最終章 嫡男は何故つらい?
ざっと、一〇人の嫡男を見てきた。
勿論嫡男といっても千差万別で、史上には決して不幸な嫡男ばかりではなかった。本作で取り上げた一〇人の嫡男も源頼家や武田義信・徳川信康・織田信忠のように非業の最期を遂げた者、斎藤義龍・伊達政宗・徳川家光のように肉親を自らの手で死に至らしめた者、死に追いやるまでには至らずとも藤原伊周・真田信之・徳川家重のように身内で争わざるを得なかった者もいる。
では嫡男である何故彼等は辛い想いをしなくてはならなかったのだろうか?
別の云い方をすれば、嫡男たる彼等は何故に辛い運命を背負うことになったのだろうか?
それは嫡男という存在がどういう眼で見られ、何を課されるかで決められると云える。
嫡男とは、
跡取りである。
「跡を継ぐのが当り前」と見られるのである。
そして後を継いでも、妬まれこそすれ、褒められることはないのである。
ましてや、罷り間違って跡を継げないと、ボロクソに貶されるのである。
更に嫡男とは。
跡継ぎとしての役目を立派に果たしてもそれは「当然のこと」としてしか見てもらえない。
先代に劣るとドラ息子扱いをされる。
跡を継いでも優れた弟がいると何かと比較されるのである。
弟や庶兄が優れていると、「そっちが継げば良かった。」と陰口を叩かれるのである。
つまりは「義務」と「責任」が重く、「権利」は大きくても、その「権利」ゆえに「自由」が妨げられることも少なくなかった。
そして現代でも、社長、政治家、スポーツ選手、俳優の子は同じ苦しみを味わう可能性は充分にある。
では、史上の嫡男を参考に、現代に生きる我々は何を学ぶべきだろうか?
まあ、月並みではあるのだが……
兄弟と仲良くし、「跡を継ぐ」ということを当然のこと、と捕らえず、自らを初代と自認するか、先代との比較を徹底的に無視するかであろう。
つまり、嫡男であることの苦しみから逃れる、ということは嫡男として譲られる大権に必要以上に執着しないことである。
薩摩守が一〇人の嫡男を見て、最も注目するのは藤原伊周と真田信之と伊達政宗である。
この三名は他の嫡男達と比しても骨肉の争いはすれど基本的に兄弟想いで、争った相手を心底憎むことはなかった。
戦国時代を始め、大きな権力が絡んだとき、人間は肉親でも容易く争う関係となってしまう。まことに悲しい現実であり、権力を財力に置き換えると、現代人にとっても無関係ではない。
それゆえに薩摩守は権利よりも大切な親子・兄弟関係を重んじ、互いを認め合うことで憎しみを生まないようにすることが、この世に生きる嫡男の真の務めではなかろうか。
それが出来れば嫡男も辛くなくなるだろう。
権利も義務も責任も一人で背負い込むから辛いのであり、権利も義務も責任も身内で共有出来れば、負担も争いも分散されて小さく済むというものであろう。
平成二一(2009)年七月一八日 道場主
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令和三(2021)年五月二一日 最終更新