最終頁 「友情」という単語に思う事………

※以下の文章は、本作を綴っていく中で想った薩摩守の所感で、歴史考察は殆んど含まれません。云い換えれば、「自己満文章」なので、個人の想いに興味のない方は読まれなくても全く差し支えありません。



「正義」を叫び辛くなった世に叫ぶ「友情
「お前たち悪魔は生き残った者しか評価しない。だが私達正義超人は生きている仲間だけではなく死んでいった仲間達とも繋がっている。肉体は滅びても友情は不滅だ!」(『キン肉マン』キン肉スグル)
「悪魔にだって友情は有るんだ!」(『キン肉マン』サンシャイン)
「男塾はいわば俺にとって親も同然。こんなゴンダクレの俺に戦うの事の厳しさや友情の大切さを教えてくれた。親を馬鹿にされて下を向いているぐらいなら俺はいつでも男を辞めてやるぜ。後は頼んだ…。」(『魁!!男塾』独眼鉄)
「確かにお前のいうように信じられるものなど何もないのかもしれない。だがだからこそ友情だけでも信じたいのだ!」(『聖闘士星矢』ドラゴン紫龍)
「お前も強敵(とも)だった。」(『北斗の拳』ラオウ)

 上記の漫画は週刊誌『少年ジャンプ』が黄金時代と呼ばれた時期に連載された作品における「友情」を巡る台詞の一例である。各作品とも、令和の世から見れば約40年も前の作品でありながら根強い人気があり、続編や派生作品も多い。
 この時期に様々な作品で声高「友情」が叫ばれた一方で、「正義」という言葉は声高に叫びにくい世になってしまっている。原因ははっきりしている。価値観の多様化と情報過多である。

 様々な価値観が重んじられるのは大切なことだが、その弊害として価値観同士のぶつかり合いが頻発し、どんな偉人であっても、どんな功業に対しても、どんなに尊い美徳にも必ず賛否両論が寄せられるようになり(逆にどんな愚劣な輩、どんな悪行、どんな下劣な所業に対しても同様である)、目立てば目立つほど「出る杭は叩かれる。」状態となった。
 例えば、薩摩守が拙房にて薩摩守の信じる正義を説いても、必ず賛同する者と反対する者が現れる。拙房が高名になればなる程、世の称賛を浴びれば浴びる程、それを認めたくない者達が揚げ足を取り、反論をぶつけ、場合によっては誹謗中傷に発展する。まあ、現状の弱小サイトではそんな心配は無用なのだが(苦笑)。

 そしてこうなると、余程一つの価値観を強烈に推し進めようとの意志に溢れた者でない限り、「正義」は唱え辛くなるし、そこまでして唱えらる「正義」には必ず執拗な反論と罵声が浴びせられる。
 勿論、価値観が多様化し、情報が豊富になったことには良い面もある。長年誤解されていた人物や事柄にも正しい理解が得られたり、一般に批判・批難されることの多い人物にも優れた面や美しき面があることがクローズアップされたり、といったことで多くの曲論が姿を消していったことは個人的に喜ばしい(美点・醜点に固執する者には極論者も多いが)。

 いずれにせよ、「正義」は唱え辛くなったし、「正義」故に批判・非難の声が集まり易くなった。要らざるトラブルを抱え込みたくない、不毛な論争に付き合いたくない、と思う人々は自らの「正義」を声高に叫ばない選択を取る方も多いことだろう。
 ただ、世は移り、人や法は変われど、個々人の脳内・胸中で想うことは自由である。日本は日本国憲法にて公共の福祉に反しない限り、思想の自由・良心の自由は尊重される。まして胸の内に納める分には公共の福祉を害しようがないから完全に自由である。
 そして、相手が一人の一対一なら、価値観を完全に(あるいは大部分を)共有することも相手次第では可能で、それが男女(場合によっては同性同士)なら「愛情」が芽生え、生業においてなら「信頼」が成立し、友人知人同士にあっては「友情」となる。
 云うならば、「友情」は個人が最も近しい対人関係にあって、自分の次に大切に出来る宝物と云えよう。

