店長が睡眠薬を飲ませて襲った女性を盗撮し、そのビデオを悪用して示談を迫った悪しき例を知っているが故に………。


言及3 頼むから最後は裁け
 強姦を扱ったもので、刑事ドラマはまだ最終的に納得出来るものが多い(題材が題材故に後味の悪さが若干残るのは否めんが)。それは取りも直さず、強姦魔を悪人として裁く為に捕らえる刑事の側が主役だからである。
 被害に遭った女性の悲惨な心情や、その後の苦しみにも焦点が当てられ、それに接した刑事達や被害者の周辺人物の憤りもしっかり描かれ、何よりしっかりと犯人は逮捕され、裁きに掛けられる(起訴後までは描かれないことが多いが)。
 だが、レイプもののAV基本野放しである。それはAVの目的が勧善懲悪ではなく、見るものの性欲を満たすことに在るからで、「嫌がる女を無理矢理犯して楽しみたい!」というふざけた欲望の持ち主に対して、想いを遂げた者が罰を受ける後日譚など不要だからだろう。
 道場主の馬鹿が二度目に観たレイプもののAVでは、一連の行為が終わった直後に被害者の彼氏が室内に乱入し、強姦魔が彼氏にナイフで刺されて終わっていた。勿論決して後味の良いラストではなかったが、それでも強姦魔が最後の最後に痛い目を見たことに少しだけホッとした。
 ストーリーの目的としては不要のものかも知れないが、レイプもののAV制作陣に、「自分達の作品を見た者が真似して強姦をやらかしたら堪ったものじゃない。」という気持ちが欠片でもあるなら、違法行為を戒めるテロップを入れるのは勿論だが、最後には強姦魔が逮捕や裁きを初めとする報いを受けるシーンを盛り込むことで、強姦が如何に罪深い行為であり、一般良識に照らし合わせて唾棄されるべき愚行であり、逮捕・起訴・裁判の果てに社会的に大きな制裁を受ける犯罪であるかを示して欲しいものである。




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令和八(2026)年四月五日 最終更新