最終頁 一本の柱石のみに頼る事勿れ

組織の「頭」と「柱石」  一家も、組織も、国家も「人」の集まりである。そして「人」の集まりである以上、「頭」が必要になる。一家であれば「家長」、企業であれば「社長」、藩であれば「藩主」、軍であれば「将軍」や「元帥」、議会であれば「議長」、内閣であれば「首相」、共和国であれば「大統領」、王国であれば「国王」、帝国であれば「皇帝」………とまあキリがないのでここで止めるが、注意すべきは「頭」が必ずしも「人の集まり」を掌握し、支えているとは限らないことである。
 むしろ「頭」は「支えられる側」ですらあることの方が多い。

 本作では「柱石」達が支えた対象として、平家御家人合議制今川家武田家朝倉家北条家豊臣家を取り上げたが、その中にあって「柱石」達は「一番偉い者」ではなかった。
 平重盛武田信繁の様に当主に次ぐ立場の者もいるが、朝倉宗滴北条幻庵は「一族の長老」ではあっても、当主継承権でいえばかなりの下位だし、太原雪斎前田利家は完全に主君の寵愛で「柱石」に据えられていた(勿論彼等自身に信頼されるだけの能力や人格があればこそだが)。和田義盛に至っては、(建前上)平等な者同士の一員である。
 もっとも、これは本作で取り上げた人達と組織だけではない。一般企業でも部長が、国家でも一大臣や将軍が、一家でも姐さん女房が、実権を握り、同時に集団の支えとなっている例は枚挙に暇がなく、必ずしも地位とは比例しない。
 まあ、「頭」が「柱石」を兼ねていたら当たり前過ぎて誰も何も思わない訳だが(苦笑)。
「柱石」の頼もしさと「逝きて後」の惜しさ
 これらのことを考察して思うのは、本来組織を牽引する「頭」以上に組織を牽引し、支える力を発揮する「柱石」がいたとき、その「柱石」の元に組織が団結すればより大きな大勢力でも容易に潰せない一枚岩となり、逆に「柱石」が失われれば、「頭」以上の求心力の喪失に組織は情けないほどあっさり崩壊するのが珍しくない、ということである。

 そしてその「時」は必ずやってくる。何人も不死身の存在でありえないがゆえに。また「柱石」の働きが、万人が「当然」と思うほど自然に無意識の内にその役割を担っていた時程、「柱石」が失われて初めてその有難味を知り、替わりとなる人材がいないことに右往左往する。
 否、「柱石」が云った直後に気付いた時はまだ良い。後釜を狙う野心家が有能であれば、組織は「最善」は無理でも「次善」なら為せることが少なくない。
 武田信繁を失った武田家などはかなり後(信玄死の直前)になってから「誰しもが認める頭」も「絶対的な支えとなる副将・柱石」も居ないことに気付き、それを整えるよりも逃げ出す奴の方が多かった。
 和田義盛を失った御家人連合が北条氏の専横を許し、それが自分達に牙剥く事に気付いた時には手遅れで、義盛を裏切った三浦氏も北条氏に滅ぼされた。
 恵まれている事物への有難味は気付き難く、失って初めてその大切さに気付くというのはよくある話だが、それが「人」であればなかなか代理が効かないから大変である。能力的な代理なら効くこともあるが、前田利家の様に複雑な人間関係に根差した纏め役としての「柱石」はまず代理が効かない。
 かかる教訓は薩摩守が本作で取り上げた以外にも古今東西数多くの例があるが、それに習い、適用することがとても困難であることが本作を作っていて改めて気付かされた。


「柱石」の逝くときに備えて
 前述した様に、「人」である以上いつかはこの世を去る。どんな「柱石」も永久の存在足り得ない。否、仮に不老不死だったとしても、より強大な敵が現れたり、支えて来た組織の人員が入れ替わったりした果てには能力の有り無しに関係なく「柱石」としての役割を果たせなくなる時だって来よう。
 そしてその「柱石」を失った直後に呆気なく崩壊した組織は史上枚挙に暇がなく、滅亡ならずともそれまでの勢いを失ったり、弱小勢力に落ちぶれたりした例は無数にあり、とてもすべてを把握しきれない。

 ではそれを未然に防ぐ為にはどうすればいいか?

 理想は「柱石」存命中に替わり得る人材を確保することである。勿論「人」での代理は容易ではないだろうから、チーム体制でもいい。
 それが不可能であれば、「柱石」のある時から他の「柱石」で動いている想定で鳴らしておくことだろう。
 建物でもたった一本の柱がすべてを支えていては、柱の寿命が建物の寿命となる。毛利三本の矢じゃないが、一本一本の柱が弱くても束になっていて、その内の一本が失われてもまた次の一本が補充される状態にあれば組織という名の家屋は倒れることはない。

 ま、口で云うほど簡単に二本の「柱石」が用意出来たり、集団が一枚岩たりえたり、するようであれば誰も苦労はしないのだが(苦笑)。


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令和三(2021)年六月三日 最終更新