 勿論友情も時には壊れることがある。
 冒頭にて触れた、藺相如と廉頗の「刎頸の友」を見習って友情を結んだ魏の陳余と張耳は、互いの誤解や思い込みから「頸を刎ねずにはおれない関係」になってしまった。
 うちの道場主も多くの友情を築いたつもりだが、その大半は卒業・転職・その他の要因で自然消滅的に失われていった。長続きしなかった友情には道場主の落ち度もあれば、その場の勢いで盛り上がっただけで厚情ではなかったケースもあり、相手側のやむを得ない事情もあったし、中には死別もある………。
 だが、だからこそ学生時代から何十年も続く友情は有難く思うし、決して数は多くないがダンエモンやシルバータイタンがそれぞれの価値観から友情を持続させている姿を羨ましく思う。

 日々そんなことを思いながら、本作を綴っていて、現代より遥かに厳しい時代、苛烈な世界を生きた史上の人物達は薩摩守より遥かに対人関係に苦慮しただろうし、真に築き得た友情を大切にしていたと思われる。
 「友情」という一つの美徳に注目した故、採り上げた人物達は薩摩守の好きな人物が集中したが、他にも金銭や権力に左右されず、時には相手の為に命も惜しまなかった友情は数多く存在したと信じるし、信じたい。
 まして、「友情」は見せびらかす為に存在するものでは無い。置かれた立場から「友情」という形は結べなくても、互いを認め合ったケース(例:上杉謙信&武田信玄)もあっただろうし、敵対しても好意を寄せあったケースもあったことだろう。
 今後の人生で薩摩守がどれほどの「友情」を育み、どれだけ「友情」をなくすかは分からないが、距離・立場・能力に左右されない「友情」を確立し、持続する為に、日々の精進を欠かしたくないと思う次第である。

令和五(2023)年二月八日 薩摩守




余談 令和四(2022)年九月三〇日、『笑点』等で活躍された落語家の六代目三遊亭円楽師匠(本名・會泰通)が肺癌のために享年七二歳でこの世を去られました。『笑点』では「腹黒」、「友達がいない」等のキャラクターで通っていた円楽師匠でしたが、勿論これはネタで、実際には先代五代目三遊亭圓楽師匠、桂歌丸師匠を「父」と仰ぎ、落語界における派閥の垣根を超えるイベント・博多天神落語祭りをプロデュースし、中学時代の同級生・天龍源一郎氏を初め、数多くのプロレスラー、容姿のよく似たマラソンの瀬古利彦氏、その他様々な世界に多くの友人・知人を持つ、人望に溢れた方でした。
 お別れ会にて「円楽師匠唯一の友達」を(ネタ的に)自称しながら司会を務めた林家たい平師匠は「僕が唯一の友達と思っていたのに、こんなに友達がいたんですね〜。」と云って、悲しみの中にも円楽師匠の人望を称えるコメントを、笑いを交えて述べていました。

 円楽師匠の「腹黒」、「友達いない」ネタは師匠が年齢・業界を問わず、本当に人望のある方だから出来たネタだったのはそれなりに『笑点』を見ている人には分かり切っていた話でした。例えば、笑点メンバーは恐妻ネタもよく展開しますが、本当に夫婦仲が険悪だったらネタには出来ません(苦笑)。
 逆の云い方をすれば、思う存分に「腹黒」、「友達いない」ネタが展開して尚、人気・人望が隠し切れない名人が六代目三遊亭円楽師匠という方でした。
 令和五(2023)年二月五日より、師匠の後釜に春風亭一之輔師匠が加わり、毒舌振りが生前円楽師匠が様々な師匠方(及び座布団運びの山田君)と展開していたバトルネタを復活させてくれるのでは、との期待が持たれています。
 本作で展開した史上の人物達が展開した「友情」とはまた違う話ではありますが、「友達がいない!」とネタ的に胸を張って云える友情に溢れた対人関係が世のスタンダードであることを祈りつつ、『笑点』の益々の発展と、円楽師匠の安らかな眠りをお祈りする次第です。

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令和五(2023)年二月八日 最終更新