ジャーク将軍に学ぶ『板挟み』

 世のヒエラルキーというものを大雑把に三別すると頂点−間の階層−底辺に分けられる。
 実際に世にある例で挙げでば、  企業:社長−中間管理職−平社員
 ヤ〇ザ:組長−幹部−構成員
 競技:監督−選手−補欠
 学校:校長−教師−生徒
 省庁:大臣−次官−官僚
 軍隊:大将−部将−兵卒
 ……とまあ、挙げれば切りがなく、組織の種類だけ存在するのでここらで止めておくが、上記で頂点と底辺の間にある階層は組織によって、時に幅広く、時に狭い。
 勿論上記の大別は極めて大雑把なもので、社長だって上に会長や株主総会があり、ヤ〇ザも悪徳政治家、学校も教育委員会や文部大臣、軍隊も総理大臣があり、底辺に位置付けられたものでも平社員の下にアルバイト、構成員の下にチンピラ、兵卒の下にも軍事関係の学生、等の存在があり、横の繋がりや一時的な入れ替えも考えればヒエラルキーとはそんな単純なものではない。
 だからこそ中間管理職は辛いのだ。


 かつてシルバータイタンは平社員であるにも関わらず、中間管理職に近い立場におかれた事があった。詳細を書くわけにはいかないが、トラブルが起きる度に社長からも責任を追及され、部下(厳密にはそうではないのだが)からは突き上げを食らい、顧客からは苦情と賠償請求の雨霰……。
 勿論シルバータイタン自身に過失も責任も落ち度もあったのだが、上下左右がこれほど複雑に絡むことからご理解いただける様に、上から与えられたものに欠陥があり、下と横が怒ったものもあれば、下の身勝手で上と横に怒られたものもあり、横の悪事を対処し切れていないとして上に怒られ、下に反発されたこともある。
 同病を相憐れむわけではないのだが、ジャーク将軍に例えて云うならクライシス皇帝が無茶な命令を下し、同盟相手のシャドームーンが同盟を破棄して攻撃を仕掛けて来て、ボスガンの抜け駆け、ガテゾーンの指揮権外活動、マリバロンの甘え、ゲドリアンの職分執着による命令違反、等が次から次へと襲ってきたのである。
 だがシルバータイタンにはジャーク将軍程の権力も膂力も無く、待っていたのは度重なる減給や必要経費の未払いで、最終的にはその社長と会社から逃げ出したのである(一応自己弁護しておきますが、職を転々とする中でシルバータイタンが逃げた職は唯一この時だけで、前任者も後任者も全員が最後には逃げ出しています)。

 だが、滅びの運命を持つ祖国を背景にジャーク将軍は逃げる訳にはいかなかったし、逃げ場所そのものが無かった。
 ここに中間管理職というものを考えた時に、ジャーク将軍程、その悲哀と板挟みが持つ辛さを教えてくれる存在は見当たらない。

 勿論ジャーク将軍以下の四大隊長達も立派な中間管理職で有り、歴代悪の組織の大幹部達も、上司である首領と部下である準幹部・改造人間・戦闘員達との間に挟まれ、責任や信賞必罰の中で上からの処分、下からの謀反にいつ曝されてもおかしくない立場に居た者達である。
 だが、前々から中間管理職という意味において道場主がジャーク将軍に最も注目していたのは、地球攻略兵団が持つ切羽詰った背景と多種多様な軍属を率いている事に注目すればこそである。
 例えば、デストロンなら機械合成改造人間軍団・結託部族を率いるドクトルG・キバ男爵・ツバサ大僧正・ヨロイ元帥達とデストロン首領の間に最高幹部がいたとしたら?
 同様に、GODで神話怪人軍団を率いるアポロガイスト(厳密には率いていないが)・悪人軍団を率いるキングダーク=呪博士とGOD総司令の間に全軍総帥的な存在があったとしたら?
 そのような存在の苦悩もドクトルGやアポロガイスト達の苦悩はより計り知れない物であっただろうことは容易に想像できる。
 そしてその苦悩とは現実の社会と組織にもありうるものなのである。


 世の中に社長ばかりの企業、監督ばかりのチーム、校長ばかりの学校、将軍ばかりの軍隊など存在しない。
 同様に平社員ばかりの企業、選手だけのチーム、生徒しかいない学校、一兵卒が集まっただけの軍隊など、存在したとしても組織であって組織ではない(少なくとも組織としての行動は不可能である)。
 組織にあって中間管理職とは必要不可欠の存在であり、頂点に次ぐ責任と底辺に次ぐ義務を背負わされる筈が、責任では頂点のスケープゴートにされ、義務では底辺の尻拭いに追われ、ストレスから壊れた行動に出る者も少なくない。
 何故にこうも悲惨なのか?それはヒエラルキーの頂点にある者も、底辺にある者も「責任・義務」「権利・自由」が表裏一体であることを忘れているからではないだろうか?

 ヒエラルキーの頂点に立つものは「役得」という名の「権利」を享受し、自らが率いる組織の行動規範を「自由」に決めることが出来る一方で、その結果発生した事象に害があればそれを処理する「責任」「義務」を負わされている。
 一方で底辺にある存在は「権利」「自由」も上に決められるが、最低限の「義務」さえ果たせば、起きた結果に対して最終的な「責任」を負わされることは少ない。
 要するに頂点にも底辺にも「責任」「義務」「権利」「自由」は無縁ではないが、その線引きは明確であることが多いのに対し、中間管理職のそれは時として曖昧で、時としてアンバランスであることに悲劇がある。
 つまりヒエラルキーの何処にあろうと、万人が「責任」「義務」を果たしてこその「権利」「自由」であることと、その為に自らが保有する「責任」「義務」「権利」「自由」はどうであるのかを自覚すれば、頂点・中間・底辺に関係なく、「責任」「義務」「権利」「自由」に対する苦悩は激減する。


 クライシス帝国を弁護するなら、地球の環境破壊のあおりを食って滅びの運命に曝された彼等にとって、侵略は間違いであったとしても、一応の云い分があり、切羽詰った状況で急遽出さなければいけない結論として決められたものだった。
 もし怪魔界に滅びの運命が無ければ、クライシス皇帝は横暴でも盤石の権力に座し、ジャーク将軍は有能で忠実な司令官として敬意を享受し、地球人・クライシス帝国臣民の双方に多大な犠牲が出ることも無かった。
 中間管理職者としてのジャーク将軍を見て頂いた方々にはその背景、その現実社会通じる悲哀を鑑み、「責任」「義務」「権利」「自由」について一人一人が何が出来るかを考えて欲しいと思う次第である。

平成一九(2007)年九月一七日 シルバータイタン




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令和三(2021)年五月一九日 最終更新