刎頸の友

 「刎頸(ふんけい)の交わり」…………その出典は有名中国史・『史記』にあり、意味は、「その友のためならば、例え(くび)をねられても悔いはない程の深い友情」である。
 始まりは戦国時代趙の国の大将軍廉頗(れんぱ)が当初妬み、辱めんとしていた藺相如(りんしょうじょ)が自分を高く買っていて、国家の為に恥を忍んで自分といがみ合うことを避けていたことを知り、自らの行動を恥じて詫びたことに端を発していた。
 前非を悔い、もろ肌脱ぎになって(←敗者・降伏の印である)茨の鞭で自分を好きなだけ打てと申し出た廉頗藺相如は「何を仰るのです!貴方がいるから他国は趙に手を出せないのではありませんか!さあ、服を着て下さい!」として両者は和解の酒宴を行い、その席で廉頗「それがしは藺相如殿の為ならばねられても悔いはない。」と述べ、それに対して藺相如「それがしも廉頗将軍の為ならばねられても悔いはない。」と返した。
 ここに両者は堅い友情を誓い、後に天下を統一した秦も、藺相如廉頗が元気な内は趙に侵攻出来なかった。

 中国でも、日本でも所謂、「戦国の世」は身内や主従や同僚にも完全には心が許せなかった悲しい時代である。それだけに血が繋がらない存在でありながら、損得や生死を無視して義を尊び合える武将同志の友情は一際美しく映る。
 そこで今回は「誰も信じられない時代」だったからこそ、肝胆相照らし、生死・損得を超越した友情に注目したい。



第壱頁 黒田官兵衛&竹中半兵衛………累代の恩義をもたらした友情
第弐頁 羽柴秀吉&前田利家………身分の変遷を超えて
第参頁 石田三成&大谷吉継………「友情」を語るに外せない二人
第肆頁 直江兼続&前田慶次………一世を風靡した作品を後世に
第伍頁 塙団右衛門&御宿政友………共に旧主を見返さんとして
第陸頁 塙団右衛門&林半右衛門………例え袂は分かっても
第漆頁 榎本武揚&黒田清隆………互いに守り合った命と名誉
最終頁 「友情」という単語に思う事………


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令和五(2023)年二月八日 最終更新